起動2
はて、ようやっと落ち着いた。
まずは状況を整理しよう、俺は昨日は家に帰らず、ずっと教室にいたらしい。
らしいと言うのも、俺は昨日、学校が終わった後の記憶が抜け落ちているようで、何度も思い出そうと努力したけど結局今に至るまで思い出せてはない。
「はぁ」
自分の身の周りに何が起きているのかさっぱり訳が分からん。俺は今日自分の席で意識が醒めた時、自分が置かれている状況に何一つ違和感を感じることなく、ただいつも通りの日常を過ごそうとしていたのだ。
この状況で俺だけがおかしかったのならそれまでだが、異常はそれだけではない。 俺の行方不明は昨日の夜の時点でクラス全員に知らされていたにも関わらず、ほぼ全ての生徒が教室に入った瞬間俺が行方不明だったことを忘れていたのだ。
誰かが故意的に意識を操作した、そうとしか思えない。
だがもしそうだと仮定して、なんで先生だけは俺を見つけることが出来たのだろうか?
可能性があるとすれば先生が俺をこの状況に陥れたか、もしくは俺が教室の外に出る事で、俺を見つけられるみたいな条件があったのか……分からないが多分後者だろう。
あの時の先生は凄い剣幕だったし、俺を隠すならわざわざ教壇の前で皆に俺が行方不明になったなんて言おうとする必要がない。
しかしそれ以降は特におかしな事はなかったような?確か教室を出た後強制的に校長室に連行、警察が来るまで色んな先生からの質問攻めを受けながら大体10分ほど待機して、それからあっさりと身柄を保護されて署で事情聴取という名の説教を受けた。
家族が署まで迎えに来てくれたけど特に変わった様子はなかった。普通に親父に怒られて、お袋には無事で良かったと泣き付かれた。
後はまぁ……家に帰る車の中でも怒られ、家に到着するや否や予想通りに姉貴は俺を打って「また周りに心配かけて何やってたんだ」と叱責、妹はお袋同様泣きついてきた。
「……何度思い返してもやっぱりわかんねぇ」
ただ今回の件で俺は家族に、心の底から愛されていることは再確認が出来たかな?
それにしてもまた行方不明になるとは、全く本人の俺が1番びっくりだよ。
懐かしな、今でもあの時の事は昨日のように思い出せる。
確か中学2年の夏、鏡花と近くの山にある廃墟に肝試しに行った時の出来事だった。
そこで大人達の何やら怪しい取引に遭遇してしまい、俺は誘拐されてしまった。その時一緒に肝試しに行った鏡花はと言うと、俺が咄嗟に廃墟の錆びれたロッカーに押し入れた事で難を逃れた。
捕まってから車の中で嬲られて、痛いし、腹減ったし、帰りたいし、涙を堪えながら何度目かの暴力で俺は遂に気絶した。そして次に目が覚めた時は船内だった。
その時は恐怖心などなく、妙に頭が冴えていた。
部屋の景色は鮮明で、中には波の音がさざめき立ち、部屋は無機質な正方形、ドアはギギギと開閉して、部屋の小窓の隙間から、ほんの少しの月明かり、足に届かなぬ糸のような月光はきっとカンダタすら助けられない。
生き残るための糸すら垂れていない状況で、俺が諦めかけたいた時、世界に何かが繋がった。
大きく歪な穴が1つ、ポッカリ宙に現れたのだ。
そんな穴から転げ落ちてきたのは大きな翼の生えた、赤い、紅い、爀い、強く煌めく、炎によく似た髪をした機械仕掛けのボロボロな、天使の少女だった。
それから瞬刻、船内で何が起きていたかは分からなかったけど、ただ覚えているのは五月蝿く騒いでいた大人達の声がとんと聞こえなくなってから、部屋の小窓から香っていた塩の匂いに混じりだした、血肉の生臭さ。
朦朧とする意識の中、ドアが鈍い音を立てて偶然大きく開いて見えた光景は踊る少女の姿だった。
少女が廻ると、肉塊が弾ける。
少女が跳ぶと、血飛沫が舞い踊る。
目を疑うのは殺戮を繰り返している天使の美しさ。
