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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

涙捜

作者: 榛名白兎

 友曰く、あずさは感情が欠落している。幼少期からあだ名は変わらず、常にロボ少女と呼ばれている。そしてそんなことは気に留めることなく、彼女は日々を過ごす。父親を亡くした時には既にロボ少女と呼ばれていて、涙を一粒も零さなかったことは友人間ではあまりにも有名な話だった。

 事務的で淡々とした人間関係は退屈とも言えるが、感情の起伏が引き起こす諸問題に悩まされることのない毎日は、他の人々よりも順調に過ぎていると彼女は言う。

 その日は快晴、だからといってあずさは明るい気分になるわけでもなく、春の陽射しを受ける私は目の前に座る彼女の指通りの良さそうな黒髪を眺めていた。

 授業に集中することができず、私は結局あずさの髪を鑑賞することでその日最後の授業を終えて、終業のチャイムに耳を傾けた。


 私は彼女の世界が知りたい。

 私の毎日は小さなことでも一喜一憂、気分も表情もころころ変わり、一人百面相なんていう変な二つ名がついたこともある。私の世界はいつも感情を中心に変化して、キラキラ輝くのもドンヨリ暗くなるのも全て私次第なのだ。

 では彼女は。

 彼女の世界は何を中心に回っているのか。自分の行動、親の言葉、ロボット的に一つの命令に基づいているのか、はたまた中心なんて無くて何よりも自由な世界なのか。

 そう考えると、私にはあずさの全てが魅力的に思えてならない。誰かが言った、膨大な夢を孕んだ無とは、彼女に当てはまるだろう。誰も知らない彼女の世界。無いからこそ、私達は想像することが出来る。もとより人の心の中なんて知り得ないけれど、彼女の謎は格別なのだ。

 初めて見たときから、私はあずさに見とれている。ずっとだ。ずっとずっと、彼女の世界を追っている。でも、その生活に慣れてしまえばそれだけじゃ物足りなくなるというもの。

「あずさ。私、あずさのことを知りたい」

 人の居なくなった教室で一人、黙々と掃除をするあずさに話しかけたのは、もちろん私。私の目には既に掃除も終え綺麗に見える室内だが、彼女にとっては足りないのだろう。あずさは箒の動きを止めずに、口を開いた。

「わたしもです」

 その言葉を聞いたとき、私は迷った。今の言葉は果たしてどのような意味なのかはかりかねた。自分自身を知りたいという彼女らしいものか、もしかしたら私のことを知りたいと思ってくれたのか。

 いつの間にか箒を片付けたあずさは、俯く私の顔を覗き込み続けた。

「何故泣くのですか。涙とはどのように出すものですか」

 彼女は至って普段通りに、しかし意外な言葉を告げた。感情の無いという彼女が涙に興味を示すとは、これまた不思議な話である。実際には感情が全く無い訳では無いのか、知りたい。

 泣く。泣くとは、涙とは。そう聞かれれば、まず思い浮かぶのは悲しみ。そして感動、嬉し涙。一概に泣くことといってもそれには数多の意味があり、私には到底語り尽くせるものではない。

 特に私の場合は、悲しいとか嬉しいとか、そのような想いや気持ちより先に、涙が出る。理解の前にフライングしてしまう。怒ってる表情や歓喜する声、景色の美しさにすら涙する。それではどのように説明するか。折角関わるきっかけを持てたのだ、手放す気にはなれなかった。

 そして悩み悩んだ末に至った結論は、共に様々なことを見聞きするという単純な答え。

「説明は難しいから、一緒に感じてもらいたいな」

 私からその提案を聞いたとき、彼女はマスターを見つけたロボットのように、抑揚のない声で受け入れた。

 それから私達は、まるで恋人かのような距離感での生活を始めた。


「暑いし、疲れたあ」

「そうですね。冷えた麦茶をどうぞ」

 学校が終わったあと、私達は揃ってあずさの家に帰り、彼女の母親が居ない間、私と彼女の時間となる。すっかりその生活に慣れた私は麦茶を受け取ると鞄から幾つかの平たいケースを取り出した。

「今日も観てくよ」

 そう言ってケースから取り出すのは、有名な映画のDVDだ。全米が泣いたという最早聞き飽きた宣伝と共に日本でも大流行した、大人になりきれない男女の恋愛譚。私も観るのは初めてなので楽しみだ。


「スティーブうぅ」

 映画を見終わった私はぼたぼたと涙を流しながら、歓喜していた。まさかあの時の言葉が最後に関係していたなんて思いもよらなかったし、何より幸せそうな二人の笑顔が演技とわかっていても泣けてしまう。

