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エル 3

戻ってきた手紙には、少女がエルヴィンで人体実験をして失敗したと周囲に思われているなどと書かれていて、読み間違えたかと二度辞書を引き直した。


「ふはっ、なんだそりゃ!」


それをきっかけに、あの日エルヴィンが屋敷を飛び出したのは少女の魔の手から逃れるためだったのだと、悲劇の主人公のような噂が広まっているらしい。


(死んだらどうやって幸せにしてくれるんだよっつったのが、俺自身のことだと思われてるとか)


おかしくて笑えてくる。


それから手紙には、緊急回避として飲み水を溜めたタンクに聖水を入れてもらったとも書いてあった。


(……そうか、じゃなくて俺の飲み水は!? 食事は!?)


慌てて続きを読むと、別口で水を用意したから自分で料理しろと書かれていた。


(ひでぇっ!)


そう思いながらも、エルヴィンは笑っていた。

自分で自分の食事を用意すればいいだけで、周囲に不幸をもたらさずに済むのなら、たっぷりとおつりが来るくらいだと思った。


「……」


揺れるランプの灯に照らされた彼女の字を、指先で撫でる。

数日会えていないだけなのに、少女からの手紙が届くのが一日の終わりの楽しみになっていた。


(手紙なら、最後まで読むってのが目標になるし、達成の証明として返事を書けば、自然と読み書きどっちもやることになる。

受け取って返してってやりとりは終わりがないようにも思えるけど、もらった手紙を一通ずつ重ねて厚くしていくのは、ある意味達成感がある……ったく、敵わないよな)


楽して読むためには文字を覚えなくてはいけない。そして、スラスラ読めるようになると嬉しい。

渡す手紙は保管される可能性が高いうえ、下手な文章を送って笑われたくないから、必死で綴りを覚える。そして、調べなくても書けるようになるとちょっと誇らしい。


うまく乗せられたようで悔しくも、悪くない気分だった。




(人間って単純だよな……)


一転して好意的な目を向けてくるようになった使用人仲間たちは、エルヴィンが部屋の外を出歩くようになるとそっと労りの言葉をかけてきた。

基本的にはいいひとたちなのだろうと思う。使用人とはいえ、ここは相当に格式の高い家だ。皆それなりの家で生まれ育っているのだろうに、身元も定かではない孤児の少年を受け入れてくれるのだから。


(まぁ、あのお転婆娘のせいで妙な連帯感が生まれてるってのもあるだろうけど)


ちょっとやそっとじゃ動じない精神力が身に付いているに違いない。


(あれ? 俺もいずれそうなるのか……?)


恐ろしいことに気が付きそうになったため、エルヴィンは頭を振って足を早めた。

今日は、執事長に紅茶の淹れ方を教わることになっている。


エルヴィンが職務に復帰したときにはすでに少女は教育係を辞退してしまっていた。

若干腑に落ちないものを感じるも、専門的な知識などはやはり専門家に教わるのが筋ではある。

相応しいとされる所作も当然少女とは異なるものだし、主人も気付いていないような細やかな気遣いなど、勉強になることは多い。


「菓子と一緒に紅茶をお出しする際には、相性のいい茶葉を選ぶ必要があります。

例えば焼き菓子ならダージリンでございましょう。ミルク(ミルヒ)とも相性がいいので、まずはダージリンの淹れ方を覚えるとよろしいかと」

「そういえば、お嬢様はいつもミルク(ミルヒ)を足し……足されていました」

「ほう、よく見ておりますね。口に出されずとも主人の好みや求められることを事前に把握しておくのはとても大切なことにございます。

お嬢様は少々猫舌でいらっしゃるので、ミルク(ミルヒ)は欠かせません」

「猫舌」


つい笑いそうになってしまった。


「給仕は他家の方々の目にも触れやすい仕事でございますゆえ、

主人に恥をかかせることのないよう、しっかりと正しい所作を身に付けていきましょう」

「はい」


学ぶことは尽きない。なにかに熱中している時間は楽しいものだ。

しかし気付けば夜になってしまっていて、少女に会えたのは復帰することを報告しに部屋に入ったほんのひとときと、廊下ですれ違ったり偶然見かけたりするときくらいだった。


(見習いが外れれば、あいつのそばに居られるのか?)


