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エル 5

それから少し経って、少女は部屋に呼び出したエルに石を手渡した。


「姫さん、いくら俺でもこの贈り物は喜べねぇわ」

「あら、そんなことはないと思うわよ。

それよりその呼び方、まさか定着させるつもり?」


お嬢様と呼ぶのが長くて面倒だからと、エルが冗談で口にした呼び名だったが、本人は割と気に入っていた。


「俺にとっては皇帝の娘もお前も同じくらい偉いやつだし、別にいいだろ?」

「自覚があるならいいけれど……外で呼んではだめよ」

「もちろん心得ております、お嬢様」


執事長の真似をしてお辞儀をすると、少女はころころとおかしそうに笑った。


「執事長をお手本にしたのね?

あの人、いつ見ても隙のない所作をしているのよね。今でもかなり鍛えているようだし」

「マジで格好いいよな、あのジイさん。俺も眼鏡かけようかな」

「名案ね。多少は知的に見えるかもしれないわ」

「おいこら」


エルが額を小突くと、少女は笑いながら手を掴んだ。


「冗談よ。エルは顔立ちがいいから、きっと眼鏡も似合うと思うわ」

「適当なこと言うんじゃねぇよ」

「本当よ? それがあなたを執事にしようと思った理由だもの」

「ええ……」


思っていたよりもくだらなかった。


「好みはひとそれぞれとはいえ、整った容姿は相手に好印象を与えるものよ。

言葉や所作の美しさを身に付けるのも大切だけれど、生まれつき持っている素質を磨くことも重要だと思うわ」

「姫さんはどっちがいいんだ?」

「そうね、私はそのままがいいと思うわ。あなたの一番美しいところは瞳だもの」


真っ黒な瞳を持つ人間はいないと言われているらしい。

旅をしている途中、出会うひとたちに物珍しそうに見られるのは少しいたたまれないものだったが、少女の嬉しそうな視線は悪くない。


「姫さんの目も綺麗だよな」

「ありがとう。うちの家系は赤に近い色になることが多いらしいのだけど、時々皇族の色が混ざるのよね」


皇族は青い瞳が多いらしく、この国の国旗にも青が使われている。

人の手で作り出すことが難しいとされていることもあり、とても貴い色なのだそうだ。


エルは澄んだ青空よりも、夜の訪れを告げる夕暮れのような少女の目のほうがずっと貴いと思う。


「それで、その石のことだけれど」

「石」

「まさか忘れていたの?

本当に忘れっぽいのね、エルったら」

「うるせぇな。それで、これはなんだよ?」

「もちろん、ただの石よ。神殿で清めてもらっただけの普通の石」

「お前……なにやってんだお前」


ただの石を清めさせられる側の気持ちにもなってやってほしいものだ。


「そうすることで、ただの石も立派な聖具になるのよ。すごいわね神様って」

「そこは神殿だろ」

「ううん、神殿は神様を独り占めして、勝手に我が物顔してるだけよ。

でもそうね、そのおかげで聖域が守られているのだから、文句は言えないわね」

「つうかお前、いつの間に神殿に行ったんだよ」


また懲りずに抜け出したのだろうか。

少し腹立たしく思うが、自分は神殿には入れないため、次は連れて行けとも言えない。


「今回はちゃんとお出かけのついでに寄ったわよ。

神殿に礼拝すること自体はおかしなことではないわ」

「拾った石を持ち込むのはおかしなことだけどな」

「石でなくてもいいのだけどね。

珠とか、本とか、空間が閉じられたものであれば」


言いながら、ぎゅっと手を握り込んでみせる。


「こうして、閉じ込めるのよ」

「閉じ込める?」

「そう。聖具は、聖句と組み合わせて力を発揮するわ。

それを持ったまま、同じように繰り返してみて」


言われるまま、少女の言葉を則って舌に乗せる。

それが聞き覚えのあるものだと気付いた時には、急激な眠気に襲われて気を失っていた。




(いやまたかよ)


