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『電工の鳴道 ― 光を繋ぐ者たち ―』  作者: 西崎小春


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第16話:共鳴する魂

グローバル・ビルドとの資本戦争を、一万二千人の職人たちの「一揆」とも呼べる結束で退けたトラスト・アイ。相模原のプレハブ事務所から始まったこの物語は、今や日本の建設業界全体の構造を根底から揺さぶる「地殻変動」へと進化していた。

エドワード・チェンが「効率の悪い会社だ」と吐き捨てて去った一ヶ月後。トラスト・アイの事務所には、これまでとは質の異なる来客が絶えなくなっていた。それは敵対するゼネコンの差し金でも、ハゲタカファンドの使いでもない。

「……相沢社長。……恥を忍んでお願いに参りました。うちの若い衆を、三ヶ月でいい。貴社の現場で修行させてはいただけないでしょうか」

頭を下げたのは、都内でも指折りの老舗電気工事会社の三代目社長だった。かつてはトラスト・アイを「新参のモヒカン野郎」と鼻で笑っていた男だ。

「……修行、ですか」 恒一は、使い古された腰袋をデスクに置き、静かに問い返した。

「はい。……今のうちの現場には、目がありません。ただ言われた通りに線を繋ぎ、納期に追われ、事故を起こさなければいいと投げやりになっている。……ですが、貴社の職人たちは違う。内神田でも幕張でも、彼らはまるで自分の家を建てるように楽しそうに、それでいて鬼のような気迫でペンチを握っている。……その『差』が何なのか、我々には分からないのです」

恒一は、事務所の壁に貼られた、ボロボロで煤だらけの『信条クレド』を見やった。 「……差なんてありませんよ。ただ、俺たちは『誰のために灯を点けているか』を知っているだけだ」

この日を境に、トラスト・アイは「自社の利益」を追うフェーズを完全に脱した。恒一が決断したのは、トラスト・アイが持つ独自の技術、そして何よりその「魂の教育」であるクレドを、競合他社も含めた業界全体に開放する**『オープン・トラスト・プロジェクト』**の始動だった。

「……社長、正気ですか!? 技術を公開し、教育システムまで他社に分け与えるなんて。……それでは、我々の優位性が失われます!」 犬飼が、珍しく声を荒らげて反対した。

「犬飼さん。……俺たちが守りたかったのは、トラスト・アイっていう一社の看板か? ……違うだろ。職人が報われ、誇りを持って働ける『世界』だろ」 恒一の瞳には、かつての狂犬のような鋭さはなく、すべてを包み込むような深い慈愛の光が宿っていた。 「うち一社が勝っても、日本の現場は変わらねぇ。……日本中の現場に、魂を込めた線が張り巡らされる。それが俺たちの本当のゴールだ」

プロジェクトの第一弾として、相模原の広大な空き地に、巨大な「実技訓練センター」が建設された。そこは単なる技術習得の場ではない。入所した職人たちはまず、恒一と共に泥にまみれて基礎工事を行い、夜は理恵の炊き出しを囲みながら、「なぜ自分は電気屋になったのか」を語り合う。

「……最初は、金のためでした。……でも、相沢社長の話を聞いて、自分が繋いだ一本の線が、見知らぬ誰かの『お帰り』の声を支えてるんだって気づいた時……涙が止まらなくなって」 ある地方から来た若手職人が、震える声で語った。

その「共鳴」は、ウイルスよりも速く、日本中の現場へと伝播していった。 『トラスト・アイ・クレド』を自社の朝礼で唱和する会社が続出し、現場の資材置き場は整頓され、職人同士の挨拶が飛び交う。かつての「きつい、汚い、危険」の代名詞だった現場が、活気あふれる「誇りの場」へと変貌し始めたのだ。

だが、この「光」の広がりを、冷徹な計算で利用しようとする「真の黒幕」が、ついにその姿を現した。

「……相沢恒一。……君がやっていることは、単なる宗教活動だ。……国家のインフラを、そんな情緒的なもので動かされては困るんだよ」

事務所に現れたのは、国土交通省の元事務次官であり、建設業界の利権を束ねる「建設振興会」の会長、大河内おおこうちだった。大和建設の金子やファンドのチェンなど、この男に比べれば末端の駒に過ぎない。日本の建設行政の「神」とも呼ばれる存在だ。

「……大河内さん。宗教じゃありませんよ。これは『人間』の営みです」

「……フン。……君のプロジェクトのせいで、既存のピラミッド構造が崩れ始めている。下請けが元請けに意見し、コストよりも品質を優先する。……そんなことが続けば、公共事業の予算はパンクし、日本の経済は停滞する。……いいかね、相沢くん。……君に、最後通牒を突きつけにきた」

