タイターと未来と兵器5
それからはいつもの帰り道を一人とぼとぼと帰った。
『何が起きるか分からない、もし危険を感じたらこれを壊して、すぐに転移できるから』
別れ際にヴィリはそう言って、透き通った赤い石の付いた菱形のペンダントを俺に渡した。
本当は受け取りたくないし、そん自分がどうしようもなく嫌で仕方なかった。
女性に守ってもらう事が恥だなんて思っちゃいない。男だって辛い事はあるし、逃げたい事だってある。そういう時に話を聞いてくれたり、支えてくれたり、助けてくれたりするのは案外好きな人だったりする。
だけどそうじゃなかった。
もらったペンダントを壊すことは……それは……
俺はそれを強く握りしめて、河川敷に投げようとした。でも……できなかった。
その場で涙が溢れてしまう。
「何で……何で……俺はこんなにも弱いんだ。」
独り言を呟きながらふらつく足で駅のホームへと向かった。
*
時間は1時間前に戻る。
俺に頼み事をしてきた先生は真剣な眼差しをしていた。
息を呑んで先生の声にっ耳を傾ける。
「頼み……ですか?」
「あぁ君には彼女達を道具として扱ってもらう覚悟をして欲しい」
嫌な予感がした。
ヴィリは本来、兵器としての異能の力を持っている。
そして多くの人体実験をしてきた先生のことだ。そこから導き出される意味はきっとひとつ。
「勇祐、何があっても君の命を優先するんだ」
その言葉を聞いた瞬間、汗が頬を伝い瞳孔が揺れる。
「何……言ってるんですか?」
「だからね。 ヴィリ達兵器は戦うための存在だと言ってるんだ。 君はクロノスの血液を所持していて彼女はクロノス因子を所持している。 本当は契約させる気がなかったが状況が変わった。 最悪の場合、君がヴィリと契約をしなくてはいけない、その覚悟をしてくれと言っているんだ」
生きるため残るために使えって?道……具……としてだと?
彼女は生きている。
感情だってある。
食欲だってある。
例え兵器だろうと、今を生きている彼女を”道具”だと?
先生の首元を掴む。
「ふざけないでください!! ヴィリはモノじゃない!言っていいことと悪いことの区別もつかないんですか!!」
暑くなった俺に先生は冷徹な表情で淡々と答える。
「勇祐、君は何甘い事を言ってるんだ?彼女達の命を今まで繋いでやったのは他でもない私だ。 生きる価値があるから生かしていた、それがわざわざ向こうから会いにきてるんだ、利用しないなんて……勿体無い……」
頭の中で……何かが切れた。
先生が男であろうと女であろうと、そんなことは関係なかった。
血が滲み出した拳を振り上げて……それからは記憶がない。
意識が戻った時は、俺の拳は先生の顔の隣にあった。
そして目の前には割れたガラス、その奥にある空にはまるで人工的にポッカリと穴の空いた雲。
先生は未だ冷めた顔で俺を見つめる。
「勇祐、再度言おう。 私は私の生きてきた未来を全て捨ててこの世界に来た。 終焉を回避するためなら何だって利用する。 それが私の今を生きている唯一の理由だからだ、平和な世界を生きてきた君には過酷な話かもしれない、だけどどうか覚悟して欲しい。 受け入れることはいつだって苦しい事だ、だがそれは逃げていい理由にはなり得ない。 全てを利用してでも生き残ってくれ……恨まれたっていい、憎まれたっていい、馬鹿にしてくれても構わない、だから頼む……」
涙を流しながら頭を下げる先生の姿……
覚悟が……違った……
何も言い返せれなかった。
多分、先生は常に最善を選択しているのだろう。
だから俺からの目から視線を一切逸らさなかった、だから憎まれてでも俺に覚悟を求めた。
平和な世界を生きている平凡な高校生、そんな奴に危機感を与える為には嫌な役を演じて奮起させる必要があったのだろう、深々と頭を下げる先生の姿を見て改めて確信した。
この人は未来の全てを背負ってここに来ているのだ。例えその選択肢で大切な人々の命を犠牲にする結果になったとしても先生はそうして自分の感情を切り捨てながら生き抜いてきたんだろう。じゃないと未来の出来事を語っていたあの時、あんな辛そうな顔はしない。
それは俺が世界のために背負わないといけない覚悟。
あるはずのない心という内臓が酷く痛いと感じた。
茫然自失の俺に、先生は最後にこう言った。
「未来には何でもそのままの形で持っていけはしないんだ」
*
惨めだった。
その選択肢に心のどこかで納得してしまった、それが最低な選択だとしても……
俺は先生の言葉に言い返せなかった、背負っているものの重さに反論できるほど、子供ではいられなかった。
ヴィリと未来に行くって約束したのに、それなのに……
拳を強く握りしめる。
ヴィリはそれに気づいている、気づいていた。きっとこの時代に来た時点で、自分が兵器としてその生を全うしないといけないことに……だから孤独だった。だから親しい人間を……
瞬きを一回、たった一回しただけなのに瞳に潤いを与える涙は余分なほどに流れて、俺の頬にまで伝ってきた。
俺が彼女に恋をしてしまったのがいけないんだろうか?
告白しなければ……
ふと思い返すのは俺の手を握って離さなかったヴィリの顔。
普段よりずっと表情豊かなあの表情が頭から離れない。
「なんで……どうして……」
溢れたのは涙だけではなかった。
言葉すら抑えられない……明日、何かが起こる。
そしてその時にきっと、俺がこのペンダントを地面に投げつけなくても、壊さなくっても、どれだけ助けを拒んでも、どれだけその未来を否定しても、ヴィリは俺を生かすために、未来のために兵器として最善の行動をする。
もしその時が来たら、もしヴィリがそこで命と落としてしまったら……
そんなことを考えるだけで苦しくなる。
俺はヴィリになんてことを……
対等な人間でいたいなんて……
「自分勝手で……最低だ」
改札を通り、夕暮れの中、一人ぼっちで入った車内は、不安定な心のように揺れていた。
乗り換えする気にもなれないのに、終点がそこで降りろと催促してくる。
仕方なく乗り継いだ電車の車窓からフラッシュのように入り込む太陽の光、まるで今の惨めな俺をこの空間に投影して楽しんでいる様に感じてしまうほどに全てがどうしようもなく辛くてたまらなかった。
気がつくとお前には飽きた、さっさと降りろ。
そう言わんばかりにあっという間に降車駅に停車していた。
嫌だった。
家に帰るのが、時間が進んでいることが。
俺は生気のない目で下車して、廃れた無人駅のベンチで時間を潰した。
「このまま……時間が進まなければ……」
うっすら見える月の動きを目で追っていると、視界に見慣れた少女が映る。
「ユウちゃん? どうしたのこんなところで?」
そこには寄り道帰りの鏡花が立っていた。