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第3章 ~ 南東:薄翠色の月 ~3


「ひとの恰好をとやかく言うわりに、自分だって大してめかして来てないじゃないか」


 ラテン語で月を表す愛称を持つ璃那はさながら、薄翠色の月だった。肩先までの黒髪には何の飾りもアレンジもない。淡いエメラルドグリーンのカーディガンの中には真っ白いブラウス。首にも耳にも、アクセサリーの類いは一切着けていない。シンプルな装いがいかにも、派手に着飾るのを苦手とする璃那らしかった。


「靴も履いてないし」


 オフホワイトの膝丈フレアスカートからすらりと伸びた脚の先は裸足だった。


「そ、それは、ずっと空の上にいるって言ってたからっ! それに服だって、見た目は地味でも素材的には一張羅なんだからねっ!」


 からかうように言うと、璃那は横座りしている白いサーフボードのようなものをばんばん叩きながら反論した。

 それにあわせて、ツヤのある髪が軽やかに揺れる。

 子供のころの面影を残す童顔だが、さすがに子供のころと比べると大人びた印象がある。どことなく、二年前よりもさらに大人っぽくなった気がする。

 ほとんどすっぴんと変わらないナチュラルメイクの中で、唇に薄くひかれたさくら色だけがひときわ目立つような気がするのは、口元に小さなほくろがあるのを知っているせいだろうか。


「そんなことより。さっきの挨拶代わりのハグ。タッチセラピーを兼ねたつもりだったんだけど……刺激が強過ぎたかな」


 バツが悪そうに苦笑いしながら、指で頬を掻く。


「タッチセラピー?」

「うん。人肌には人を癒す効果があって、握手したりハグしたり、触れることで人を癒せるんだって。知らない?」

「聞いたことはある」


 少なくとも、反論を阻止するつもりでやったのではなかったらしい。


「けど、強過ぎたのは刺激じゃないよ。もう昔のようなリアクションをするほど子供でもない。癒そうとしてハグするなら頭じゃなく、力加減も忘れないで欲しいな」

「あ、あははははー……」

「………………」

「……ごめんなさい」


 璃那は後頭部に手をやって、まるでほとんど欠けていて弱々しく光る月のように、乾いた笑いでごまかそうとした。が、俺の冷やかな視線に負けて完全に光を失った。

 こっちは本気で危うく死にかけるところだったのだ。冗談でも、笑って済まして欲しくはない。


「……まあ、今度から気をつけてくれれば。再会出来た嬉しさは、充分過ぎるほど伝わったしね」

「ほんとっ?!」


 見るからに落ち込んでいる姿を見かねて、ため息まじりに本音を言うと。薄翠色の月は弾かれたように光を取り戻し、輝くような笑顔を見せた。


「――あ、ああ。それにその…… ……また逢えて嬉しいのは…………だし」


 予想以上の効果に一瞬返事が遅れ、あまりの気恥ずかしさに言いよどんだ。顔が火照っている自分に気づくとだんだん声のボリュームが落ちて行って、後半の「俺も同じだし」は声になっていたかどうか。


