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エル 2

獣人、という生き物は、どこへ行っても不遇な扱いを受けるものだ。

各地を転々としている中で、獣人だということを隠したまま地元民たちに可愛がられていた野良犬が、それと知られたとたんに居場所を追われるところを見かけたことがあった。


(俺にこんな力があるって知ったら、みんなあんな顔をするんだろうな)


裏切られたような、傷付いたような。


(あいつだって、同じ気持ちだろうに)


同じ世界にいてはいけないというのなら、どうして生まれてきてしまうのだろう。

不純物みたいな自分たちが、きちんと振り分けられる場所があればいいのに。


「ないなら、作るしかないのです?」


目の前の少女、の膝の上にちょこんと座る黒猫が言った。

これが獣人と知ったのはつい先日のことだが、やはり猫が流暢に言葉を話すのを見るのは不思議な心地だった。


「作れるかしら、エルヴィン?」

「なんで俺に聞くんだよ。

……グリップ(グリフ)を付けりゃいいだろ」

「柔らかい素材ならビビの手にも馴染みやすかもしれないわね。

今度街に行った時に文具店を覗いてみましょうか」

「わーいなのです!」


素直にはしゃぐ黒猫に、エルヴィンは胡乱な目を向ける。


「そこまでして文字を書きたいかよ?

お前はコイツの飼い猫なんだから、俺みたいに勉強する必要ねぇだろ」

「ううん、ぼくもあるじさまのお役に立ちたいのです!

エルヴィンさんが文字を覚えるのが苦手なら、ぼくが代わりに覚えて、あるじさまをお助けするのです!」

「あらあら、ビビは本当にいい子ね! どこかの生意気な執事見習いとは大違いだわ!」

「お前がいちいち腹の立つ言い方をするからだろうがっ!」


天使のような容姿に反して、少女はなかなかの捻くれ者だ。

褒めるときは手放しに褒めるくせに、少しでも不満があればちくちくと遠回しになじってくる。


(コイツ、マジで性格悪い!)


いまはまだ幼げな顔つきをしているが、大人になったらかなりキツめの美人になるのではないかとエルヴィンは思っている。

成長した少女の姿を想像したエルヴィンは、いきなりすんと真顔になった。


(……それはそれでアリだな)


