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第3章 ~ 南東:薄翠色の月 ~1


「初恋の相手と二年ぶりに会うっていうのに、ずいぶんラフな恰好だね」


 凜とした涼やかな響き。それだけで、誰の声なのかわかる。


「これでも、自分なりにお洒落して来たんだよ。それとも、白いタキシード着てバラの花束でも持って来りゃよかった?」


 そんなに地味かな、この服。

 あまり気合い入れてめかし込んでも逆に引かれるかなと思って、それでもけっこうカジュアルを意識して来たのだけど。なんて思いつつ、口の両端に笑みを浮かべながら声のした方を向くと。

 月と俺との間に彼女がいた。


「それは願い下げだね。きっと見た瞬間にとんぼ返りしちゃうよ」


 彼女は箒ではなく、サーフボードのようなものに横座りして、俺の姿を月からさえぎるように浮遊していた。

 ただ。


「……あのさ」

「なにかな?」


 逆光でもはっきりそれとわかる、彼女の花が咲いたような笑顔は、


「ちょっと近過ぎない?」

「そうかな」


 お互いの鼻先が触れ合いそうなくらい、間近にあった。


「近過ぎちゃイヤ?」

「そんなことはないけど……」


 近過ぎるというより、ほぼゼロ距離だ。


「ならいいじゃない♪」


 超がつくほどの至近距離で彼女の声が弾んだ、その直後。


「それにしたって適度な距離ってのが――むぐ」


 圧迫感と暗闇が俺を襲った。何が起こったのかまったくわからない。圧迫感はなぜか頭部だけにあり、暗闇はうっすら翠色をしていた。


《 ああっ、なんてうらやましいことをっ! 》


 闇の外から、アルテの悔しそうな〝声〟が聴こえた。うらやましいこと? ……ああ、なるほどそういうことか。

 おかげで状況を客観的に把握出来た。

 どうやら彼女が、自分の胸に俺の頭を抱いたらしい。道理で、やけに温かくてやわらかい闇だなと思った。嗅覚を意識すると、ほのかな石鹸の香りがする。

 興奮気味のアルテとは正反対に、俺は自分でも不思議なほど冷静にこの状況を分析していた。


 事態はわかった。しかしなぜ、彼女はそうしたのだろう。俺の反論を阻止するつもりだった? いやそれなら、手で口をふさげば済むことだ。それに、アルテはこの状態を羨ましいと言ったが、それはとんでもない思い違いだ。

 なんなら、一度やられてみればいい。そうすれば、見るのと体験するのとでは大違いだとわかるから。

 もしこれが、包み込むようにやわらかい抱擁(ほうよう)、というかハグであったなら、心地よさを感じる余裕もあったかもしれない。

 しかしこれは、ハグではなく締めつけだ。力加減が完全に無視されている。ヘッドロックを極められているのと大差ないこの圧迫感は、体験してみないとわからないだろう。

 そもそも彼女は、腕力が半端ないのだ。


「……………………」


 ちなみに。

聞くところによると人間は、息が出来ない状態が三十秒程度続くと、窒息による急性呼吸困難を引き起こすらしい。意識して息を止めるのとはわけが違う。

 マジで窒息死する一歩手前。

 まさしくいまの俺の状態がそれだろう。それはそれは息苦しく、出来ることならじたばたと激しく暴れたい。しかしこの状態のままそれをすると、不用意に彼女の体に触ってしまいかねない。それは避けたい。となると―――


 そこまで一気に考えをめぐらせた俺は、この(すさ)まじい息苦しさをボディランゲージで伝えたいのを必死に抑え、努めて冷静に、別の手段で(うった)えることにした。


《…………苦しい》

「え?」


 すると締めつけは、彼女の驚きとともにハグに変わった。――というのは表現のあやで、実際には単に腕の力が緩んだだけに過ぎない。


《逢えて嬉しいのは痛いほどよくわかったよ。けど、それで窒息死させられちゃたまらない》

「ああっ、ごめん!」


 冷静に――なんでこんなに冷静なのか自分でもよくわからないが――指摘すると、(あわ)てた声がしてから石鹸の香りが離れ、薄翠色の闇から解放された。

 助かったと安堵する一方で、解放されて残念なようでもある。複雑な思いが()い交ぜになったため息をついて顔を上げると、


「久しぶりだね、トキくん」

「――うん。本当に久しぶりだね、ルナ姉さん」

「ああ、なつかしいなあ、その呼び方」


 彼女――璃那の微笑みは澄みきっていた。

 様々な思いで混沌としていた俺の胸中とは、まるで対照的だった。



 そういえば十三年前。

 ルナこと佐藤璃那(さとうりな)と初めて出逢ったころにも、薄翠色の闇に襲われたことがあった。



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