「ほんとにほんとっ?!」


 何とか璃那の耳には届いたようだ。笑顔がさらに輝きを増し、ふたたびゼロ距離まで迫った。


「嘘は言わない。だから近づき過ぎないで」

「あ、耳まで真っ赤。照れてる?」

「悪い?」


 あいにく俺は、初恋相手にお互いの鼻先が触れ合いそうなほどの至近距離で見つめられても顔色を変えられずにいられるほどの演技力は、持ちあわせていないのです。


《 ……なぁ 》


 赤面と笑顔を向かい合わせていると。聞きようによっては猫の鳴き声そのままの〝声〟が、二人の間を割って入ってきた。


「ん?」

「ん? ――わっ!」


 俺は〝声〟のした方へ振り向いただけだったが、璃那は振り向いた直後、驚いて上体をのけ反らせた。


《 再会早々お取り込み中のところ悪いが、まだ初対面なのがここにいるのを忘れてくれるなよ? 》

「ああ悪い。そうだったな」

「びっくりした……いまの〝声〟、この仔猫ちゃんが?」


 俺の傍らで呆れや不満を隠そうともしていない〝声〟の主を見て、璃那は瞳をまんまるくした。


「仔猫ちゃん……に見えるよな、やっぱ」

《 あっ、こら 》


 苦笑いしながら、俺は灰銀色した小っちゃい(かたまり)の首根っこをつかんで、璃那の方へ向けた。


「ほれ、自己紹介しろ」

《 その前に、首から手を離せ 》


 塊は、吊り下げられたままこちらを振り向いて抗議した。


「いいのか? ここから落ちたら、本当にカラスたちの餌になるぞ? イイ感じに細かく散らばって、食べやすくなること請け合いだ」

《 そんなことになったら化けて出てやる 》

「化け猫になるって? いまも似たよーなもんだろ」

《 いーからさっさと降ろせ。膝の上に置くとか、いろいろあるだろうが 》

「鳥かごの中に入れるとか?」

《 かごはイヤだ、膝を貸せ 》

「あいにく、猫に膝枕させるシュミは持ち合わせていない」

《 枕じゃなくて座布団だ 》

「じゃあなおさらだ」

《 四の五の言ってねーで―― 》

《ねえ、ちょっといいかな》


 いつ終わるとも知れない押し問答に、別の〝声〟が遠慮がちに割り込んで来た。


「っ!」

《 なにっ? ぅわっ! 》


 驚いた俺は声を上げる間もなく、塊の首根っこを離してしまった。


《 離すなら離すって言ってからにしろっ 》

「わかった、離すぞ」

《 もう遅いわっ! 》


 本当に地上に落とされるとは欠片も思っていなかったのか、膝上からの非難には震えも(おび)えもなかった。ベタなボケで軽くいなすと、俺はアルテとは別の〝声〟の主――璃那に向けて、頭を下げる。


「話の腰を折っちゃったよな。ごめん」

「ううん、そうじゃなくて。ひょっとしてそのコも……〝テレパス〟を使えるの?」


 半信半疑でおそるおそるといった感じで、俺に(たず)ねる。璃那がそう思うのも無理はない。俺もアルテと初めて会った時には、まったく同じことを思った。



 俗に言うテレパスとは、超能力の一種だ。

 『サイコメトラー』や『サトリ』と呼ばれる、触れるだけで物の記憶を読み取ったり言葉を使わずに他者の心を読み取ったりする精神感応能力を持つ者のことを指す。

 一方、俺たちの言う、そして俺たちが使う〝テレパス〟もそれらと似てはいるが、同一のものではない。子供のころにそれを俺に教えてくれた璃那の推測は、半分正解だった。


「コイツが〝テレパス〟を使えるわけじゃないんだ」

「え、でも……」

《 俺様には難しいことはよくわからんが、このトキヤやアンタたちのチカラが、俺様の言葉を勝手に日本語にしてくれとるらしいぞ 》


 俺の回答を理解出来ていない璃那を見かねてか、アルテがフォローしてくれた。


「わたしたちのチカラが?」


 念のため、俺もフォローを入れる。


「実際の仕組みはもっと複雑で説明が面倒らしいけど、簡単に言えばそういうことだよ」


 自分の近くにいる相手の思考を勝手に読み取るサトリや、触れた物や人の記憶を読み取るサイコメトラー。彼らについて知っている人なら、〝テレパス〟のことを彼らの能力と同じように思うかもしれない。だが〝テレパス〟は、相手の思考を読み取るというより、聴き取るのである。

 それにサトリのように必ずしも相手の近くに居ないといけないわけでもなければ、サイコメトラーのように対象に触れる必要もない。

 さらに、相手が普通の人ならば受信一辺倒だが、〝テレパス〟を使える同士であれば、お互いの思いを〝声〟として受け取り合うことで対話が出来る。

 ちなみに『〝声〟』というのはウォークス、ラテン語でいう声のことだが、相手の思考を音声として受け取る俺たちの間では、いわゆる心の声のことを指す。


「アルテの場合は少し特殊で、発声したものが〝声〟になって聴こえるんだ。それからひとつ、制限がある」

「制限?」

「そう。コイツの〝声〟は、コイツと波長が合わないと聴き取れない」

「へぇ…… じゃあ、聴き取れてるから、わたしとも波長が合うってことなんだね」

《 そうみたいだな 》

「そっか。じゃあ、しっかり自己紹介しなきゃ」


 璃那は、白いサーフボード状の物体の上で座り直して居住まいを正した。


「初めまして、わたしは――」

《 知ってるよ、佐藤璃那だろ 》

「え?」


 持ち前の人懐っこい笑顔で名乗ろうとした自分より早くアルテに名前を言われ、璃那は目を白黒させた。


《 あんたたち三姉妹のことは、ここに来る道中にトキヤから聞いた 》

「ああ、そうだったんだね。でもいまは違うから、改めて。――いまのわたしは麻宮璃那っていうんだ。元々住んでた麻布の『麻』、いま住んでる大宮の『宮』って書いてアサミヤ。瑠璃(るり)色の『璃』に那覇市の『那』でリナ、だよ」

《 苗字が変わってたのかよ 》


 アルテは、璃那にではなく俺に訊いた。


「親御さんが離婚したんだよ。言わなかったか?」

《 聞いてない、聞いた覚えもない 》


 本当ならここで「ちゃんと人の話を聞いてないからだ」と言ってやりたかったが、俺にも話した覚えや確証がなかった。しかしその通り言うのは癪だったため、代わりにこう切り返した。