あの少女は何度自分を気絶させるつもりなのだろう。

そう思いながら自室のベッドで起き上がると、今度はちゃんと室内に少女がいた。


「あら、良かった。今回は半日で目が覚めたわね」

「……」


胡乱な目を向けるエルに対し、少女はご機嫌な様子でやりかけの刺繍を横に避けた。


「やはり眠ってしまうのは避けられなさそうね。

あなたは影と同化してるようなものだし、仕方がないのだけれど」

「……なにをしたんだ」

「あなたの力をこの石に移したの」


そう言って、少女が手の中で石を転がす。


「この石、私には真っ黒に見えるのだけど」

「さっきとなにも変わってねぇけど?」

「ええ、ビビもそう言っていたわ」


手渡され、ひっくり返してみたりなどしてみたが、どう見てもただの石だった。


「あ、ひびが入ると影が漏れちゃうから、気を付けてね」

「どういう仕組みだよ……」

「ちなみに聖水に一日浸けておくと、ちゃんと浄化されることも確認済みよ。

寝る前に使って、朝聖水に入れておけば、次の日にはまた使えるわ。とっても便利ね!」

「だからどういう仕組みだよ!?」


なんとか詳しく聞き出したところによると、夜に屋敷を抜け出した際、少女は神殿に行って色々実験していたらしい。


「なんでわざわざ夜に抜け出したんだよ」

「だって、ビビが手伝ってくれるというから」

「?」

「あの子ったら、本当に優秀ね。

こっそりお手紙を届けてもらいに行ったついでに、あんなとんでもない秘密を……

あらいけない、これは内緒のお話だったわね」

「……」

「それでお友達になった彼に協力してもらったんだけど、ついつい議論が白熱してしまって……

気付いたら朝になってしまっていたの。とても反省しているわ」


彼という言葉が気になったが、これ以上足を突っ込みたくなくてエルは追及をやめた。


「エルの力が神罰かもしれないと思って、色々調べていたけれど、神殿の情報がほとんど見つからなかったのよ。

だから直接行ってみたら、一気に問題が解決したわ。最初からこうしておけばよかったって思ったくらい」


少女曰く、聖具を持って聖句を唱えることで、影を吸い込んで中に閉じ込めてくれることがわかったらしい。

聖水のように持っても嫌な感じがしなかったのは、聖具としての力ごと器の中に吸収されているからだという。


「染み出してしまっていては意味がないの。エルの影も一緒に溢れてしまうから。

あの時は本を使ったけれど、本だと聖水に浸けておけないから、石にしてみたわ」

「……本当に、こいつが俺の力を吸ってくれたのか?」

「ええ。あなたには見えなくても、私には見えるわ。

いつも黒い影をまとっていたあなたの姿が、今ははっきりと」

「……」

「でもあなたの吸引力ではすぐに元に戻っちゃうから、ちゃんと毎日使ってね。

あっ、石だと水を吸ってしまうし、今度宝石を持ってきてあげるわ!

エルの瞳のような、黒くて綺麗な宝石にするから。楽しみにしていて!」


手を合わせて楽しげに笑う少女を、エルは言葉にならない気持ちで見つめた。


「……それなら、姫さんの色がいい」

「私の?」

「ああ。綺麗な……世界で一番綺麗な、(アメシスト)がいい」

「あら、エルったらわがままね。

いいわよ、私の絶妙な目利きで、世界一の宝石をあなたに贈ってあげる!」


(まぁそれでも、お前には負けるんだろうけど)


目の前にあるもの以上に、素晴らしい宝石がこの世界に存在するとは、エルは思えなかった。


ベッドから身を乗り出して、少女の柔らかい身体を抱き締める。


「……ありがとな、姫さん」

「ふふ、いいのよ。ぜんぶ、私自身のためにしているのだもの」

「うん。俺と、一緒に生きてくれるんだもんな」


花に似た、甘い香りのする髪が、絡んだ指の隙間を滑り落ちる。

あの日目を奪われた輝きが、今この手の中にある。


(俺の手がどんなに穢くても、姫さんは拒まないんだろうな)