悪女のような美女の後ろに控える自分は、なんとも様になっているような気がする。悪くない。どころか良い。


「エルヴィンの集中力も切れてしまったみたいだし、別のことをしましょうか」

「おっ、やったぜ! なにする? 裁縫? 裁縫とか?」

「お裁縫は好きなくせに、どうして文字のお勉強は苦手なのかしらね。相変わらず変な子ね」

「お前に言われたくねぇよ!」


裁縫はゴールが明確だからいい。

こういうものを作りたいと思って、その通りにできた時の達成感が好きなのだ。


それを少女に伝えたところ、彼女はなにやら考えるような素振りをした。


「教材を埋めるのが目標ではだめってことよね」

「せっかく頑張って埋めたって、外から見りゃ同じじゃねぇかよ」

「なるほどね。エルヴィン、私と文通をしましょう」

「文通ぅ?」


いきなりなんだと眉を顰めながらも、エルヴィンはそれをする意味を考えた。


「宿題でも出すつもりかよ?」

「いいえ、本当にただの文通よ。

今日あったこととか、思ったこととかを、毎日交代でやりとりするの」

「えー……」


ただでさえ書くのも読むのも苦手なのに、なぜそんなおままごとのようなことをしなければならないのか。


「とりあえず、今日は私が書くわね。

夜下がらせる前に白紙の便箋と一緒に渡すから、次の日私が寝るまでに返事を持ってくること」

「……」

「エルヴィン、返事は?」

「……チッ、しゃあねぇな」

「よろしい。さて、それじゃあこの後は美しい言葉遣いの練習でもしましょうか」

「そんなもん余裕だぜ!」

「それはなりよりだわ」




夜、少女の足の包帯をほどきながら、エルヴィンは考えていた。

日々少しずつ、屋敷の中で起こる不運の数は増えている。


はじめはただの偶然だと気にもしていなかったひとたちが、エルヴィンを見ては疑惑の目を向けてくる。

いまはまだ大ごとになっていないが、この先、もしも誰かが怪我をするようなことがあったら。


「……なぁ、オジョーサマ。お前が屋根から落ちたのも」

「エルヴィン、私の不注意を勝手に横取りしないでちょうだい」

「横取り」

「もう腫れは引いたし包帯はいいわ。

それよりも少し試したいことがあるの」


少女はエルヴィンを床に座らせたまま、何か透明な液体が入った小瓶を手渡した。


「それ、試しに飲んでみて」

「なんだよこれ?」


そこはかとなく嫌な感じがする。

持っているだけで変な悪寒がした。


「心配なら先に飲んであげるわ」


そう言って瓶を取り返すと、中身を傾けて口に含む。

それからなぜか自分の手や足を確認し、小さく頷く。


「これでね、あなたから私に移った影が消えるのよ」

「俺からお前に移ったってなんだよ!?」

「あら、知らなかったの?

触ると移るのよ。ひとにも物にも」

「知らねぇよ先に言えよ!」

「だってあなた、触ると呪われるーって喚いてたじゃない」

「言い方に悪意があるな!?」


まさか本当に移る系のものだとは思っていなかった。

思わず後ずさるエルヴィンに、少女はずいと顔を寄せてきた。


「うっ!?」

「ふりかけても効果がなかったのよね。

あなたにも効くかどうか、試してみたいの」

「わ、わかった! 飲むから、あんま近付くなっ」


少女から距離を取りつつ、転がしてもらった瓶を受け取る。

やはり触るのはためらわれたが、もしもこれを飲むだけで力が消せるのなら。


「……」


震える手で、瓶の中身を一気に煽る。

直後、喉が焼けるような熱さを感じて、エルヴィンはそれを吐き出してしまった。


「……ッ!!」

「エルヴィン!」

「エルヴィンさんっ!?」


寝床で丸くなっていた黒猫までもが慌てて駆け寄ってくるが、止める余裕はなかった。

押さえた指の隙間から、ぼたぼたと赤いものが零れる。


「ひっ……誰か! 誰かいないの!! ああ、私、なんてこと!!」

「ぼ、ぼく、ひとを呼んでくるのですっ!」


ひゅうひゅうと喉が鳴る。苦しい。熱い。痛い。


朦朧とする意識の中、震える腕に強く抱き締められるのを感じた。




目を覚まして真っ先に見たのは、瞬くふたつの金色だった。


「あるじさま! エルヴィンさんが!」


(いやお前なのかよ)


ここはセオリーとして少女の泣き顔などが見たいところであった。


(まぁ、あいつは笑った顔のが綺麗だけど)


「エルヴィン!」

「ッ!」


ドアが開く音がした直後、いきなり飛び付かれた。

相変わらず容赦がない。


思わず額を手のひらで押しのけた。


「けほっ、……っ」


恨み言を口にしようとするも、なぜか咳しか出なかった。あと若干血の味がした。


「ああ、だめよエルヴィン。

ほら、このお薬を飲んでちょうだい」

「……」


手渡されたものは、どろりとした透明な液体だった。

若干警戒するも、あの時のような嫌な感じはしなかったため、恐る恐る口を付けた。


(ゲロ甘)


なんだこれ。


「喉が治るまでは一日三回飲むのよ。薬は別のひとが運ぶから安心して」

「?」

「私は、部屋に入ってはだめだと言われてて……

はぁ、困ったわ。見つかる前に出ないと怒られちゃうの」


(いやどういうことだよ?)


黒猫がいるところでとはいえ、散々ふたりきりで勉強していたのに、今更不健全などと言うわけでもないだろう。


「まず先に、私の軽率な行動であなたを傷付けてしまってごめんなさい。

詳しい説明はビビがするわ。まだ推察の域を出ないけれど、でも、もう少しやってみるから」

「……」

「それと」

「あるじさま、向こうの角から足音が!」

「早く元気になってね。愛してるわ」


早口で囁くと、おもむろに顔を寄せて来た。

ふわりと甘い髪の香りがする。頬に触れた柔らかさに瞠目する暇もなく、少女は身を翻して部屋を出て行った。

外で誰かが少女を咎める声がしたが、ちっとも耳に入ってこなかった。


「エルヴィンさん、お待たせなのです!

