3話。約束。
『そうだ、マルルがさっき舌打ちしたのって音で周りを把握するためで合ってるかな?』
「そうです、音を聞いているとぼわーっと辺りの情報が見えてくるんです」
『なるほど、目が見えない分、耳が発達したのかもしれないな』
これって多分反響定位だよな。コウモリが使う奴。音波を当てて物の位置を特定する能力って聞いたことがある。
でも、同じ耳のはずなのに俺にはわからなかったな……慣れたらわかるんだろうけど、それよりもマルルに任せた方がよさそうだ。同じ身体だけど、同じ技術があるわけじゃなし。この身体に慣れているからこそ使える特殊技だ。スキル無しでここまでの性能とか、こっちの方が俺よりもチートじゃないか。
『あーよかった、マルルが俺に怒って舌打ちしたのかと思ったよ』
自分を卑下して少し悲しくなったので、冗談半分でマルルをからかってみる。実際に思ったことだからこれは嘘ではない。
「ち、違います! 怒ってなんていません! ヨイさんにどれだけ助けられているか!」
マルルへの効果は絶大だったようで、首を横へブンブンと振った。視界が左右に揺さぶられ、酔いそうになる。
『ごめん、ごめん、冗談だから首を振らないで!』
俺の言葉に視界がピタッと止まる。マルルが首を振るのをやめてくれたようだ。
「冗談……よかったぁ……ヨイさんに嫌われたらどうしようかと……」
ホッと胸を撫で下ろすマルルに俺は少し罪悪感を覚えた。純粋なこの子に冗談をいうのはこれからやめようと心の中で誓うのだった。
『さて、どうしたもんかな……何かいい案を出さないとな』
「そう、ですね。戻ってもどうしようもないですし……」
今、マルルは洞窟の縁に座りながら俺と作戦会議をしていた。この辺りには大型の魔物しかいないとわかっているからゆっくりと休むことが出来る。
時折彼女がふぅ……と疲れたような息を吐くのが気になった。俺がいるとは言え、一人きりでの探索に心をすり減らしているに違いない。
──身体があれば、この子の寂しさを紛らわせてやれるのにな。
俺がそう考えた時だった。頭の中に声が響いた。どうやら新しいスキルを手に入れたようだ。
【スキル、精神転移を手に入れました。使用しますか?】
『──お?」
「どうかしましたか?」
『いや、新しいスキルが出たんだ……精神を何かに移すことが出来るみたいだけど。どういう効果があるんだ?』
試しにマルルの目に映っている石にでも使ってみるか。──イエス、っと。うわ、真っ暗になった。
(マルル、聞こえるか? おーい! ……どうやら声も聞こえないみたいだな)
これってマルルに俺の本体がいるから精神だけ飛ばしてもスキルは使えないってことか? でも……どうやったら戻るんだ、これ?
(おーい! どうにかしてくれ! 誰か!)
しばらく声を出してみるが、何にも反応が無いのでどうすることも出来ない。考えてから使うべきだったと後悔が胸に募る。今から俺に出来ることはただ時間が過ぎるのを待つことだけ。これで戻れなかったら……。
不吉な未来を想像し、無いはずの身体がぞわっと総毛立つような感覚がした。俺はずっとこのまま石の中で、死ぬことも許されず、ただずっと暗闇を見続けるだけ。
(いやだ! 誰か助けてくれ! 誰か! 俺をここから出してくれ!)