そしてそれを確かめて、エルはその度に安堵するのだ。

自分はここにいてもいいのだと。


「ええ。一緒に生きて、幸せになるのよ」

「……俺は、姫さんがいればいい」

「今日のエルはなんだか素直ね。ううん、元々素直な子なのかしら」

「悪いかよ」

「いいえ、とても嬉しいわ」


身体を離し、少女はエルの両手を握った。


「大丈夫よ、エル。もうなにも失わせないわ。あなたと、あなたが大切に思うものもぜんぶ。

それがあなたが今代わりに生きている人たちだと言うのなら、その人たちのぶんも、あなたを幸せにする」

「……それは俺のやるべきことで、姫さんは関係ないだろ」

「あなたが言ったのよ? 呪いも私に預けるって。

生きることが呪いなら、私は、あなたがいつか生きていてよかったって思えるように、たくさんの幸せを贈りたい。

私ね、思うのよ。神様は、誰かのために死んでしまったあなたに罰を与えたけれど、もう一度生きる機会も与えてくれたんだって」


エルの手を包んだまま、少女は目を閉じる。まるで祈りを捧げるように。


「だから私は神様に感謝しているわ。あなたはそうは思わなくても、私にとっては……もしかしたら、あなたを一度失っていたはずの人たちにとっても、それは祝福だったかもしれない。

そう思うのは、あなたを大切に思う私たちの身勝手なのだけれど」


エルはふと、あの日のことを思い出す。

目を覚まして、泣きながら抱き締めてくれた両親のこと。

神様、ありがとう。何度もそう繰り返していた。


「……あのまま死んでたほうがよかったって、俺が言ったとしても?」

「それでもよ。それでも、生きていてくれてよかったって思うわ。あなたが生きていて、出会えなければ、こうして手を握ることもできなかったもの」

「……ずりぃな、みんな。姫さんも。

俺なんか……生きてる価値もねぇって、そう言ってくれたほうが、ずっと……っ」


ずっとマシだったって、そう思うのに。

なぜかそれ以上声にならなかった。


「仕方ないわ。エルはとてもいい子なんだもの。

それにきっと、誰かの代わりに不幸を背負い続けたあなたは、そのぶん周りのひとたちを幸せにしていたはずだから」

「……っ」

「そしてこれからも、あなたは誰かを幸せにできるの。

あなたがそういうふうに力を使いたいと願う限り、あなたの力は誰かの不幸を代わりに受け止めてくれるわ」

「俺が、誰かを……」


(不幸にしなくていいだけじゃなくて。

誰かを……こいつを幸せに、できるのか?)


そんなこと、考えたこともなかった。


「罪は消えない。癒えない痛みもあるわ。

だからこそ、得られる喜びもあると私は信じてる。

あなたにしかできないことや、見えないものは、たくさんあるの。

罪を忘れろとは言わないわ。でも、影に囚われて大事なものを見失わないで。

幸福を得ることは、裏切りでも、傷を広げるためでもないのよ」


幸せになりたいと願った。一緒なら怖くないと思ったからだ。


大切なひとを不幸にしておきながら、自分だけがそれから逃れようなどと。

欲望に身を委ねれば、己の醜悪さに耐えられないだろうことはわかっていた。


(それでも、狂ってもいいから、お前と……姫さんと一緒にいたいと思ったんだ……)


それなのに、この少女は、それすらも許さないと言うのか。


「……お前、なんつうか……とんでもねぇくらいわがままだな」

「ええ、そうよ。もうとっくに気付いていると思っていたけど」

「はは……そうだな。そうじゃなきゃ、俺はここにいない……」


少女の手が、頬に触れる。


「あなたは、案外泣き虫なのね」

「……っるせぇ」

「エル、時間はたくさんあるわ。私の言ったこと、ゆっくり考えてみてほしいの。

……ううん、やっぱり忘れてもいい。でも、これだけは覚えていて。あなたはもう、ひとりじゃないって」

「っ、ああ……」

「エル、愛しているわ」


生きていることが呪いならば、エルはなんのために生まれてきたのだろうか。

ずっとその答えを探し続けていた。


(意味なんてきっと、あってもなくても同じなんだ)


なにかを成すために、ひとは生まれてくるわけじゃない。

もしそこに意味を見出そうとするならば、そうであれと自分自身が願うことを当てはめてやるしかない。


思い込むことは自由だ。

でもそれをする意義が、エルには感じられなかった。


(俺はただ、ここにいていいよって言ってほしかっただけなんだ。

自分の存在理由が分からなくて、闇の中にひとりでいることが、ずっと怖かった)