……お顔がまっかっかです!? 大丈夫なのです!?」


頬の熱が引くまで、黒猫が無意味に手で仰いで来た。

不覚にもちょっと癒された。




「あるじさまに代わりまして、ぼくが説明するのです!」


黒猫の話によると、エルヴィンの身体は影を引き寄せる媒体としてだけでなく、その環境に適応した体質を持っているらしい。

それは頷ける話であった。そうでなければ、エルヴィンはとっくに力に呑まれて死んでいるはずだからだ。


「でも、ふつうはそんなこと有り得ないらしいのです。

だって、影をまとってるひとがすなわち、不幸体質って言われるものだからなのです」


言われてみれば、不幸体質というのはつまり、そのひと自身が不幸に遭っているということだ。

周りの人間を不幸にしてしまうとは誰も言っていなかった。


「エルヴィンさんは生まれつき力が強すぎたために、もはや影と同質の存在になっているのではないかとあるじさまはお考えなのです。

つまり、エルヴィンさんは人間じゃないのです! どちらかといえば、死神! あいたぁっ!」


つい黒猫にげんこつをしてしまったが、不可抗力だと思う。


「なんでごっつんするのです!? ひどいのです!」

「……」

「おててを上段で構えないでほしいのです!

ぼく、ぼく、かっこいいと思うのです! 死神!」


キラキラした目を向けられて、どうやら本気でそう思っているらしいとわかった。


(あの変人を慕っているだけはあるな……)


その言葉が自分に返ってくるとは微塵も思っていないエルヴィンである。


「死神に聖水はちょっとだめよね、とあるじさまはおっしゃっていたのです」

「ごほっ!」


(あれ聖水だったのかよ!)


どうりで神殿に似た嫌な感じがしたわけである。

思わず喉を手でさすった。


(てか聖水飲んだら俺溶けるの!? マジで人間やめてんじゃねぇか!)


こんなとんでもないことを猫越しに伝えてくるとは、恐ろしい少女だ。魔王なのだろうか。

しかし人間ではないのに人間のように振る舞うこの黒猫の口から話を聞いたからこそ、エルヴィンはまだ冷静さを保っていられた。


「いちおう、推測でしかないから真に受けすぎないでとのことなのです。

へー俺人間じゃないんだーふーんくらいがちょうどいいのかもってぼくは思うのです」

「ぐふっ! げほげほっ!」

「わあっ、大丈夫です!?」


(つっこめないのが辛いッ!)


能天気なのかただの阿呆なのか。どちらにせよ、妙に力が抜けた。




負傷したのは喉だけだったものの、しばらくは自室で安静にと言いつけられた。

しかし、あれから一度も顔を出さない少女からは、約束の手紙が届いていた。


(あいつマジで容赦ねぇな……)


とはいえ暇だからと刺繍や裁縫ばかりしているのも飽きるものだ。

あわせて渡された分厚い辞書を引きながら、俺はたっぷりある時間を使って少女の手紙を丁寧に読み解いていった。


彼女からの手紙は、意外にも普通の内容だった。

喉の調子はどうかとか、好きな色の花が咲いたとか、厳しい家庭教師が珍しく褒めてくれたとか。


「……」


そして最後には必ず、愛している、と綴られていた。


(……家族みたい、だな)


物覚えが悪いエルヴィンも、何度も見返したその言葉の綴りだけは、一日で覚えてしまった。




いくらかまともに声が出るようになった頃、薬を持ってきてくれた女中にエルヴィンは声をかけてみた。


「あの」

「なんでしょう?」

「……お嬢様にお会いしたいのですが、どちらにいらっしゃるでしょうか」

「……まだ安静にされたほうが」

「いえ、むしろ動かないぶん身体が鈍ってしまい……けほっ」

「ああ、無理なさらないでください」


(やっぱり、おかしいよな)


前はあんなに避けられていたのに、一体どういうことなのか。


「お嬢様でしたら、今はお庭で行儀作法のお稽古をされているかと」


(ああ、アレか)


最近では、エルヴィンが厨房を借りてお茶にあわせて出す菓子を作るのが日課になっていた。

なんだか大事な玩具を取られてしまったような、若干の不満を感じながら、女中に礼を言う。

彼女は哀れむような目を俺に向けていた。


(そういや、最近よくこういう顔されるような)


「大丈夫、私たちはあなたの味方です」

「は?」

「お嬢様の奇行に振り回される同士として、使用人一同、あなたにとても同情しております」

「は??」

「頑張りましょうね!!」


謎の激励を残して、女中は去っていった。


(……もしかして、あいつのせいで怪我したと思われてんのか?)


それは間違ってはいないのだが、それにしたってなぜ仲間意識を持たれているのか。

とりあえず、今日の手紙で問い質してやろうと決めた。

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