毎日馬鹿みたいに言い合いをしていたころが、なんだか懐かしくさえ思える。

一日置きに届く手紙だけが唯一繋がりを感じさせてくれていた。


……なのに。


「……こねぇじゃん!!」


その日、はじめて手紙が届かなかった。




翌朝、今日ばかりは直接文句を言ってもいいだろうと、エルヴィンは部屋を出て、なにやら屋敷内がばたばたしていることに気付いた。

通りすがった女中を引き留める。


「なにかあったのですか?」

「ああ、エルヴィン、あなたもお嬢様を捜索してください!」

「そ、捜索!?」

「お嬢様ったら、あなたが来て脱走癖も治ったのかと思っていましたのに!

今執事長が采配を取ってくださっています、指示を仰いでください!」

「は、はいっ!」


エルヴィンは屋敷の裏手側の庭を捜すように言われ、混乱したまま屋敷を飛び出した。

どうも、少女が屋敷を抜け出すのは一度や二度の話ではないらしい。しかし、日が沈んでいる時間に抜け出すことは今までなかったという。


(部屋は荒らされてない、いつも一緒にいるビビもいない。

つうことは、やっぱり自分の意思で脱走したってことだよな)


なぜ、と疑問符が浮かぶ。


なぜ、自分に何も言わないのかと。


(俺はもういらねぇのかよ……?)


気付かないうちに、期待を裏切ってしまったのだろうか。

それならそうと言ってくれれば直したのに。


何がいけなかった?

文字が汚いこと? 口が悪いこと? 反抗的なこと?


(俺を置いていくなよ! 俺は、俺はっ……!)


「もう、大事なひとに置いていかれたくねぇんだよっ!!」


自分の中から、なにかがあふれてくる感覚がした。

ぞわ、と悪寒が走って、思わず足を止める。


「えっ……?」


足元に違和感を感じて見れば、綺麗に整えられていた青々しい芝が、エルヴィンを中心に一斉に枯れはじめていた。


「あっ!? なんっ……!」


どこかで悲鳴が響く。同時に、硝子が割れるような甲高い音が聞こえた。


「……!」


足が震える。息が乱れる。ぐらぐらする頭で、どこかへ逃げなければと思った。


(どこへ?)


誰もいない場所。そんなもの。


(どこにもない)


居場所なんて最初からなかった。それなのに、なぜ期待なんてしてしまったのか。


木が腐って、倒れる音がした。

あちこちで悲鳴が上がる。止め方なんて知らない。ひとつだけしか。


(そうだ、ひとつだけ、ある)


上階の窓が割れ、破片が降り注ぐ。

頬や、手が切り裂かれ、血が滴るのも構わず、エルヴィンは破片を拾い上げた。


(やっぱり、俺は……)


傷口がズキズキと痛む。

生きていると叫んでいるみたいだと思った。


エル、生きなさい。

エル、生きて。

エル、生きるんだ。


呪いが肌を焼く。いっそ、誰かと一緒に死にたかった。


(どうして誰も、俺と一緒に死んでくれなかったんだろう)


お前も来いと、そう言ってくれたなら、喜んでそばに行ったのに。


(置いていくなよ。一緒に行かせてくれよ……)


きっとそれは叶わないのだろう。だってほら、闇が底から手を伸ばしている。


「お前はずっと、俺を待っていたのか?」


だから自分は拒まれたのかもしれない。

光のもとへ行くのに、影に囚われたエルヴィンは邪魔者でしかないから。


そう思ったら、急に心が軽くなった。


「ははっ……あはははっ……!

結局みんな、自分が幸せならいいんだな……!」


嗚呼、でもそれでいい。それでいいのだ。

大切なひとたちが自分に願いを託すのではなく、自分を切り捨てることで幸せになれたのなら。

それはきっと、他人を不幸にすることしかできないエルヴィンの、たったひとつの希望だ。


呪縛が静かに解けていく。

涙も血もいつの間にか、黒く変わっていた。


『エル、お前は生きなさい』

──エル、お前はあとで死になさい。


『エル、ごめんね、生きて』

──エル、ごめんね、ここで死なないで。


『エル、行け! 生きるんだッ!!』

──エル、行け! お前とは死にたくないッ!!


