日常と違和感
結局その後は互いに何を言うこともなく、海の先導で待ち合わせした公園まで戻って別れた。
遅ればせながら、同級生にでも見咎められてしまったらどうすればいいだろう、と思ったが、おそらく【魔王】と【救世主】にまつわる事柄として誰にも感知されずに終わるのだろうという気がした。
そうして翌週、拍子抜けするほどにいつも通りの学校生活の中で、改めて思い知る。――元々あるべきかたちを。
(普通にしてれば、志筑くんと関わることって、本当になかったんだ……)
海から近づいてこなければ、――近づいてくる理由がなければ、全くと言っていいほど無い関わり。
本来、関わることのない相手だったのだ――【魔王】と【救世主】として、対の存在にならなければ。
墓碑の前で海が語った内容は、あかりにとって縁遠い、衝撃的な内容で、飲み込みにくいものでもあった。
あかりは自分が平々凡々に、波風のない日常を過ごしてきたことを自覚しているし、身近な人間が死んだ経験もなかった。
けれど海が【魔王】であり、そうして世界を滅ぼさないために死ぬことを望んでいるのなら、あかりが彼を殺すしかないのだ。――その覚悟が、あかりにはまだないとしても。
「ぶつかるよ、相模さん」
声がして、はっと意識が戻る。眼前に手があった。その手の向こうには掲示板があって、それが見慣れた第一図書室横のものだと知れた。
当番のために向かっていたのは覚えているが、いつの間にここまで来ていたのだろう、とあかりは思う。そのままぼんやりと引っ込められた手を辿って、そこにいるのが海だと認識する。
瞬間、身構えてしまったのは、あの日曜日以来、顔を合わせていなかったのだから仕方のないところだった。
あかりの緊張に気付かなかったわけではないだろうが、海はそれには言及せず、「ぼうっと歩いていると危ないよ」だけ言った。それはその通りだったので、あかりも頷いて「うん、気を付ける」と返す。
「あ……、志筑くん、《《血が出てる》》、よ」
海の手の甲に赤が滲んでるのに気付いて、あかりは言った。海は気付いていなかったようで、首を傾げる。
「……?」
「そこ、手の甲。画鋲出てるから、掠ったのかも……。保健室行った方がいいんじゃ、」
促したあかりに、海はほんの一瞬考え込むような間を置いて――それから首を振った。
「……いや、いいよ」
「そ、そう。……えっと、じゃあ、絆創膏、いる?」
「別に、いいのに」
言いながらも、海はあかりの差し出した絆創膏を受け取った。
短く礼を告げた海に、あかりは何か違和感を覚えながらも、何かがおかしいと感じる、その理由にまでは思い至らなかった。
「志筑くんは、どうしてここに?」
第一図書室に用事があって来たのか、と思ったけれど、海の返答がそれを否定する。
「机の調子が悪くて。交換するのにこっちに来たら、相模さんがふらふら歩いてるのを見かけたから」
旧校舎には空き教室が幾つかある。そのうちのひとつが、予備の机や椅子の置き場になっているのはあかりも知っていた。そしてそれが、第一図書室より手前にあることも。
言外に当初の目的地を逸れて追いかけてきたのだと告げられて、あかりは申し訳ない気持ちになった。
「机の調子が悪いって、ガタガタするとか?」
「そう。あと少しの付き合いだから、替えなくてもいいかなと思ったんだけど、周りが気にするから」
瞬間、あかりは冷や水を浴びせられたような心地になった。きっと、海自身は深い意図などなく――海がいなくなることを知っているあかり相手だからこそ、そう口にしたのだろうけれど。
墓碑の前で湧き上がったのと同じ、自分のものだけでない衝動が喉元にまでせり上がって、けれどあかりはそれを寸でで抑え込んで、飲み込んで、ただ「……そうなんだ」とだけ告げた。
「相模さんは図書当番だよね。引き留めて、ごめん」
「ううん、元はと言えばぼうっと歩いてた私が悪かったから、……声、かけてくれてありがとう」
「お礼言われるほどのことじゃないよ。それじゃ」
「うん、それじゃあね」
親しく挨拶を交わす仲でもないので、そんな簡素なやりとりで別れ、あかりは改めて目前の第一図書室へと足を向けた。
――だから、あかりが背を向けた後、海が無言で己の手に走る傷を見下ろし、そうして原因となった場所に目を向け、何かに得心が行ったかのように小さく頷いたことを、知る由もなかった。