言葉を発しようにも声が出ない、これはスキルに転生したばかりと同じだ。でも、今回はマルルがいない。俺の脳裏にマルルの声が聞こえた気がした。
(一度でいいから、見てみたかったな。マルルとまだ話もしたりない。俺はあの子のことを何もわかっていないのに……)
これで終わりだなんて呆気なさすぎる。そう思っていると、視界が一気に開けて洞窟の地面が見えた。視界が少しぼやけているのは何故だろうか? それに、マルルの泣き声が聞こえるような……。
「ぐすっ……ぐすっ……ヨイさん……どこに行ったの?」
『うわっ、マルル!? どうした!?』
「また、真っ暗で、ヨイさんいないし、私、どうしたら、いいか……わからなくて」
マルルはたどたどしく言葉を紡いでいく。もう涙で前が見えない、堰を切ったように彼女は嗚咽を漏らし始めた。視界が涙で見えないせいか、その泣き声を耳がよく拾い、俺の心が責め立てられていく。こうなってしまったのは、全て……俺の責任だ。
『……ごめん、マルル』
謝るが、彼女は泣き止むことはない。落ち着くまで声を掛け続けよう、それが俺に出来るせめてもの償いだ。結局、身体を持たない俺は彼女にしてやれることなんて殆どないのだと、痛感してしまった。
『なぁ、マルル。俺マルルに約束するよ』
「やく……そく……?」
マルルは俺の言葉を聞き、鼻を啜りながら、オウム返しに聞いてくる。俺はマルルに『ああ』と言ってから、『これからはスキルを使う前にマルルにも声を掛ける。次からは自分勝手にスキルを使わない』と伝えた。
これは最低限の取り決めだ。スキルに勝手にいいようにされたらマルルだってたまらないと思う。もし俺が逆の立場なら普通にブチ切れ案件だ。俺の言葉に、マルルはコクリと頷き「もう一個……約束、してください」と続ける。何だろうと思い、俺は『わかった』と答える。
「もう一人に……しないで」
『……わかった。ずっと一緒にいるよ。約束する』
「はい、ずっと一緒に居てください……」
──その言葉を呟いた後、ようやく彼女は涙を混じらせながらも少し笑ったのだった。
マルルが落ち着いた後、俺達は大型の魔物に向かって歩いていた。今回の作戦は行き当たりばったりだが、勝算はある。それは、さっき【精神転移】のスキルが増えたことだ。
効果はさっき体験した、これは自分の精神を指定の物に飛ばすスキル。もし、これが魔物に効くのなら、俺がその魔物の身体を乗っ取れる可能性がある。やり方はわからないが、何もしないよりマシだろうと思った。
失敗して魔物に攻撃されても、エア・クッションがあれば耐えきれると思う。これは衝撃を吸収する万能の盾となるはずだ。
そうして粘っている間に俺の新しいスキルが活路を切り開いてくれる、といいなぁ。成り行き任せの出たとこ勝負、ベットはマルルの命。こんな分の悪い賭けを本当はしたくなかったが、取れる手段が少ない以上は仕方がない。
『マルル、もう一度作戦は言わなくて大丈夫か?』
「……はい、大丈夫、です」
俺はマルルに確認の意味を込めて聞き直す。返事をする彼女の声が緊張で震えていた。当たり前だ、丸腰で大型の魔物に挑もうっていうのだから。もし逆の立場だったら俺は無理だと言い、立ち向かうこともしなかったはずだ。彼女の勇気には敬意を払いたい。
「──ッ!? チッ!」
急にマルルが目を閉じ、舌打ちをする。これは、エコーロケーション? なんでいきなり?
「チッ! ……ヨイさん」
『どうした?』
「その先にある曲がり角から──来ます」
──突然、道の奥から唸り声が聞こえて来た。大型の魔物と聞いていたのに、足音が聞こえない。しかし、マルルの耳はしっかりと魔物の姿を捉えたのだろう。道の奥からマルルの4倍もあるかと思う程の大きさをした魔物が姿を現した。
そいつは紫色の体毛で全身を覆い赤い鬣を携えていた。金色に光る眼はこちらを捉えている。明らかにこちらを認識しているのがわかった。
「──ガアァァァァァアア!!!」
『「──うっ!?」』
魔物が大きく吠え、マルルは咄嗟に耳を塞いだ。魔物の大きな咆哮はよく聞こえる耳を持つマルルには致命傷になりかねない。
その咆哮は辺りの岩を揺らし、天井から石の粒が落ちてくる。それだけで、魔物が大きさに似合った強さを持ったことはなんとなくだが理解出来た。
──それにしても、でかいな。大きいとは聞いていたが。
思ったより大きい姿に少し怯みかけるも、己に喝を入れる。今マルルを守れるのは俺しかいないんだ、怯んでいる場合か。
『それじゃあ、ちょっと行ってくる。お土産はそうだな、あいつの身体でいいか』
マルルを緊張させないように、なるべく優しい声で冗談気味に俺は言う。これは、ただのお出かけだと彼女に伝わるように心を込めて。
「はい、ここで待ってますね! お気をつけて!」
意図が伝わったのか、マルルは少し笑う。それは緊迫した場面に似合わぬ会話。
でも、俺達にとってこんな物は何らピンチでも何でも無かった。──だって、俺はチートスキルなんだ。これくらい朝飯前にこなせなくて何がチートか。
『──精神転移、発動!』
そして、俺の意識は魔物へと飛んで行き、魔物の精神の中に入り込むのであった。