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始まりの夜


【救世主が魔王を殺さなければ、この世界は滅びる】


 唐突に降ってきた〈声〉に、相模あかりは数式を解く手を止めた。

 部屋のオーディオ機器の電源が切れていることを確認して、首を傾げる。ラジオか何かかと思ったのだが、違うらしい。


(……空耳?)


 他に音を発するようなものが部屋にない以上、そうとしか考えられないが、……それにしてはいやに鮮明に聞こえた。

 ひとまず気のせいだったということにして、あかりは机に向き直った――しかし。


【救世主の証は陣の浮かぶ片目、魔王の証は身体に浮かぶ刻印】


 直後、再び〈声〉が響いた。

 思わず肩を震わせ、再度オーディオ機器に視線を走らせるが、やはりそれらの電源は点いていない。


【期限は七日間。世界の存続と一人の生を秤にかけ、選べ】


 ぷつりと〈声〉が途切れる。同時に、自身を襲った感覚にあかりは息を呑んだ。


 自分が〈崩れていく〉感覚。砂になるように、細胞レベルで分解されていくように、自分が〈崩される〉――〈崩れていく〉。そうして、その端から何か〈異質〉な物と共に再構成されていく。何かが自分に組み込まれる。


 それは圧倒的で暴力的な、それでいて壊れ物を扱うかのように繊細で細やかな、抗いようのない〈相模あかり〉への蹂躙だった。


 手にしていたペンが床に落ちた音を認識しながらも、何をすることもできない。ただ、嵐が過ぎ去るのを待つように〈書き換え〉が終わるまでを耐えるしかなかった。



 ――数分か、数十分か。それすらも判然としない、ただ翻弄されるだけの時間を経て、それは唐突に終わりを告げた。

 早鐘のように鳴る心臓を感じながら、あかりは否応なく理解する。理解せざるを得なかった。


 自分が先ほどまでとは違う存在に作り変えられた――〈書き換えられた〉ということを。そして、それに先ほどの〈声〉が関わっているということを。


 【救世主】と【魔王】。


 ゲームや漫画の中ではありふれたそれが、現実に存在するはずがないと、あかりが培ってきた〈常識〉が告げる。

 それなのに一方では、それが実在するのだと、自分はそれに選ばれてしまったのだと、否定を許さぬ絶対的な確信を抱いている。


 世界を滅ぼす鍵――【魔王】。

 世界を滅びから救える唯一の存在――【救世主】。


 かつて人であり、〈声〉の主によって存在を〈書き換えられた〉者達。

 外見も記憶も、体のつくりも何もかも、人であった時のまま――それでも人とは呼べない存在に変わってしまった。変えられてしまった。世界の命運が定まるまで、それは絶対に覆らない。


 あかりは震える手で手鏡を取り出した。ごくりと喉を鳴らして、思い切って覗き込む。映った己の左目は、薄青く光っていた。――〈声〉が、それが【救世主】の証だと告げたように。


 ぼんやりと左目に熱が集うのを感じて、あかりは顔を歪めた。痛みはない。ただ違和感だけが強烈にある。

 熱はじわりじわりと上昇を続けていく。見慣れた自室の壁がぐにゃりと歪んで溶ける。そうして熱が最高潮に達したとき、唐突に左目の視界が切り替わった。


 ――ここではない、どこか。机の上に置かれたスタンドライトだけが光源として部屋を照らすそこに、何をするでもなくただ虚空をみつめる人物が居た。


 どことも知れない場所を見ていたその瞳が、ふいに向きを変えて――あかりを、見た。


 刹那、それまでが嘘だったかのように集っていた熱が引き、同時に左目に映っていた光景も消え去る。

 あとにはただ、いつも通りの、何の変哲もない自分の部屋が映るのみ。


「……っは、」


 知らず詰めていた息を吐く。苦しいほどに鳴る心臓を押さえて、必死に深呼吸した。努めて冷静になろうとするが、つい今しがた見えた光景がそれを阻む。


 個人の部屋としては不必要と思えるほどに広い部屋。ベッドや机などの最低限の家具は揃っていたものの、まるで展示場のようにほとんど物の置かれていない、生活感が薄いそこに居たのは――。


(あれは……志筑、くん……?)


 一瞬だけ合った視線。感情の窺えない、レンズの向こうの怜悧な瞳。その持ち主を、あかりは知っていた。ほとんど『知っている』だけではあったが。


 志筑(しづき)(かい)。それが、あかりの見た人物――あかりにとっての【魔王】の名前だった。


 これまでのあかりにとっては、同じ学校に通う、端正な顔立ちと物静かな佇まいが相まって、ひそかに女生徒の間で人気があるから名前と顔は知っている、という程度の認識だった。時折図書室に本を借りに来ることがあったから、カウンター越しのやりとりをしたこともある――それくらいの関わり。


 ……世界の存続を願うならば殺さなければならない。そういうふうにさだめられた〈対〉の存在だなんて、そんなことは冗談のようにしか思えない希薄な繋がりしかなかった。


「……眠、ろう……」


 自分に言い聞かせるようにして口に出した言葉は掠れていた。けれど、それに気付く余裕はあかりにはなかった。


 知らず身体が震える。解きかけの数式はそのままに、開いていたノートを閉じて鞄に入れる。部屋の電気を消して、乱暴に布団の中に潜り込んだ。

 身体を丸めて、ぎゅうっと目を瞑る。自然と浅くなっていた呼吸を、意識的に深める。

 考えたくない、認めたくないことから逃げていることを自覚しながら、あかりは眠りに落ちていった。





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