意味さえ与えられれば、それが良くも悪くも、道標になるだろうと思っていた。

でもそれが正しい道筋なのかどうかは、結局自分自身の目で確かめるしかないのだ。


それならばいっそ、どこに行くのか分からなくても。

真っ暗な場所で、不安でたまらなくても。


(お前が、隣にいてくれるなら)


怖くない。迷わず前に進んで行ける。


「……俺も愛してるぜ、姫さん」


他のなにを失っても、この光だけは。


(そんなふうに、俺も置いていかれたのかな……)


もしそうならば、どんなに狂おしいだろう。


失いたくない。ただ生きて、笑っていてほしい。

自分は、どうなってもいいから。


(そんなことを言ったら、こいつは怒るんだろうけど)


せめて最後に、伝えればよかった。

ずっとずっと愛していると。愛してくれてありがとうと。


(まぁ、俺は約束しちまったし。つうか、ふつうに死ねないしな)


なにより、置いていかれる苦しみをこの少女に味わわせたいとも思わない。

そうなると自分の体質がどうにも都合のいいものに思えて、そんな馬鹿なことを考えた自分にちょっと笑えた。




それからまた少し時は進んで。

少女には、婚約者なる相手ができていた。


「あの姫さんを惚れさせるとか、どんなやべぇやつだよ……なぁビビ」

「エルさん、ぼくはとっても不安なのです……獣人が迫害されてるのは、皇族の方がぼくらを人と認めていないからだって本に書いてあったのです!

ぼく、ぼく……猫のふりをもっと頑張ったほうがいいのです!?」

「お前、前向きなのか後ろ向きなのか分からねぇやつだな」


やがて顔を合わせることになる皇子が、とんでもない器の持ち主だと知って、エルは度肝を抜かれることになるのだが。


(まぁ、なんつうか……お似合いだよな。うん……)


自身の欠けた部分に共鳴したものに、狂信的なまでに愛を注ぐ少女と。

その歪さも含めて少女そのものとして包み込んでしまえる頭のおかしい少年と。


そして、エルは嫌でも自覚させられてしまうのだ。

欠けた部分もまるごと受け入れてくれる相手に、自分たちはつくづく弱いらしいと。


「くっ……! あのやろう! 俺たちの姫さんなのに!」

「でもでも、あの人の手、とっても優しかったのです……ぼく、あの人ちょっと好きかも……なのです。えへへ……」

「くそっ、うるせぇ! 俺もちょっと好きかもだけど!」

「あなたたちって、とっても純粋よね。そういうところが大好きよ」

「なぁそれって単純って言ってる? 言ってるよな?」

「はい! ぼくもあるじさまが大好きなのです!」

「いや俺も姫さん大好きだけどな!?」

「どうしてそこで張り合うのよ。

……ふふっ、ふたりとも、可愛いんだから」


穏やかな日々の中で、時折ふと思う。


(いつか姫さんが、俺たちを邪魔に思う日が来ちまったりして)


たとえそうなったとしても、離れることなど考えられないのだけど。




そんなふうに思っていたエルは、遠い未来に思い知ることになる。

邪険にされるどころか、少女の子ども、更にそのまた子どもの世話係として老後までみっちりこき使われることを。


そしてたくさんの大切なひとたちに囲まれながら、なによりも誰よりも愛しいひとに手を握られながら、とてもとても穏やかに目を閉じることを。


「つうかあいつはもっと姫さんに会いに来るべきじゃねぇのかよ!?

せめて一日置きくらいには来るもんだろ! そのくらいしねぇと俺らの姫さんは渡せねぇよな、ビビ!」

「公務でお忙しいなか、時々顔を出してくださるだけでも充分じゃない。

贈り物やお手紙も、いつも心のこもったものをいただけて、なんだか畏れ多いくらいだわ」

「おいおいおい、なんでそういうとこだけしっかり淑女なんだよ姫さんは!?」

「相変わらず失礼ね、エルったら」

「ぼく、あの人にお会いできたら、またなでなでしてもらいたいのです!」

「ふふっ、ビビは本当に可愛いわね。そこにいる生意気な執事とは大違いだわ!」

「だからいちいちそいつと比べるなっつの!」


けれどそう、それはまだずっと先のお話。

少女とともに過ごす一日一日を心に刻み込むように大切に綴りながら、エルは今日も生きている。

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