抑圧的かつ開放的に
「メリッサ。俺じゃお前には勝てない。そんな事は分かりきった事だが、それは飽くまで、真正面きって正々堂々と殺り合った場合の話だ。決闘じゃなく、どんな手を使ってもいいただの喧嘩なら、やり方によっては圧倒できる。今、こうしている様にな」
不気味にシンが笑う。
メリッサとアリスは両の拳を握り締め、シンとその足下の俺を交互に眺めている。
「こンの……いい加減、足をどけやがれ!」
俺は右肘を腰にあてがい、腰を浮かせて自らの足を跳ね上げる。
ブレイクダンスの要領で、踵をシンの顎めがけて振るう。
完全な不意打ち――の筈だったが、シンは飛び上がってこれを難なく避けた。
五メートルは跳んだ。尋常じゃない跳躍力だ。
空中で、俺の蹴りを蹴りで迎撃し、バランスを崩す事なく再び俺の背中に着地した。
肺の空気が全て飛び出す様な、強烈な激痛。
ゴーレム戦のダメージも相俟って、ミシミシと背骨が軋む。
「うが、ぁ……!!」
「あんまり派手に動くな。殺すぞカスが」
シンが足を上げ、束縛から逃れたと思うも刹那、靴底が俺の後頭部を踏みつけてきた。気を失いそうな激痛が走る。
「シン!」
激昂し、眉間に皺を寄せながらアリスが叫ぶ。
「だから、動くなっつってんだろ。日本語分からないのか?英語で言ってやろうか?」
ふぅ、とため息を吐くシン。
「さて、と。そろそろ始めるか」
(始める……?)
シンが何を言っているのかがよく分からないが、急に俺の中の何かがざわついた。
胸の辺り。
体内に埋め込まれた、賢者の石が。
「……参考までに聞かせてもらいたいのですが。何を始める気ですか?」
苦々しく、綺麗に整った唇を歪めてメリッサが問う。
その手に持ったままのアーサニーと呪符が、心なしか震えている。
アリスはアリスで、視線はシンに向けたまま、足で地面に何かを描いていた。
「決まってる。コイツの身体の中から、賢者の石を取り出すんだよ。誰もやった事のない摘出手術だ。生命の保証は皆無だがな」
夜の暗い視界に、ブゥンと何かが紫に光る。
肌が粟立ち、毛穴が開くおぞましい感覚が全身に駆け巡る。
「させない!」
意を決したのか力を溜めていたのかは分からないが、メリッサが一足飛びでシンの懐に潜り込んでいた。
勢いと体重を乗せた渾身の右ストレートが、ガードする間もなくシンの胸部を砕いて吹き飛ばす。
ようやく束縛から解放された俺は、急いで起きあがり、体勢を立て直す。
「……これも泥人形だったか」
メリッサが呟き、アリスが俺に駆け寄ってきた瞬間、
ボコッ……。
目の前――いや、周囲の地面から、次から次へとシンの姿をした泥人形が生まれてきた。
「うわっ!キモい!!」
まぁ、正直な感想を、ぶっちゃける様に叫んでしまった。
等身大で同じ顔のリアルな人形、約二〇体が、俺たちを取り囲んでいた。
「シナゴーグ。第三階級・大天使ウリエル、イーミス!」
叫びながら、メリッサは呪符を貫いたアーサニーを、地面に突き立てた。
これも知っている。最初にメリッサがゴーレムを喚んだ魔術だ。
三メートル強の巨人が立ち上がる。
ゴーレムが腕を振るうと、シンの姿をした泥人形が数体、吹き飛んだ。
が、まだ残っている泥人形達が、全員同じ動きで襲いかかってきた!
「チィ!」
メリッサが猛攻する。
次々に泥人形が崩れていくが、その度に新たな泥人形が現れてくる。
「Jus est in armis!」
アリスは足下に描いた簡易式魔法陣を用い、魔術を行使して泥人形を吹き飛ばす。
「ぬぉお!」
俺も負けじと、軋む身体を無視して力の限りのストレートを、近付いてきた泥人形めがけて放つ。
……のだが、吹き飛ばず、むしろメシャッという、己の拳が砕ける様な鈍い音が響いた。
「痛ったァ!」
考えてみれば当然だ。
相手は泥の塊なのだ。
メリッサやアリスみたく、魔術を発動させているならいざ知らず、ただの一般人の攻撃が通用する筈もない。
何というか、完全無欠に俺役立たず。
「そりゃないってマジで!」
迫り来る攻撃を回避しながら叫ぶが、如何せん、数が数だ。
避けきれる訳がない。いともあっさりと捕まって仕舞った。
「クッ、シィィィィィィィィィン!」
目の前の泥人形を拳で吹き飛ばし、メリッサが悲痛の叫びを上げる。
「ダメ、数が多すぎる……対処しきれなッ!?きゃあ!」
精一杯にラテン魔術で交戦していたアリスが、泥人形の群に呑まれた。
次々と泥人形がアリス、そして俺の動きを封じていく。
メリッサ一人だけならばまだ勝ち目はあっただろうが、俺とアリスは完全に足手まといにしかならない現実。
「ち、くしょう……」
力が欲しい。今、この時ほど、それを願った事はなかった。
「終わりだ」
ブゥン。羽虫の羽ばたきにも似た音が頭上から響き、緑色の光が灯る。見上げるとそこには、先程の光景と重なる、右手に光を宿したシンの姿。
「これから賢者の石を摘出する。運が良ければ無事だろうよ、化け物」
言うが早いか遅いか、
ゾプリ、と。シンの右手が、俺の中に侵入した。
「うぁ、が……ぃ!?」
我知れずに嗚咽が漏れる。泥人形に押さえるまでもなく、俺は身動き一つ取れない。
何か。得体の知れない何かが。
俺の中で、異物が俺をかき乱す。
(俺の中に入ってきている……)
ギチリ、と指の関節が軋む程に強く、
(俺を、俺の中を覗く何かが……)
両の拳を握り締める。
不意に、声が聞こえた。直接脳に語りかける、声。
俺の声。
《拒絶しろ》
憎い。俺を乱そうとする手が、憎い。そうだ、憎い。だったら、俺はどうすればいい?
何をすれば、この異物を排除出来る?
《拒絶しろ》
そうだ拒絶だ。憎いこの異物を、拒絶すればいい。
だったら、
「《殺せ》」
呼応する、声。海の様に溢れる、漲る力。
「あぁ?」
怪訝な表情のシンが言う。
「《殺せ。殺す。そうだ殺す。殺される前に殺す。力を手に取れ。叫べ弱者、猛れよ強者》」
二つの声が、今は一つに。
「何言ってんだアンタ?訳が分かん――」
「《俺に、触るな》」
右腕を俺の中に侵入させていたシンの腕を、左手で強引に掴む。泥人形の束縛は、もはや関係ない。
「《俺に、ヲの覗くな。殺コロすぞ、ぞぞ。……にクい異ブ物をハハはゐ除し、全てテを壊ヮすシ終焉のン、力を。ヲを。ちか力をヲヲヲ!!》」
束縛を力でねじ伏せ、強引に立ち上がり、俺はシンの右腕を引き抜く。
「なっ……!?」
その双眸が、驚愕に染まる。
「《ィィヰ、シン。シンしンシんしんシン。死ィね》」
そのまま、溢れる力を以てシンの身体を振り回し、泥人形どもを潰し、俺は投げ飛ばした。
「これ、は……」
「魔力暴走……?」
背後で、二人の少女が呟いた声は、確かに俺に届いた。