エル 1
俺はきっと恵まれた環境で生まれたのだと思う。
優しい父は、俺がお前を守ってやると大きな手で俺の頭を包んだ。
しかし野良犬に手を噛まれ病をもらって死んだ。
勝気な母は、私は不死身だから大丈夫だと笑った。
しかし原因不明の心臓発作を起こして死んだ。
お節介な友人は、一緒に逃げようと俺の手を取った。
しかし浮浪者に襲われ俺を庇って死んだ。
俺は呪われている。
しかし一番の呪いは、大切な人たちが揃って口にした言葉だった。
『エル、お前は生きなさい』
『エル、ごめんね、生きて』
『エル、行け! 生きるんだッ!!』
耳を塞ぐ。血を吐くほど叫んでも、呪いは耳にこびりついて剥がれなかった。
エル、生きなさい。
エル、生きて。
エル、生きるんだ。
「嫌だ、生きたくない、生きたくない、生きたくない……ッ!!」
それはきっと、死にたくないの裏返しだった。
それでも、生きなければならない理由を、誰かに言われたからと正当化したくなかったのだ。
そんな甘ったれた理由で生きてもいい人間じゃないことくらい、自分が一番よくわかっていた。
本当は生きたくないけど、死ぬのが怖いから生きる。
そのくらい馬鹿げていてみっともないほうが、ずっとマシだと思った。
俺は行く当てもなくふらふらと各地を放浪した。
皮肉にも俺自身は笑ってしまうほど都合よく生きていた。
まるで、俺に降りかかるはずの不幸を誰かに肩代わりさせているみたいだと思って、余計に笑えた。
たどり着いた土地の店などで飛び込みで働かせてもらいながら、日々の糧を得た。
飲食店、工場、屋台、とりあえず目に付いたところに世話になったが、元来器用な性質なのか、どこへ行っても上手くやれた。
けれど、ひとところに留まることはやはりできなかった。
出会ったひとたちが優しければ尚更、情が湧く前にと逃げるようにその地を去った。
そうでなくても、ほんの些細なことでも不幸の兆しが見えれば、すぐに荷物をまとめた。
各地を転々としながら、自分の得体の知れない力についてそれとなく人に聞いて回った。
わかったのは、やたらと運がいい人と悪い人がいることがあるということだけだった。
(……なら俺は、運が悪すぎるってことかよ)
俺って運が悪いんだよなー!
そう笑い飛ばせる程度の不幸体質なら、どんなによかったか。
一度神殿に行ってみたらと勧められたことがあったが、なぜか近付こうとすると気分が悪くなって、無理にでも足を向ければ倒れそうになった。
何かきっかけが掴めそうな気がするものの、近づけない以上はどうにもできない。
(カミサマにでも嫌われてんのかよ、俺は)
それはある種の救いでもあった。
神は存在している。それならば、俺が殺してしまった可哀想なひとたちは、きっと救われるのだ。
そして俺には、罰が待っているのだろう。
そのことが嬉しくて笑うのに、なぜか目からは涙が出ていた。
(さながら、俺は死神に愛されちまったってとこか)
神の力だと言うのなら、もうどうしようもない。
死ぬまで振り回され続けるのかと思うと、あまりにも馬鹿馬鹿しくて、しばらく笑いが止まらなかった。
それから二度ほど季節を巡っただろうか。
それまで大きな街は避けていたが、ある土地で出会った商人が首都へ向かうというので、そろそろ移動しようと考えていた俺は、成り行きで馬車に同乗させてもらった。
経験上、不運が起こり始めるまでには街に着けるはずだと思いつつも、馬車を離れる言い訳を考えていたが、何事もなく門をくぐることができた。
「……でっけぇ!」
想像以上に立派な白亜の城を見上げ、俺はポカンと口を開ける。
隣で馬を引いていた男が、愉快そうに笑った。
「私も、初めて城を見たときは感動に身を震わせたものだよ。
若いときに様々な国を渡ったが、この国ほど豊かで美しい場所は他にはないさ」
「いやこの国っつか、この街がだろ?」
「ははは、そうか、君は田舎から出てきたんだったね。
貧富の差はどの国にもあるものだよ。すべての人間が幸福になれるわけではない。
王政を敷いている以上はどうしても選民意識が強くなってしまうしね」
ふーんと頷きながら、俺は鮮やかに彩られた街を見渡す。
着飾ったひとたちまでもが、まるで絵画の一部のようだ。
「ま、そんなもんだよな。みんな自分が幸せならそれでいいんだろうし」
「君は若いのに達観してるなぁ。ますます気に入ったよ」
それに、綺麗なものは綺麗だ。自分が穢いからって、それを妬んだり否定する気はない。
立ち止まってなどいられないのに、手が届かないところにあるものを欲しがる余裕は俺にはないのだ。
……そう、思っていたのに。
「……!」
商人の勧誘をやんわりと断り、店を物色していた俺は、見つけてしまった。
陽の光を弾いて輝く白金の髪を持つ、少女を。
(嘘だろ、なんて……)
なんて、綺麗なんだろう。
意思に関係なく、勝手に目が吸い寄せられてしまう。
濁りのない紫の瞳も、まるで宝石のようで……
(……いや待て待て待て! こっち見てないかあの子!?)
そう気付いた時にはもう遅く、少女は隣に立つ父親らしき男に振り向きながら、こちらを指差していた。
それからはあっという間の出来事だった。
いつの間にか少女の住む屋敷の執事見習いになっていたエルヴィンは、鏡に映る自分の姿に半目を向けていた。
(なんでこうなった?)
