1話、ヨイ・イノー覚醒。
俺はすっと目を開く。真っ先に目に入って来たのは、視界一杯に広がる白い絨毯だった。その絨毯は柔らかそうな感触をしていそうな程膨らんでいる。それが雲だと気付くのにそこまで時間は掛からなかった。
空は仄かにオレンジがかった色合いをしている。黄昏というのがよく似合うその空に雲は一つも浮かんでいない。
「……どこだ、ここ?」
「天国だよ、彷徨える子羊さん」
疑問に答えるように、後ろから少年の声がした。俺は咄嗟に振り返り、目を疑った。少年はこの世の物とは思えない程、整った容姿をしている。だが、それだけならそこまでは驚かない。問題は少年の頭の上に浮かんでいる淡い光を放つ輪と、背中に生えている大きな翼だ。
それを見て、俺の脳裏には一つの仮説が浮かび上がる。こんな非日常な場所に天使のような少年を見て、そうとしか考えられなかった。
「……夢か?」
「夢じゃないよ?」
正確な受け答えに俺は驚いてしまった。夢の割には何だかリアリティが高い、試しにほっぺたを抓ってみたがやはり痛くない。なるほど、どうやらこれは明晰夢という奴みたいだな。
「うーん、信じてない顔してるね?」
「いきなり天国とか言われても……なぁ?」
ここに身体があるからか、死んだ実感なんて全くといっていい程無い。もし、俺が死んだというのなら証拠を見せて欲しいくらいだ。
俺がその事を少年に伝えると「証拠か……」と下を向いて呟いた。ほら、やっぱり証拠なんて出せない。そう思い高を括っていると少年は俺の目を見てこう言った。
「──少し苦しいけど、我慢してね?」
「……え?」
一言、少年が俺に何かを呟いたと思った時、俺の頭には手の平が当てられていた。その瞬間、脳裏には記憶が流れる。そして、ある場面で記憶は止まり、俺の意識は記憶の中へと飛ばされてしまった。
(⋯⋯交差点?)
俺が飛ばされた場所、そこは俺のアパートから一番近い交差点だった。いつもなら閑散としているのだが、珍しく人だかりが出来ている。パトカーと救急車が集まっているところを見ると、どうやら事故が起きたようだ。
辺りには車の部品やガラスが飛び散り、道路に散らばっていた。それだけでかなり酷い事故現場であることが窺える。
(……まさかな)
嫌な予感がした。俺はこういう時の勘はよく当たる男だ。俺は辺りを見るのを止め、人だかりの方を見る。そこには大破した車があった。その横からはぐにゃりと曲がった腕が見える。車と壁の間に誰かが挟まれているようだった。
俺は恐る恐る人だかりの方へと向かい、人垣を掻き分け間近で《《それ》》を見てしまった。
「──え」
《《それ》》を見た瞬間、俺は絶句した。言葉が出ない、何故なら《《それ》》は死んでいた。それはもう一目でわかるくらいには。目には光が無く、だらしなく首を垂らし、胴体から大量の血を流している。
──そこにいたのは俺だった。俺が血を流し倒れていた。
ズキリと頭が痛む。この場面を見て、消えていた記憶が蘇る。そうだ、新刊を買いに行く時に、ブレーキ音が聞こえて、スリップした車が──。
「──思い出した?」
少年の声にハッと、意識を戻される。少年は申し訳なさそうな顔をしていた。忘れていたツラい記憶を蘇らせてしまったことを悪いと思っているのかもしれない。
「信じてくれた?」
「ああ、証拠を見ちゃったからな……で、君は天使なの?」
現実を見せられてしまったからには死んだことを受け入れるしかない。今更あの身体に戻れとか言われても断るぞ俺は。
「そうだよ、稲生宵さん。僕はライラ、魂を司る天使さ」
「どうして俺の名前を知っているんだ?」
突然、名前を呼ばれて俺は驚いた、さっきまでは俺の名前を知らないような素振りだったのに。
「今、宵さんに触れた時に記憶を見たんだ。稲生宵、22歳、父と母は既に他界、友達は誰もいなくて、趣味は読書。一番好きな本は妹──」
そこまで言われて俺は手で次の言葉を遮った。もういい、これ以上言わなくて。