少女が足を止めると、足元には綺麗な円が出来ていた。それは月が彼女にだけ光を当てているような、例えるなら舞台の上でスポットライトに照らされる演者だ。
地球を染める青い海、船上に飛散している真っ赤な海、その境界線の狭間には、凛とした天使の少女が1人ポツンと立っていた。
少女は船内の積荷を漁り、中から鉱石を見つけると、それをひとつ残らず食べきった。
食事を終えた少女は漸く俺に気がついて、すぐに優しく話しかけてくれたけど、あの時話した内容は覚えてはいない。
意識が戻った時、少女はその場から消えていた。
翌日には気温の上昇ですぐに血肉は腐敗し、吐き気を催す程の腐敗臭が充満する船内、俺は監禁されていた部屋の小窓から、青い空を眺めながら死を待った。
それから2回登った太陽が真上で見下ろす時間帯に、俺を除いた船員の全てが死滅して緩やかな航海をしている船を自衛隊海軍が太平洋沿岸で発見した。
救助が来た時に海上自衛隊の人が携帯電話を耳に当て、とても畏まって話しているのを盗み聞いたことを覚えている。
救助してくれた自衛隊は鉱石がどうのという話していた。
しかし助けられた後、ニュースを見たら麻薬の密売取引、少年が遭遇!!なんて、書かれていていくら調べても鉱石のこの字も見当たりはしなかった。
俺が鉱物について調べたのは一重にもう一度少女に会いたかったから、夢ではない、現実だっと信じたかったからだ。
あの夜、月光の中で天使のような翼を持った少女の姿はまるで、月を照らしている恒星だと思えるほどの美しく輝いていた、そしてそんな姿に俺は一目惚れしてしまったのだ。
結果有力な情報は今日に至るまで特になく、そのまま時は流れて昨日の昨日までただ凡人として過ごしていた。
全く、俺は何でまた行方不明なんかになってんのかなぁ。
今日の違和感なんて先生の事ぐらいしか……いや、そういえば俺の隣の席の小早川さんが最後になにか言っていたような……気のせいか?
「まぁ俺が行方不明になっていたから鏡花は怒っていたんだろうし、明日ちゃんと謝るとするか」
ベットにギシリと音を立てながら横たわり俺は今日一日の事を整理しながらゆっくりと就寝した。
*
朝目を覚ますと、いつもの日常が訪れていた。
鳴り響く目覚まし時計を叩き、目向けまなこで携帯を開いてゲームのログインボーナスを受け取る。
いつものルーティンを終えるとゆっくりと体を起こして大きな欠伸をしながら部屋の窓を覗く、すると幼馴染がもう家の前でいつものように俺を待っているではないか。
俺はすぐに1階に降りて恐る恐る家族のいるリビングに顔を覗かせると、まるで昨日のことが無かったように親父もお袋も普段通りに接してくれた。
昨日の事で家族全員心配してくると思ったのだが想像以上に事をすんなり受け入れているようだ。
俺は胸をなでおろし、当たり前に接してくれる家族に心の中で感謝しつつ、外で待たせている幼馴染が怒りだす前にそそくさと朝食を取り、服を着替えて家を出た。
「悪りぃ待たせたな」
俺が声をかけると、触っていた携帯をポケットの中にしまって鏡花がふわりと柔軟剤の香りを立たせながら髪の毛を左手で少し抑えてこちらに振り向く。
「おはよう、ユウちゃん」
改めて、彼女の名前は内海鏡花。
身長は160cmと平均的な女子の身長より少し高く、男子の俺とほぼ同じくらい。
髪の毛は黒髪ロングで、子供っぽい星の髪飾りは昔っからのお気に入り。
子供の時は結構男勝りな性格だったが最近は歳を劣るにつれて、肉体の変化と同様に性格も少しずつ落ち着いてきている。
こうして見ると明るく優しい普通の女の子だが、鏡花は小学5年生から現在まである病を患っている。
名前は間欠性爆発性障害という精神疾患で、原因は小学生の頃いじめられっ子だった俺をある同級生が、持っていた傘で殴ろうとしてきた時、鏡花が咄嗟に俺を守る為に前に出て、その際に勢いよく振り下ろされた傘の先端が、鏡花の頭頂部に直撃、それ以降鏡花は障害を抱えてしまう事となった。