「お前が忘れただけじゃないのか?」

《 それは有り得ん。アルトゥアミスの一族は記憶力がいいんだ 》


 なぜかすっくと立ち上がって、両の前足を腰に当てて胸を張り、自慢げに言う。


「あるとぅあ……みす? アルテミスじゃなくて?」


 すると璃那が、初めて耳にした単語を訊き返した。


《 それは月の女神の名だろ。アルトゥアミスは、由緒正しき一族の名だ 》


 アルテはなぜか、さらに胸を張った。

 アルトゥアミスを和訳すると『月の猫族』となるらしい。ことの真偽はともかく、コイツ自身はそう主張している。


「アルトゥアミス一族……。ひょっとしてキミって、異世界の猫なの?」


 普通、非日常的な固有名詞を耳にしたなら「何それ、どんなファンタジー?」とか言って茶化すところかもしれない。

 しかし璃那がそうしなかった理由は二つある。ひとつは、自分自身が非日常的な存在であるから。もうひとつは、相手を疑うということを知らないからだ。


《 アルテ 》

「?」


 問いには答えずに、不機嫌を(あら)わにしてポツリと言う。

 璃那は意味がわからないといった様子で、ぱちくりと瞬きを繰り返した。


《 俺様の名前だ。アルテ 》

「ああ、それはごめん。じゃあ言い直すね。アルテくんて、異界の猫なの?」


 アルテに訂正を求められたのはキミって言ったのが気に障ったからだと思ったのか、璃那はふてぶてしく言われたことを気にも留めず素直に謝って、質問を改めた。

 アルテという名は、俺が付けた。本名は別にあるらしいのだが《 あんな気に食わん名前など忘れた 》と言って明かそうとしなかったので、アルトゥアミスからもじったのだ。


《 『くん』も要らねえ、呼び捨てでいい 》


 やっぱり偉そうに胸を張ったままで、俺との初対面時には言わなかったことを言った。コイツがこんなに女尊男卑(じょそんだんひ)が激しいとは知らなかった。


「そう? わかった。じゃあアルテ。わたしも呼び捨てか、ルナでいいよ」

《 ルナ? 》


 アルテは小首を傾げる代わりに、尻尾でハテナマークを形つくる。それを見た璃那は両の手のひらを(あご)の下で合わせて「おや可愛い♪」と言ってから、続けた。


「そ、ルナ。ラテン語でいう月のことで、お月見好きなわたしの愛称。これも、トキくんから聞いてない?」


 そこはちゃんと話したぞ。


《 ………… 》


 しかしアルテは、目で訴える俺を見て沈黙すること数秒。もしこれがテレビやラジオの生放送中だったら確実に放送事故になる。


《 ……ああ。いや、聞いてた 》


 思い出したらしい。しかし口から出まかせだ。意図的に俺たちから視線をそらしている。

 そろそろ口を(はさ)んでもいいだろうか。そうすると止めどない言い合いが始まるのは必至。だがいい加減、黙っていられない。


「聞いてただけで、左の耳から右の耳へ素通りしてったんだろ」

《 どっちかって言うと、右から左だな 》

屁理屈(へりくつ)言うな。どっちでも同じだ」

《 右の耳から聞いてたのは事実だぞ? けっこう重要な違いだと思うが 》

「そうだとしても、論点はそこじゃなくて俺の話を聞き流して覚えてなかったってとこだろうが」

《 おお、なるほど 》


 ああもうまったく口の減らねぇ……ん?

 不毛な言い合いをしながら視界の端で、璃那の表情をうかがった。ひとりだけ置いてけぼりにされて不機嫌になっているかと思ったが――


《 なんだ? ――何を笑ってやがる? 》


 むしろ俺たちを微笑ましく見つめていた。アルテも俺の視線を追ってそれに気づき、璃那に訊いた。


「ん? あぁいや。二人とも仲良いんだなぁって思って」


 は?


「《 どこが 》」


 どこかうらやましそうに笑顔で言われたが、あまりにも心外な返答にツッコミを入れると、偶然〝声〟とハモった。


「そういうとこがだよ」


 璃那は、心から楽しそうに言った。


「俺とアルテが仲良しに見えるって、そりゃ何の冗談? なあ」

《 まったくだ。心外にもほどがある 》

「そうなの? でもトキくんたちは仲悪いと思っていても、わたしからは仲良しに見えるんだよ」


 ケンカするほど仲がいい。つまりはそう言いたいのだろうか。

 その後、璃那から客観的事実というものを()かれ、それ以上の反論が出来なかった俺たちは、揃って白旗を(かか)げたのだった。


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