「やめてくれ、それ以上は俺の尊厳に関わるから」
「別にいいのに、人の趣味なんてそれぞれなんだから。……よし、基準はクリア、元の世界に思い残しは無いかな?」
「……いざ言われてみると特にないな。強いて言うなら新作が読めなくて勿体ないくらいか」
両親は既に死別してるし、特に友達もいないし、俺が死んで悲しむ奴に心当たりはない。⋯⋯何だか悲しくなってきた。
「それなら大丈夫だね。では、稲生宵さん。今から説明するね。貴方には今から《《ラビリッツ》》という世界に転生してもらいます」
「ラビリッツ? 地球じゃないのか?」
「死んだ魂は他の世界に行くことになっているんだ。同じ世界に留まると魂に穢れが溜まるから」
「穢れ? なんだそれ。まあいいか、どっちにしろそのラビリッツ⋯⋯ってところに行くのは確定なんだろ?」
「うん、そうだね。あとね、ラビリッツに行く時に一つだけ願いを叶えます」
「……何でもいいのか?」
ライラは俺の言葉に頷く。異世界に行くに当たって破格の条件が付いて来た。
俺は前々から密かにこういう時の為に考えていたことがある、その選択肢は二つ。チートスキルかスローライフ。そして、いざその時が来た時、俺の天秤は少しチートの方へと傾いていた。
(……やっぱり、チートスキルかな。本を読んでてあったらいいなぁって何回も思ったんだよなぁ)
チートスキルで異世界を無双する主人公、俺はそれに憧れたこともある。なんなら今も憧れている。紅蓮の魔導士とか呼ばれてみたいな。
「チートスキルにしてくれ、万能の奴がいい。欲しい能力が随時増えていく感じでさ」
「え、チートスキルにして欲しいの?」
少し驚かれたが俺は頷く。とりあえず、それさえあれば何か起きても安心だろう。後はやりすぎないように注意しないといけないけどな。出る杭は打たれるということわざがある、日常に溶け込むのに努力するとしよう。
「そうだ、スキルが覚醒するのに条件があれば尚いいな、ピンチの時に覚醒するように出来るかな?」
俺が詳しく説明をしていると、ライラは何故か怪訝そうな顔をしていた。何かおかしなことを言っただろうか? 流石に中二病すぎたか?
「本当に、いいの?」
「ああ、それで頼む。それしか考えられない」
「本当に、いいんだね!?」
どうして何回も念を押してくるのだろうか? そこまで言われると少し不安になってしまうじゃないか。
「しつこいな、いいって言ってるだろ」
「貴方の気持ちがそこまで固いなら、僕はもう何も言えないけど……それじゃあ、転生の準備をするね」
ライラが目を瞑り、天に手を掲げると俺の身体はゆっくりと薄らいでいく。これが転生か、もっと派手になるかと思ってたが以外と呆気ないもんだ。このまま次の世界か、なんだか実感がわかないな。
「あ、そういえば⋯⋯俺は何に生まれ変わるんだ? 流石に人間にしてくれるんだろうな?」
本では異世界でスライムに転生したり、ゴブリンに転生するのを見た。人外だけはやめて欲しいと思った。それを聞いたライラの顔は……呆然としていた。
その顔を見て、俺は嫌な予感がした。ライラは、恐る恐ると言った感じで喋り始める。その言葉を聞いて俺は驚愕した。
「──す、スキルになりたいんじゃないの?」
「……え、ど、どうしてそうなるんだ!?」
「だって、宵さんチートスキルにしてって言ったもん!」
「そういう意味じゃねぇよ!? どんな取り違いだよ!」
──よかったぁ、間違いが起きる前で。スキルになるなんて状況、意味がわからない。自由が無くなるってことだろ? 宿主の奴隷として扱われ続けるなんてまっぴらごめんだ。
「取り消しだ取り消し、早くキャンセルしてくれ」
俺はライラに早く止めるように促す、しかし、ライラは顔を青くさせ、俺に絶望を突きつける言葉を放ってきた。
「ごめんね……もう無理なんだ」
「……嘘だろ?」
ライラの顔は少し涙ぐんでいるようにも見える。失敗したことに凹んでしまったようだ。……泣きたいのはこっちなんだが!?!?