大河内は、一通の極秘文書を突きつけた。 「……国家公安委員会、および税務当局が、君の『一万二千人の株主』の資金源を洗っている。……これを『組織的なマネーロンダリング』として立件するのは容易い。……君がプロジェクトを解散し、私の指定する大手ゼネコンの傘下に入るなら、見逃してやろう」

かつてない、国家規模の重圧。 犬飼は顔を青ざめ、事務所の空気は一瞬にして鉛のように重くなった。 「……社長……。これは、今までの敵とは次元が違います。……抗えば、本当に全員が投獄される」

恒一は、大河内の冷徹な瞳を見つめ返した。 その時、恒一の背中を押したのは、事務所の外から聞こえてくる、訓練センターの職人たちの掛け声だった。 「……一本の線に! 魂を込めろ!」 「……おーっ!」

恒一は、不敵な笑みを浮かべた。 「……大河内さん。あんたは、一つだけ大きな勘違いをしている」

「……何だと?」

「……俺を捕まえても、この火は消えねぇ。……この一万二千人は、金で繋がってるんじゃねぇ。……同じ『信条』で繋がってるんだ。……もし俺が捕まれば、日本中の現場が止まる。……あんたの守りたい『経済』とやらを、俺たちの指先が止めてみせるが、いいか?」

「……何!? 職人が国家を脅迫するのか!」

「……脅迫じゃねぇ、対等な交渉だ。……俺たちは、もう駒じゃない。……この国を創っている、主役なんだよ」

大河内は激昂し、顔を真っ赤にして立ち去った。 だが、恒一は分かっていた。これが、自分たちに課せられた「最後の試練」であることを。

その夜。恒一は理恵と二人、訓練センターの屋上に上った。 「……相沢さん。……怖くないの?」 理恵が、恒一の袖をそっと掴んだ。

「……怖いさ。……でもな、理恵。……あの時、自己破産して泥水を啜っていた俺を、お前が信じてくれた。……源さんが、柴崎さんが、真治が……みんなが俺を繋ぎ止めてくれた。……その一本一本の線の先に、今、一万二千人の、いや、日本中の職人たちの未来があるんだ」

恒一は理恵の肩を抱き、夜の相模原の街を見渡した。 「……俺たちの仕事は、暗闇を照らすことだ。……たとえ国家という巨大な壁が立ち塞がっても、俺たちが繋いできた『信頼』という光は、絶対に消せやしねぇ」

翌朝。 トラスト・アイの事務所の前には、数台の黒塗りの車が止まっていた。捜査当局の強制捜査だ。 恒一は、理恵に短く「行ってくる」と告げ、自らドアを開けた。

「……待ってください!」 叫んだのは、真治だった。その後ろには、野村、犬飼、そして何百人もの職人たちが、自分たちの「腰袋」を掲げて立っていた。

「……社長が行くなら、俺たちも全員連れて行け! 俺たちの金は、俺たちの汗の結晶だ! それが犯罪だって言うなら、この国の現場の汗をすべて否定してみろ!」

「……そうだ! 相沢社長を渡すな!」 「……俺たちの信条を、汚させるか!」

職人たちの咆哮が、相模原の空を突き抜けた。 捜査員たちは、その圧倒的な熱量と、一万二千人の背後にいる「日本中の現場の怒り」に、足を止めた。

恒一は、一歩前に出た。 「……みんな、ありがとう。……でも、俺は逃げねぇ。……正々堂々と、俺たちの『正義』を証明してくる。……その間、現場を頼むぞ。……一本の線も、手を抜くなよ」

恒一が車に乗り込む瞬間、空から一筋の光が差し込んだ。 それは、彼がこれまで繋いできた無数の「信頼の線」が、一つの巨大な「光の回廊」となって、未来へと続いているかのような光景だった。

相沢恒一、逮捕。 そのニュースは日本中を震撼させた。 だが、大河内たちの目論見は、脆くも崩れ去ることになる。

恒一が連行されたその日から、日本中の現場で「ある現象」が起きたのだ。 サボタージュではない。ストライキでもない。 すべての職人たちが、黙々と、しかしこれまで以上の「超高精度」な仕事を始めたのだ。 『相沢社長が戻ってくるまで、俺たちがトラスト・アイの品質を証明し続ける』 その静かなる抵抗は、当局の「不正」というこじつけを、現場の「圧倒的な誠実さ」で粉砕していった。

拘置所の冷たい床の上で、恒一は静かに目を閉じていた。 壁の向こうから、自分たちが繋いだ「線」が、脈動し、共鳴し合っている音が聞こえる。

「……聞こえるか、大河内。……これが、あんたには決して理解できない、『現場の力』だ」

物語は、ついに最終決戦へ。 相沢恒一という一人の男の魂が、一万二千人の、そして全国の職人たちの魂と完全に共鳴した時。 日本の建設業界に、千年に一度の「真実の夜明け」が訪れようとしていた。

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