後編:愚者と愚者
「さて……どこだーーっ!!」
僕は卒業式終了後、先輩に告白するために学校中を探し回っていた。
かれこれ十五分ほど走り回っているものの、先輩の姿を見つけることはできなかった。
「下駄箱に靴はあったから、絶対に学校にいるはずなんだけどな……」
僕は先輩の隠れていそうなところについて思索に耽った。
学校にいることは確実。身を隠すには人混み、つまり教室が向いているはずだが、先輩は人混みを嫌う。そして静謐を好む。だが、簡単に見つかるところに隠れるわけがない。
「うーん、学校中探したと思うんだけどな……」
あの人マジで忍者だな。全然見つからねえぞ。
「……静かで見つからないところ、ね?」
僕は学校で静かなところを考えることにした。
中庭や屋上、体育館裏は普段人気だが、卒業式があった今日は人が少ないと考えることもできる。卒業式の日は教室に人が集まるからだ。しかし卒業式の魔力に当てられた生徒たちにとっては絶好の告白スポットだ。僕からの告白を避けようとしている先輩は近づこうともしないだろう。
いや、先輩に避けられてることで逆に見つけやすくなるとか複雑なんですけど。ネスト構造の比じゃないくらい複雑だよ?もうスパゲッティコードだよ。
そんなくだらないことを考えていると、ふと先輩との会話を思い出した。
「そういえば先輩とスパゲッティを食べに行ったな……たしかあの時、何かことわざかなんかを言っていたはずだけど……」
僕は必死に思い出そうとしたが、思い出そうとすることで逆に思い出せない。思考は同じところをグルグルと回り、新しい場所へとたどり着くことができない。
「うーん、明るい?光っぽかったような?」
僕は「光、光」と心の中で復唱する。
しかし、なかなか思い出すことができない。
僕がうーんと唸っていると、スマホがブーンと鳴った。
スマホを取り出すと母の文字。
どうやら母からメールが届いたようで、僕はメールを開いた。
メールには「同じ職場の京都さんの娘さんが東大に進学するみたいよ!」と、僕にとってはどうでもいいことが書かれていた。
「いや、僕には関係ないし。でも東大に行けるなんて凄いな」
僕が京都さんの娘さんに関心を言葉にすると、何かがしっくりときた。
「……東大?」
東大。その言葉を口にすると、不思議と胸のつかえが取れた気がする。
「東大……東大……ん?東大?……そうか!?灯台か!!」
灯台下暗し。それが先輩が言っていた言葉だ。
校内で一人になることができ、なおかつ静かなところ。そして、灯台元暗しという言葉。ここから導かれる結論はただ一つだ。
「そうか、確かにまだ確認してなかったな。部室は」
僕が部室のドアを開けると、そこには椅子に座って文庫本を読む先輩がいた。
その姿はさながら有名な彫刻のようで、何者にも侵すことができないと感じるほどに完成された光景だった。
「やあ、見つかってしまったね」
先輩は僕の姿を確認すると文庫本を閉じ、微笑んだ。
「別れを言いにきたのかい?」
「嫌です!僕はまだ先輩と一緒にいたいです!」
「それは無理な話だ。私は今年で卒業だからね。それに、私は君のことを別に好きではない」
先輩は微笑んだまま、僕に好きではないと告げてきた。しかしそう告げる瞬間、一瞬だけだが顔が引きつったようにも見えた。
「はいはい、まんじゅうこわいまんじゅうこわい」
「本当だよ。本当に愚くんのことは別に好きじゃないんだ」
「ならなんでさっき顔が引きつったんですか?」
「引きつってなどいないさ」
先輩は相も変わらず微笑んでいる。それは本心を悟られないようにするためでもあるだろう。しかし、それだけではない。僕と先輩は二年近く一緒にいるが、僕が口論で勝ったことは一度もない。その事実が安心感を与え、余裕を生んでいるが故に微笑んでいられるのだろう。だからこそ、その余裕をなくす必要があるだろう。
「僕はしっかり見てましたよ?自慢じゃないですけど、僕の視力は2.0の十倍の十分の一の十分の一くらいはありますよ?だから見間違えるはずはありません」
「観測したものが全て事実とは限らないだろう?」
「屁理屈ですね」
「嘘も突き通せば真実になるように、屁理屈も突き通せばいずれは理屈に変わるさ」
「でも今は屁理屈ですよね?なら先輩の話は筋が通っていないので間違いということになりますよ」
「何が正解で何が間違いなんて主観でしかないだろう?絶対的な基準がないもので判断されても困るのだが」
「絶対的な基準なんて必要ないですよ。人数が多ければ多数決でも取ればいい。今この場には僕と先輩しかいないので、僕の判断が正解です。絶対的な基準がなく、主観で判断するものだからこそ、僕の判断が全てなんですよ」
僕がそこまで言うと、先輩は俯いて黙り込んでしまった。
お互いが沈黙し、部室には静寂が訪れた。
しばらく静寂が続いていたが、しびれを切らしたのか、それとも何かを決意したのか。先に口を開いたのは先輩だった。
「私はね……君が思っているような人間じゃない。表には出さないようにしているが、凄く醜い心を持つ。とても人間らしい人間だ」
先輩はポツリポツリと語り出した。
「君が私を好きなことは知っている。私が君のことを好きだということも自覚している。だから恋人同士になるなんてことは簡単だろう。だが、私は怖かったんだ。本当の私を知ったときに、君が失望して私のことを好きでなくなることが」
先輩は僕のことが好きだと語った。そして、僕に失望されることが怖いとも語った。だったら僕が伝えるべきことはただ一つだ。
「僕はどこか不思議で、幻想的な先輩のことが好きです。それこそ一緒に過ごすうちにとかではなく、一目見た瞬間から。きっと一目惚れだったんです」
「ああ、知ってる。だから、本当の私を知ったときに失望されると思ったんだ。一目惚れということは表面上の私を好きになったということだからね」
「大体2年ですか……片思いの期間……長いですね。本当の先輩が僕の思ってた、理想の先輩と違ったくらいで嫌いになると思います?失望すると思います?そんなことで嫌いになるくらいなら、伊達にこれだけ片思いしてないですよ」
頬が熱い。心臓が飛び跳ねている。足が、手が、声が震える。僕は今までの人生でなかったほど緊張している。でも、これはそれだけ僕が先輩のことを好きだという証拠だ。だから、緊張もそれほど嫌ではない。
「先輩……僕は流先輩のことが大好きです!恋人になってください!」
僕の告白を聞いた流先輩は、しばらく黙り込んでいた。
そしておもむろに立ち上がると破顔して、
「私も君が、愚くんが大好きだ!恋人になろう!そして、これからもずっと一緒にいよう、絶対に!」
と叫んだ。
「永遠なんてないんじゃなかったんですか?」
「ふふっ、私もありえないとわかっていながらも永遠を願ってしまったみたいだ」
「じゃあ、先輩も愚かですね」
「ああ、でも面白いじゃないか。愚者同士の恋人というのも」
「ですね!」
卒業式の日。外には満開の桜とチラチラと舞う雪。そんな幻想的な光景が包み込むのは、たった二人の少年と少女。たった二人の愚者。
誰もいない部室で永遠を願う二人を、輝くばかりの太陽は照らした。
二人を照らし続けたのだ。
初めて手を繋いだ瞬間を。初めて唇を重ね合わせた瞬間を。初めて子供が産まれた瞬間を。初めて倒れた瞬間を。初めて看取った瞬間を。初めて看取られた瞬間を。
永遠に照らし続けたのだ
あなたと共に人生を歩めたことを僕は幸せに思う。