「え、スキルになるって……どうなるの、俺?」
俺の身体から溢れる光はどんどん強くなり、意識と身体が薄くなっていく。消えいく俺に、ライラは最後……こう告げた。
「────宿主と仲良くしてね」
それが、俺が天国で最後に聞いた言葉となった。
(──ッ!? どこだここ!? 身体、身体はあるのか!)
俺が次に見た景色は真っ暗な闇の中だった。ここがどこなのかわからない。わかるのは天国とは違うということ。
身体が動かない、言葉が出せない。辺りを確認しようにも視界は真っ暗で何も見えない。どうやら、話に聞いた通り、スキルの身体になってしまったようだ。
(こんな状況で一体何をしろってんだよ!)
俺が困り果てていたその時だった。突然、耳に男の声が入ってきたのは。
「マルル、お前は追放だよ! 珍しいスキルだから使い物になると思ったんだが糞程使い物にならねぇ!」
(うおっ! なんだいきなり!?)
男が誰かに向かって怒鳴っている声が聞こえる。その声に、俺は一瞬驚いたがすぐに状況を把握する為に耳を澄ますことにした。
「ちょっとダラズ、本当のことだけど言い過ぎだって。それにさ、追放にも金がかかるでしょ? 補償金だっけ、払うの嫌じゃない?」
次は女の声が聞こえて来た。女は少ししゃがれた声で嫌味たっぷりといった感じで誰かに喋り掛ける。
俺が耳を傾けている間にどんどん話が進んでいく。どうやら、マルルという人物を追い出そうとしているところまではわかった。そして、更にどもった声の女が喋る。
「じゃ、じゃあさ、このダンジョンに置いていけばいいんじゃない? それか事故に見せかけて殺すとか。そ、そこの穴から落としてさ」
(殺すとか物騒なことを喋ってるな……かと言って俺にはどうすることも出来ないんだけど)
耳しか使えない状況では現状を整理することしか出来ない。わかったのは、マルルという人物を殺そうとしていることだけだ。
「そ、そんな……」
女の子の声が俺の身体の近くから聞こえてくる。この子がマルルか、なんだか落ち着く声をしてるな。俺が動ければ助けてあげるんだけど⋯⋯。
俺がマルルに何かをしてあげようと思っても、身体が動かないから何もしてやることが出来ない。そもそも、今の俺がどういう状態なのかを誰かに教えてもらいたいのに。
「そりゃいいな、じゃあサヨナラってことで。あばよ、マルル」
──ドン。
「──きゃああああああああ!?」
誰かが押した音と共に、つんざく悲鳴が辺りに響き渡る。しかし、何故かそれは《《俺自身》》の身体から発せられているように感じられた。
そこで、俺は天国で最後に聞いた言葉を思い出す。──宿主と仲良くしてね。ライラは確かにそう言ったのだ。
(──って、この子が宿主ってことかよ!)
ようやく俺は現状を理解する、俺はマルルのスキルとなり、彼女のピンチに覚醒したのだと。
何も見えないが、きっとマルルは穴を落ちている最中だ。なら、俺がなんとかしないと間違い無くこの子は死ぬ。あの糞共に殺される。それだけは許せない。
──でも、この子が死んだら違う世界に行けるんだろ? お前、スキルの身体で満足なのか?
スキルの身体を拒む俺の本能が、悪意を投げかける。だが、そんなものどうでもいい。この子を死なせたら悔いが残る。
それに、こんなことで死なせてしまえばチートスキルの名前に傷が付く。最強だぞ、俺は。
(殺させてたまるか、俺がこの子を守ってやる!)
しかし、気合を入れたのはいいものの、スキルの使い方がわからない……どんなスキルがあるのかさえも。
(──出ろよ)
こんな状況くらい切り抜けないとチートスキルの名が廃るぞ。だから──出ろよ。
(チートスキルになったんなら、何か使えるスキルがあるだろ! 出てくれよ!)