そう内心でしきりに首を傾げつつも、手は丁寧に襟を正している。
白いシャツに黒いベストを合わせた服は、触らなくても上等なものだとわかった。
(なんでこうなった!?)
何度目かわからない疑問符を浮かべながら、エルヴィンは半ばやけくそ気味に、与えられた自室を出た。
「あら、似合ってるじゃない」
「そんなことよりお前、どういうことだよ!?」
「いやだわ、いきなり怒鳴るなんて。
それと主語を入れて話してちょうだいな」
「しらばっくれんな! お前、俺の力のこと話したのかよ!?
なんかすげぇ避けられてんだけど!!」
ここへ来るまで、執事長だとかいう男に案内されたのだが、かなりの距離を保って先導された。
なんだと思って足を早めたら涼しい顔のまま逃げられたため、最後の方は二人ともほぼ駆け足だったし、なんなら息切れもしていた。
駄目押しに、すれ違うひとたちがみんな分かりやすくサーッと離れていったのだ。
動揺するエルヴィンに対し、少女は優雅に猫を撫でながらあっさりと頷いた。
「ええ、言ったわ」
「な、なんて?」
「できるだけエルヴィンを避けてねって」
「はぁっ!?」
なぜそんなことをと顔をしかめるエルヴィンに、少女は少し意地悪そうに笑った。
「あなた、昨日からずっと意味がわからないって顔してるわね。
少しは自分の頭で考えてみたらいかが? 不測の事態に遭遇した時に右往左往しているようでは、立派な執事にはなれないわよ」
「だからその執事ってのも……っああクソッ!」
喚きそうになったのをグッと堪える。
なんで執事なんだとか考えても無駄なことはともかく、なんでもかんでも理解不能と投げ捨てるのは馬鹿のすることだ。
「……俺の力に当たらないようにするためか?」
「ふふっ、頭の切り替えが早いのね。素晴らしい長所だと思うわ」
「そ、そうかよ……」
貶したり褒めたり、忙しい少女である。
(つかマジで綺麗すぎだろこいつ、人形かよ?)
まっすぐに見られると動悸が起きそうで、エルヴィンはついと目線を逸らした。
鴉の剥製が目に入ってちょっと冷静になった。
(なるほど、困ったらアレを見ればいいな)
鴉を鎮静剤に認定したところで、少女が話を繋いだ。
「近付いたら死ぬかもなんて言ったら、あなた、追い出されてしまうでしょう?
まぁ、昨日私たちの会話を聞いたひとたちからすでに噂が広まってしまっているけれど、そちらについてはまだ半信半疑のようね」
そういえば、自分のせいでみんな死んだなどと大声で叫んでしまった気がする。
冷や汗が流れるが、少女はあくまでもあっけらかんとしたものだった。
「とりあえず、エルヴィンはそう思い込んでいて怖がるから、あまり近付かないであげてねって周知したのよ。
というわけで、当分は私があなたの教育係よ。よろしくね、執事見習いさん」
「……お前はいいのかよ」
「ええ。見えてさえいれば怖いものなんてないわ」
その言葉に、エルヴィンは唾を飲む。
さっさとこの屋敷から逃げ出さなかったのは、これを確かめたいからでもあった。
「それ、マジなのかよ?
影が見えるなんて、聞いたこともねぇ……」
「本当よ。私もなぜ見えるのかは分からないけれど」
「どうにかできるのか?」
「どうにかするのよ」
「……」
「ともかく、それに関しては私に任せてくれていいわ。
あなたはしっかりお勉強して、少しでも早く立派な執事になってちょうだい」
微塵も不安を伺わせないその姿勢に、気が付けばエルヴィンは頷いていた。
(……もしだめそうなら、いつもみたいにさっさと離れればいい)
そう思いながらも、少女に期待を向けてしまう自分が、少し惨めだった。
基本的になんでもそつなくこなすエルヴィンであるが、記憶力が致命的に悪かった。
そして少しでも苦手だと思ったものに対して、あっという間に興味をなくすタイプだった。
「あなたって、本当にお勉強が苦手なのね」
「こういうのは性に合わねぇんだよ。
なぁオジョーサマ、もっと楽しいことしようぜ」
「そうねぇ」
あごに指を当てて考える少女の顔をじっくりと眺める。
綺麗な髪に触ってみたいとうずうずするが、自分が触ったら汚れてしまうような気がした。
「そうだわ。あなた、お料理はできる?」
「料理ぃ? んなもん、材料とレシピがありゃできるだろ」
「本当?」
パッと顔を明るくした少女に、しばし見惚れる。
黙っていても人形のようで綺麗だが、笑うと年相応に愛らしいとエルヴィンは思う。
「そうしたら、お菓子を作ってもいいか厨房に聞きに行きましょう!
今の時間なら、ちょうど午後の行儀作法のお稽古の準備をしていると思うし」
「ああ、あの茶を飲むだけのやつか」
「そうよ。あなたにもいずれ給仕に立ってもらうのだから、女中の動きをよく見ておいてね」
「へいへい」
エルヴィンが見て覚えるほうが圧倒的に得意なことは少女も承知しているところだった。
しかし基本中の基本である文字の読み書きは、絶対に覚えてもらわなければならない。
どうしたら焚き付けられるかと思案しつつ、少女はまだまだ未熟な執事見習いを伴って部屋を出た。