「ああ、わかったよ、みんな。俺はひとりで死ぬ」


破片を両手で掴み、息を止めた。そして、一息に心臓に突き立てる。

それはまるで導かれたかのように、綺麗に中心を貫いた。


ごぽりと、黒いものが口から溢れた。


(穢ねぇ色だな……まぁ、このほうが俺らしいか)


「嗚呼、エルヴィン。あなたは美しいわ」

「……!」


死の海の上を歩きながら、少女は微笑う。


「……、お、まえ……」

「ちょっと、触らないでちょうだい。えいっ」


足元から這ってきた黒い手を、少女はペッと手に持った分厚い本の表紙で叩いた。


(いや使い方)


ハエ叩きか、と条件反射で心の中でつっこんでいると、手は嫌がるように少女から離れていった。まるで意味が分からない。


「あら、よく効くわね。

さっきまでただの本だったのに、神様って素敵だわ」


少女は迷わずにこちらへ歩いてくる。

エルヴィンはそれを呆然と見上げるしかできなかった。


汚れることも、硝子の破片が刺さることも厭わず膝をつき、エルヴィンを抱き締めた。


「……っ」

「遅くなってごめんなさい。もう大丈夫よ」

「な、にを……!」


少女がなにかつぶやきながら、背中に硬いものを押し当てた。

ぐ、と引っ張られるような妙な心地がした。かと思えば、内側から胸に刺さった破片を押し出すようにして、黒いものが吹き出してくる。


「ぐっ、あああっ!!」


不思議と痛みはない。しかしごっそりと血を抜かれるかのような感覚に強烈な恐怖を感じて、咄嗟に少女の小さな背中にしがみついた。

綺麗な髪に、黒くどろどろしたものがこびりつく。


(ああ、やっぱり、汚してしまった)


そう思った直後、目の前が真っ暗になった。




それから俺は、一ヶ月も眠っていたらしい。

屋敷はまるで何事もなかったかのように、平穏だった。


(まぁ、ある意味悪化してるけど)


使用人たちは完全に俺を見て怯えるようになってしまった。

アレを見ていたひとたちから噂が広まったのだろう。死神、などと陰で呼ばれていることも知っている。


一部、前と変わらず接してくれるひともいるが、正直大物すぎると思う。


「執事長は、俺……私が怖くはないのですか?」

「ええ、もちろんですとも。

エルヴィン、執事とは謂わば主人の影でございます。

ある意味、君と私は同類と言えましょう」

「違うと思いますけど!?」

「はて、そうですかな? ほっほっほ!」


あの騒動のあと、少女はエルヴィンのことを『影みたいなもの』と説明したらしい。


「皆さんお忘れかもしれないけれど、影を持たない人間なんていないわ。

生きているから影があるの。そのことを忘れないでいてくれるなら、あの子をどう思おうと構わないわ。

そして、今回のことはあの子の力を暴走させてしまった私にすべての過失があります。

皆さんを危険に晒してしまって、本当にごめんなさい。心から謝罪いたします」


本来なら追い出されてもおかしくはなかった。

しかし、屋敷そのものの損傷はともかく、人的被害がひとつもなかったことから、免職は見送られた。


もちろんそれだけが理由ではない。

もう二度と同じ過ちは起こさないと、少女が必死に父親を説得したらしい。


「お父様、あの子の力は危険です。

だからこそ私がそばにいて制御してあげなくてはいけません。

野放しにしてまた同じようなことがあれば、愛すべき国民の命が脅かされてしまいますわ」

「言いたいことはわかるが、なにもお前でなくとも構わんだろう?

なにより彼をここに置いておく利点がない。むしろ欠点だらけだ。

死神が住むなどと噂が広まれば、伝統ある我が家の家名にも疵がつく」

「あら、とっても素敵ではないですか」

「……」

「もしそのような噂になっても、それを裏付けるような事故や死人を出さなければいいだけのお話ですわ。

怪我人がなかったことで聖水の効果も実証できましたし、そのあたりの融通に関しても教皇様とお友達の私のほうがなにかと都合が」

「教皇様とお友達の私のほうが!?」

「はい」

「えっ!? 私の娘教皇様とお友達なの!?」

「ええ」

「いつから! どこで!」

「つい先日の夜、神殿で」

「どうやって!?」

「うふふ、秘密にするって約束なので、教えられませんわ。

ああ、個人的な友人関係ですから、我が家に影響はありません。

……と、あちらにも言い含めてありますので、安心してくださいませ」

「怖っ! 私の娘怖い!」


……本当に説得したのかはともかく、俺は変わらず執事見習いとして、この屋敷にいる。

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