 あずさを見れば、彼女は泣いてもいなかったが、少し口の端を上げていた。少しずつ彼女は笑うようになってきたのだ。

 ぎこちなさは抜けないが笑を見せた彼女は

「とてもさっぱりとした終わりで、美しい作品でした」

 と淡々と告げると、私に向き直る。そして彼女はいつものように、私に顔を近づけて問う。

「この涙はどのような涙ですか」

 私は笑顔で答えた。

「嬉しい涙だよ!」

 あずさは私の返答を聞くと二度頷き、それからノートにさらさらとメモをとる。先程観た映画のタイトルと、その横には嬉しい涙という書き込み。

 そして書き込み終えてテレビの電源を落とそうとしたあずさに、私はにやりと不敵に笑った。

「あずさ、今日は二本、観ちゃうよー」

 私が取り出したのは夏の日にぴったりな、おどろおどろしい幽霊が登場するホラー映画。理解できないものが苦手なあずさはそれを見てぴくりと眉を動かすと、平静を装ってすまし顔になる。私は遠慮無くその映画を再生した。


 翌日、私はいつもより早く登校し、席替えで隣の席になったあずさを待つ。彼女は予鈴の十分前ちょうどに席に着くので、まだまだ時間はある。

 私はスマートフォンをポケットから取り出すと、次に借りる映画を吟味する。夏だしそろそろホラーメインで選びたいが、あずさは怒るだろうか。想像すると可愛くて、ふふふと笑みがこぼれた。

 そうしているうちにちらほらとクラスメイトたちが教室に現れ始めた。カラーリップをして髪を巻いたキラキラ女子たちがリップグロスを塗りながら席に座り、朝練終わりの野球部員が汗を拭きながら荷物を置いた。

 気分の良い私はそれらを見て「ああ、素敵な朝だ」と心の内に呟き、スマホの電源を切った。

 するとタイミング良く、隣の席に座る者がいた。誰かって、それはもちろんあずさだった。あずさは私を見ると挨拶するが、返す時に見た彼女の表情には不満が浮かんでいた。

 まだ昨日のホラー映画のことを怒っているのだと察した私は少し申し訳なく思いながら謝って、すぐに機嫌を直したあずさと他愛ない会話を始めた。

 その時、私の耳に小さく「あずさ」という単語が届いた。耳を澄ませてみれば、それはキラキラ女子たちの会話内容のようで、私は意識をそちらに集中させた。

「それなーわかるー」

「あずさ、最近ちょっと笑うじゃーん」

「かわいいよね」

 悪口かと身構えた私はその会話内容に拍子抜けして、同時にひしひしと嬉しさが湧き上がるのを感じた。

 大好きなあずさが、褒められているのだ。私は上機嫌になり、世界がさらに輝いた。


 アスファルトを彩る鮮やかな落ち葉を踏みつけ、私はあずさの家の前に来ていた。今日は帰り途中に石焼き芋を買ったので、あずさが喜んでくれるか楽しみにしていた。

 そして今日借りてきたのは「綺麗なバッドエンド」というキャッチコピーの映画だった。秘蔵の映画である。私は見るのが初めてではないが、この映画は私の中で最高の作品だった。

 出迎えてくれたあずさは相変わらず表情が分かりにくいが、感情がないなんてもう言えない、ちょっとクールな美少女といえた。私の自慢のあずさ。

 早速映画を流し石焼き芋を手渡すと、失敗に気付いた。石焼き芋、映画の雰囲気をぶち壊していた。

 私は苦笑しつつ、しかし嬉しそうに受け取ったあずさを見て気持ちを改め、映画に集中した。


 泣く私、いつもより感慨深そうに頷くあずさ。映画はエンドロールを迎え、文字列が視界の端で流れる中、私は「これは悲しい涙だよ」と告げた。

「わかりました」

 そう言っていつも通りにメモをとるあずさ。私はその見慣れた様を見て、そして彼女の幾ばくか人間らしくなった表情を見て、頬を緩めた。

 無言になった空間にシャーペンと紙が擦れる音が響く中、私はふと、何気無い会話のように口にした。

「そういえばさ、私、転校するんだよね」

 悲しんでくれるかなぁと少し期待して口にした言葉だったが、あずさは少し黙り込んだのちに「そうですか」と、ロボ少女らしい完全に感情の抜け落ちたような表情で言った。


 それからも何事も無かったかのように過ごした。家で映画を観て、たまには映画館に出向いたり、またはライブなどを見に行ったり。

 そのまま流れるように流されるように過ごして、冬季休業の終わりに担任から私の転校が発表された。

 朝の席替えで私の後ろの席になったあずさの顔を見る勇気は、私には到底湧かなかった。こういう部分はロボ少女の名残りがあるのかなんて言葉が、失礼だと思っていても頭に浮かぶ。彼女に悲しんでもらいたかったから涙を教えようとしていたわけではないのに。それなのに不満のようなモヤモヤとしたものが私の心に堆積してしまうのだ。