俺はあの時、倒れた鏡花の返り血を浴びて何もできず、ただその場で腰を抜かして、泣き崩れることしか出来なかった。
セミの鳴き声につられて直ぐに救急車とパトカーがサイレンを奏で、最悪な不協和音につられて演者の陽炎が現れだした、そんな日だった。
それから数日後、俺は鏡花の見舞いに行った。
病室で目が覚めた鏡花は特に変わりはないように見えたが、いざ日常に戻ったらその病が目に見える形で発症し出した。
家庭で暴力を振るう鏡花に両親はどうにか衝動を抑え込もうと努力したようだが、その甲斐も虚しくついに学校で生徒を病院送りにしてしまった。
俺は見ていた。ただただ相手を殺そうと無我夢中で殴り続ける彼女を、みんなが恐怖で泣き喚き、殴り終わった後に自分の手についた血を見てごめんなさいと謝り続ける変わり果てた幼馴染の姿を……
それからすぐ鏡花は精神科で入院することになった。
面会をした時の鏡花の顔は、あまりにも絶望していて、自分が彼女をこうしてしまった罪悪感で見るに耐えなかった。
だから俺は鏡花への贖罪として毎日会いに行き、出来る限りの時間を一緒に過ごした。
鏡花を元気付けながらリハビリを協力し、遂に鏡花はストレスが一定以上溜まったら俺にだけ暴力を振るって発散できる程、病を限定的に克服する事に成功した。
周りの人間からすれば完全に抑え込めれていない時点で甘すぎる、妥協するなと言われそうだが俺からすれば十分すぎるぐらいの成果だ。
結局病気のことは教室の奴らは知らないし、気付かれてもいないからな。
一応、鏡花の為にも高校は離れた所を選んだから、皆普通に接してくれていて、鏡花も笑顔が増えてこの上ない限りだ。
知っているのは親友で、わざわざ一緒に付いてきた藤司と大人達だけで、大人達は事情を知ってるからこそ俺に言うのだ『今が永遠ではない』と。
そんなの俺だって分かっている。
今こうして鏡花の隣を歩いて、いつもの日常を送れている事は言うなれば奇跡だ……何故なら俺だっていつかは死ぬ。
それはもしかしたら明日かもしれないし、はたまた1時間後かもしれない……未来は未知だ。
だけど、例え俺たちの未来が何処かで交わることがあろうとも、そこに至るまでに必ず離れ離れになるということだ。俺は俺で、鏡花は鏡花……別の人間で別の人生があるんだ、今のまま……お互いが依存しあったままでいいわけがない。
わかっている、だけど、きっとなんとかなると思う。
根拠はないが、何故か彼女の純粋な笑顔を見ているとそう思えてしまうんだ。
「ねぇ、ユウちゃん。ちゃんと話聞いてる?」
「ん?」
「あぁ、聞いてなかったね?」
少し膨れた顔で鏡花はそっぽ向いてしまった。
だめだな、考え事しながら適当に相槌打ってたのがバレてしまった。
「悪かった、少し考え事してて……」
「考え事?」
「あぁ、俺って昨日行方不明になったじゃん。 ただその時の記憶がなくてさ、もしかしたら、昨日俺は神隠しにあったのかなって……もしもまた同じように神隠しにあったら鏡花を独りにさせちゃうよな」
そう言って歯に噛んだ顔で俺は鏡花の顔を覗き込む、ちょうど鏡花の表情が髪で隠れてよく見えない。
駅のホーム、改札のすぐ前で鏡花は電子切符をカバンから取り出して少し小走りで俺よりも早く改札を通る。
「よく分かんないけどユウちゃんが神隠しにあっても、私は大丈夫だよーだ!」
そう言っていつもの笑顔で振り返る彼女、俺はその顔にまた安堵した。
鏡花はその笑顔が俺を安堵させることを知っていてわざとしているのだろうか?
不意にそう思ってしまったが、まさかな。
「はは、そう言って強がりおって。」
「ししし」
俺も彼女を追い掛けて改札に電子切符を通そうとする。
しかし、タイミングが悪かったのかまるで俺と鏡花を隔てる様に改札はいつもの様に通してくれなかった。