↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

夜空

掲載日:2026/10/09

星空


 夜空を見上げると、これまで見たこともない数の星が、蒼黒い空一面に散りばめられていた。薄い一筋の雲が半球を横切り、夜空を輪切りにするように流れている。


 ずっと上を向いたまま、星と星の隙間が広がったり、狭くなったりするのを見ていた。


「あれは」


 彼女が声をあげ、指さす先に、ゆっくりと動く光があった。


「なんだろう」


 光は何事もないように、星と星の間を飛んでいく。


「何かわからないけど、飛んでいるわ。飛んでいて何だかわからないものって、未確認飛行物体よね」


 飛行機の認識灯は右が緑で左が赤だったか。あの位置をあの角度で移動するには、どれくらいの速度が必要なのだろう。ISSが見えることもあるのだろうか。そんなことを次々に考え始めていた私には、彼女の言葉が妙に新鮮だった。


 確かに、何かわからないものが飛んでいるのなら、それは私たちにとって未確認飛行物体に違いない。


 そう納得しながらも、頭のどこかではまだ光の正体を探していた。彼女はどんなつもりでそう言ったのだろう。空から顔を下ろしてみると、彼女は相変わらず上を向いていた。テーブルに肘をつき、薄い長袖の端を口にくわえたまま、じっと空を見ている。


「綺麗ね」


 もう未確認飛行物体は、彼女の関心から消えていた。


 私も上を向いた。けれど、しばらくは彼女の視線の先を目で追っていた。


 夏の盛りの日が落ち、昼間の熱を抱えていた赤土が冷え始めたころ、眠りにつく前に夜空を見ようと思い立って車から出た。


 標高は二千メートル近い。乾燥した赤土は細かな粉になって、歩くたびに靴や裾にまとわりつく。灯りのない夜にむやみに歩き回ると、車に戻ってから厄介なことになる。それでも外に出てみると、昼間とは違った空気があった。冷え始めた地面から、ほんの少し湿り気を帯びた冷気が上がってくる。空には重さがあり、その重さがあたり一面に静かにのしかかっていた。


 今夜の宿に決めたのは、小高いクリフに囲まれた小さなキャンプ地だった。大きな石を取り除いただけの赤土の草地に、車を停めた。


 周囲にも同じように夜を過ごす車が数台、互いの存在を意識しないですむほどの距離を置いて停まっている。日が落ちたばかりのころには、外で火を焚き、楽しむ人々の姿も見えたが、今は遠くの車の窓に明かりが残っているだけだった。


 地平線は黒く、その上の空も黒かった。けれど二つの黒さは違っていた。クリフの輪郭を除けば、空の広がりを遮るものは何もない。


 空を見上げるために座ったのは、分厚い木で組み上げられたキャンプ場のテーブルだった。クリームブルーのペンキが厚く塗られたその表面には、もう夜露が集まり始めていた。小さな水玉が、わずかな光を受けて輝いている。


 地上には音がなかった。


 隣に座る彼女の吐息が聞こえるだけだった。


 それなのに、見上げた空は騒がしかった。


 星は動かないはずなのに、じっと見つめていると、星と星の間の空間が揺らいでいるようだった。手前の星と遠くの星が押し合い、離れ、また近づく。空には無尽の奥行きがあり、星々はその奥行きの中でさざ波を立てていた。


 見上げているうちに、空との距離がわからなくなってくる。


 車から百フィートほど後ろには小高いクリフが立ち、その下にプエブロの住居遺跡があった。


 今は一棟だけが形をとどめている。石と土を重ねた四角い小さな建物だった。かつてそこに暮らした人々も、夜になればこの空を見上げていたのだろう。何を思って眺めていたのかはわからない。ただ、彼らもここに立ち、同じように上を向いていたのだと思うと、遠い時間がすぐそばにあるような気がした。


「あまり雲がないと綺麗に見えるな」


 空の半球を横切る一筋の雲は、雲と言ってよいのかもわからないほど淡く霞んでいた。


「あら、全然ないわよ」


 いつもそうであるように、彼女はどんなときでも間違っていない。


 そう言いたい気持ちを引きずりながら、私はもう一度空を見た。


「え? あれは……」


 次の言葉が出るまでに、一呼吸かかった。


 本当は三十秒だったかもしれないし、一秒だったかもしれない。時間の流れがあやふやになる、妙な一瞬だった。


「天の川!」


 二人の声が重なった。


 街明かりに濁った空の下で暮らしていると、天の川というものを知ってはいても、その姿を知らない。夜空に川が流れていることは知識として知っていた。それなのに、目の前に広がるものが、その天の川だとは思いもしなかった。


 さっきまで雲だったものが天の川になった。


 その途端、空の蒼さが一段と濃くなった。


 見えていなかった小さな星が、遠くに、さらにその奥にあるのがわかってきた。星と星の間にも、まだ星がある。目が届くと思っていた空の向こうに、いくらでも空が続いていた。


 見上げていたはずの夜空は、いつの間にか、私たちのいる場所まで広がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。