 終業式。

 その日はまだ気温が上がりきらずに桜も咲かず、新緑と空の青のはっきりとしたコントラストと澄んだ空気で満ちていた。

 式を終えた私はこれからお別れ会の主役として教室に来ていて、引越しの準備を親に任せることになっていた。最初は断ろうとしたが、しかし親がどうしてもと譲らないので私が折れたのだ。

「……向こうでも頑張ってね」

 簡単な別れの言葉を委員長が言い終えた時には、私の気持ちは別の方に向かっていた。それはなかなか軌道修正が出来ずに、級友たちが歌を歌っている時も、うわのそらだった。

 泣くことを期待していたのか一部の女子が面白くなさそうに私を見るが、なんだかそれすら別の世界での出来事のように思えてしまった。

 以降も用意されたお菓子にもほとんど手をつけずに、結局私は一度も泣かずにお別れ会を終えてしまった。

 申し訳なさが胸を満たして、皆が去った後の教室で私は顔を歪める。これではまるで私がロボ少女ではないか。何故泣けないかがわからない。涙が出そうなくらいに感情は揺さぶられている筈なのに、何かがつかえているのかのようだった。

 窓から射し込む陽は私には届かずに数歩先を照らす。乱れた机の並びが、心が、私の世界を暗く魅せる。

 うなだれる私は、とうとう泣くことを諦めて踵を返した。そして教室の前のドアから出ようとしたときに、その先の廊下に人影を見た。灯りの消されて薄暗い廊下。まるで幽霊かのように立っていた。

「今日は映画は観ませんか」

 無機質な表情で、あずさが言った。

 私はロボットのようになったあずさを見て、懐かしさと同時に、焦りを感じる。せっかく笑ってくれたのに、私がロボ少女に戻してどうする、と。

 それは思い込みなのかもしれない。私なんかのことで彼女が変わるなんて、それほど私が彼女にとって大切な存在だなんて。でも私は信じて疑うことなく、あずさに一歩近づいて口にする。

「ごめん、今日は準備がある……から」

 少し間を開けて「……引っ越しの」と言えば、あずさは表情を変えた。眉間を寄せてジト目になり、私に数歩近づいた。どきりと胸が鳴る。

 すると彼女は姿勢を低くして私の顔を覗き込むかのような体勢になり、キッと睨みつけるように目を合わせる。

「あなたはずるい」

 あずさがぽつりと呟き、それが起爆剤になったかのように彼女は声を荒らげた。

「あなたはずるいです!自分からわたしを誘っておいて、わたしにちゃんと涙を教える前に去るなんて、ずるい!あなたのことを知りたい、わたしを知ってほしい、もっと一緒にいたい……。あなたが悪いんですよ!わたしをこんな風に壊しておいて、無責任に!どうして!どうしてもっと前に話しかけてくれなかったんですか!」

 彼女はくしゃりと表情を崩してまくしたてる。普段は口数が少ないのに、初めて見るくらいにたくさんのことを口にした。その姿は思春期の少女そのもので、きっと彼女の世界も私の世界と同じように感情に色付いているに違いない。

 見当違いなことを考えて少し口元が緩んだ。彼女の言葉が嬉しかった。でも笑われたと思ったのか、彼女は続けた。

「責任をとってください!私に涙を教えるまで、行かないで……!」

 吐息がかかるくらいの距離にまで近寄り訴えるあずさは、怒った表情で泣いていた。

「涙」

 私は思わず彼女の頬に手を伸ばし、涙に触れた。あずさはその手に驚いてか一瞬びくりと震えるが、そののちに瞳をいっぱいに開けた。

 ぺたぺたと自身の頬を触る彼女はきっと、気づいていなかったんだ。

 優しい笑顔で泣いている彼女を見ていると、彼女は突然私に抱きついてきてそのまま泣き続けた。耳元で聴こえる、あずさの声。私も気づいたら泣いていた。

 大好きだよ、またね。そう言って泣いた。

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