【スキル、空気緩衝材を獲得しました。発動しますか?】
(──イエスだイエス! 頼む、効いてくれ!)
頭の中で声が聞こえてくる。俺は突然の事に驚いたが、迷わずそれに飛びついた。それは、俺の上に垂れてきた蜘蛛の糸。今の俺にはそれしか残されていない。
「──え、何!?」
マルルが困惑した声を出す。どうやら上手くスキルは発動したみたいだ。俺はそのままエアクッションを使い続け、彼女を安全に降ろす為に全力を尽くした。
「な、なにが起きたの?」
マルルが落ち着いた声を出したのを聞き、無事に下まで降ろせれたことを安堵した。しかし、視界は真っ暗なままで何も見えない。このままでは困る。
【スキル、精霊眼を獲得しました。発動しますか?】
また頭の中に声が響いた。俺は即答でイエスを選ぶと視界に光が溢れ、周囲を見ることが出来た。石で出来た穴が奥まで続いている。それは、洞窟のように見えた。
(これがダンジョンって奴か!)
初めて見る異世界の物に少しテンションが上がる。そんな俺とは違い、マルルは戸惑った声を出していた。
「え、なんで目が……もう諦めてたのに……」
マルルが慌てている、そうかさっき真っ暗だったのは目が見えなかったからか。困惑させっぱなしなのも悪いし、次は交友をはかってみるか。
──あー、マルル聞こえるか? うん、反応が無いところを見ると聞こえてないなこれ。
一度試しに声を出してみるが、マルルは反応を示さない。どうしたらいいんだろうか、このままでは不便で仕方ない。マルルが見る物を見ているだけの人生なら意識なんて無い方がいいとまで思う。
(彼女と会話がしたい、だからなんかいいスキル出てくれ!)
【スキル、念話を獲得しました。発動しますか?】
(よっしゃ、狙い通り! これで一回試してみるか)
もう頭の中に声が聞こえるのが驚かなくなってきた。俺はイエスと答え、即座に試してみることにした。頭の中にある声をマルルの頭へと送るイメージで……。
『あーあー、マイクテス、テス』
「え、だ、誰!?」
どうやら成功したみたいだ。俺はそのままマルルに話しかけてみた。
『どうも、俺はマルルのスキルになった稲生宵だ。まぁ、お助けさんだと思ってくれていい』
「えっと、私のスキルってことは『ヨイ・イノー』⋯⋯さんなの?」
どうやら、俺の名前はヨイ・イノーと呼ぶらしい。前の世界での名前だったことに少し驚いたが、なるべく平静を装いながら会話を続ける。
『そうだ、そのヨイ・イノーさんだ。わけあってこんな姿をしているが元は人だ』
「は、はぁ……」
『いきなりこんな事を言われて戸惑うのも仕方ないと思う。でも、俺だけは君の味方だということだけはわかって欲しい』
「……もしかして、さっき落ちた時に助かったのもあなたのおかげ?」
『そうだ、俺のスキルの一つであるエアクッションを使っておいた』
俺がそう言うと、マルルの「やっぱり! ありがとうヨイさん!」と明るく笑った声が聞こえてくる。よかった、いい宿主に当たったようだ。
しかし、こんないい子を殺そうとするなんてあいつらは絶対に許さん。顔は見えなかったが声は覚えたからな。
【スキル、絶対記憶を獲得しました。発動しますか?】
この頭の声に俺は……ノーと答える。多分、スキルはマルルと共有してしまう。今マルルの心は傷ついているはずだ。こんな記憶をずっと残しておいて欲しくはない。俺がずっと覚えておけばいいだけの話なのだ。
『とりあえず、この場所から外へと出ないといけないな。マルル少し動いてみようか。ここがどうなっているかを確認したい』
「う、うん……少し怖いけど……ヨイさんがいてくれるなら……」
──そして、俺達はダンジョンの中を歩き始めた。──このダンジョンの最奥は別名、『奈落』と呼ばれる最難関ダンジョンの一つであることを、この時の俺達はまだ、知らなかった。