夜空
星空
夜空を見上げると、これまで見たこともない数の星が、蒼黒い空一面に散りばめられていた。薄い一筋の雲が半球を横切り、夜空を輪切りにするように流れている。
ずっと上を向いたまま、星と星の隙間が広がったり、狭くなったりするのを見ていた。
「あれは」
彼女が声をあげ、指さす先に、ゆっくりと動く光があった。
「なんだろう」
光は何事もないように、星と星の間を飛んでいく。
「何かわからないけど、飛んでいるわ。飛んでいて何だかわからないものって、未確認飛行物体よね」
飛行機の認識灯は右が緑で左が赤だったか。あの位置をあの角度で移動するには、どれくらいの速度が必要なのだろう。ISSが見えることもあるのだろうか。そんなことを次々に考え始めていた私には、彼女の言葉が妙に新鮮だった。
確かに、何かわからないものが飛んでいるのなら、それは私たちにとって未確認飛行物体に違いない。
そう納得しながらも、頭のどこかではまだ光の正体を探していた。彼女はどんなつもりでそう言ったのだろう。空から顔を下ろしてみると、彼女は相変わらず上を向いていた。テーブルに肘をつき、薄い長袖の端を口にくわえたまま、じっと空を見ている。
「綺麗ね」
もう未確認飛行物体は、彼女の関心から消えていた。
私も上を向いた。けれど、しばらくは彼女の視線の先を目で追っていた。
夏の盛りの日が落ち、昼間の熱を抱えていた赤土が冷え始めたころ、眠りにつく前に夜空を見ようと思い立って車から出た。
標高は二千メートル近い。乾燥した赤土は細かな粉になって、歩くたびに靴や裾にまとわりつく。灯りのない夜にむやみに歩き回ると、車に戻ってから厄介なことになる。それでも外に出てみると、昼間とは違った空気があった。冷え始めた地面から、ほんの少し湿り気を帯びた冷気が上がってくる。空には重さがあり、その重さがあたり一面に静かにのしかかっていた。
今夜の宿に決めたのは、小高いクリフに囲まれた小さなキャンプ地だった。大きな石を取り除いただけの赤土の草地に、車を停めた。
周囲にも同じように夜を過ごす車が数台、互いの存在を意識しないですむほどの距離を置いて停まっている。日が落ちたばかりのころには、外で火を焚き、楽しむ人々の姿も見えたが、今は遠くの車の窓に明かりが残っているだけだった。
地平線は黒く、その上の空も黒かった。けれど二つの黒さは違っていた。クリフの輪郭を除けば、空の広がりを遮るものは何もない。
空を見上げるために座ったのは、分厚い木で組み上げられたキャンプ場のテーブルだった。クリームブルーのペンキが厚く塗られたその表面には、もう夜露が集まり始めていた。小さな水玉が、わずかな光を受けて輝いている。
地上には音がなかった。
隣に座る彼女の吐息が聞こえるだけだった。
それなのに、見上げた空は騒がしかった。
星は動かないはずなのに、じっと見つめていると、星と星の間の空間が揺らいでいるようだった。手前の星と遠くの星が押し合い、離れ、また近づく。空には無尽の奥行きがあり、星々はその奥行きの中でさざ波を立てていた。
見上げているうちに、空との距離がわからなくなってくる。
車から百フィートほど後ろには小高いクリフが立ち、その下にプエブロの住居遺跡があった。
今は一棟だけが形をとどめている。石と土を重ねた四角い小さな建物だった。かつてそこに暮らした人々も、夜になればこの空を見上げていたのだろう。何を思って眺めていたのかはわからない。ただ、彼らもここに立ち、同じように上を向いていたのだと思うと、遠い時間がすぐそばにあるような気がした。
「あまり雲がないと綺麗に見えるな」
空の半球を横切る一筋の雲は、雲と言ってよいのかもわからないほど淡く霞んでいた。
「あら、全然ないわよ」
いつもそうであるように、彼女はどんなときでも間違っていない。
そう言いたい気持ちを引きずりながら、私はもう一度空を見た。
「え? あれは……」
次の言葉が出るまでに、一呼吸かかった。
本当は三十秒だったかもしれないし、一秒だったかもしれない。時間の流れがあやふやになる、妙な一瞬だった。
「天の川!」
二人の声が重なった。
街明かりに濁った空の下で暮らしていると、天の川というものを知ってはいても、その姿を知らない。夜空に川が流れていることは知識として知っていた。それなのに、目の前に広がるものが、その天の川だとは思いもしなかった。
さっきまで雲だったものが天の川になった。
その途端、空の蒼さが一段と濃くなった。
見えていなかった小さな星が、遠くに、さらにその奥にあるのがわかってきた。星と星の間にも、まだ星がある。目が届くと思っていた空の向こうに、いくらでも空が続いていた。
見上げていたはずの夜空は、いつの間にか、私たちのいる場所まで広がっていた。




