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第2章 ~ 東南東:現れた声 ~

 

「実は落ちながら移動しているんだ」

「何が?」

「雲だよ。地上からは浮いたまま移動しているように見えるが、実は落ちながら移動しているんだ。落下速度は、秒速一センチメートル」



 かつて俺にこの丘の存在を教えてくれた人が一番最初に教えてくれた空の不思議を思い出していた、ちょうどそのとき。

 雲海が消えた。

 一秒に一センチずつ落下していた白い大海原のように巨大な水蒸気のかたまりが、文字通り、月明かりに溶けるようにすぅっと消えてなくなった。

 空を飛ぶ姿を雲海で隠して、待ち合わせの時間、月が南中したら合図があることは事前に聞いてはいたが、ここまで大規模とは……まあ、あの人らしいやり方だけど。

 目の前の現象に驚くよりも(あき)れてしまい、ため息ひとつ。

 箒を停止させてから、アルテに声をかけた。


「着いたぞ」

《 おう 》


 鳥かごの中から出てきて、外側をよじ登る。


《 やっと着いたかぁ~ 》


 さすがは猫と言うべきか。四足を一列にして箒の柄に立ち、ふらつきもせずごく自然な感じで伸びをする。

 小学四年のときに担任教師との猛特訓でやっと自転車に乗れるようになった飼い主からすると、(うらや)ましいほど素晴らしいバランス感覚だ。


窮屈(きゅうくつ)だったろ」

《 そりゃあもう、大絶賛で 》

「悪かった」


 訊くまでもなかった問いに、にんまり顔で皮肉を返され、思わず反射的に謝ってしまった。


《 なんだよ、妙に素直でトキヤらしくねーな。久々の再会にテンパってんのか? 》

「俺にもよくわからん。ま、月明かりの魔法のせいってことにしといてくれ」

《 似合わねえセリフだな 》

「放っとけ」


 自分でもそう思うが、コイツに笑いながら言われるとやけに(しゃく)に障る。


《 とか言って、本当はちゃんとわかってんだろ? 》

「さあな」


 本当にわかってないのだが。強調するのが面倒だったので返事を(にご)した。


「それはそうと、なんとか約束の時間には間に合ったが……」

《 結構かかったな 》

「ああ」


 地図に名前のないこの丘は、芦別市の郊外にある。

 俺たちは車より断然速い移動手段を使ったにもかかわらず、結局その倍以上かかってしまった。

 まあ、道なき道を飛んでくるのに、スタートダッシュ以降ずっとスクーター並みのスピードしか出さなかったのだから、当然の結果かもしれない。

 十六夜月夜なのだから、箒のコントロールだけに意識を向けていればF1カーくらいのスピードで飛ぶことも出来たのだが――


「話に気を向け過ぎたかな」

《 気にするな。むしろ鳥かごを引っかけたままで時速三百キロも出されたらこっちの身が持たん 》

「それもそうだな」


 その光景を思い浮かべて、苦笑する。


《 それに、昔話のおかげで道中退屈しないで済んだし、三姉妹に会うのが楽しみになったぞ 》

「それは何より。だがもし、彼女にあの質問をしたら」

《 あの質問? ――ああ、告白そのものの内容か? 》

「そうだ。もしそれを訊いたら、答えを知る前にお前を森へ叩き落として、カラスの(えさ)になってもらうからな」

《 ひでえ 》


 どうせ脅しか冗談だとでも思ったのか、アルテはにししと歯を見せて笑った。

 俺は本気だったのだが。



《 それにしてもここ…… 》


 おもむろに柄先に立ち、アルテは眼下を見渡す。


《 本当に、灯りひとつ無ぇなぁ 》


 そこに広がるのは、欠け始めの満月が照らす闇だけ。ネオンサインはおろか、人家の灯りひとつありはしない。


「人が造った灯りがひとつもないから、自然の明かりが映えるんだよ」


 特にかっこつけるでもなく、かつて俺に向けられた彼の言葉を、そのままなぞる。


《 なるほど 》


 真っ暗な空中に弧を描くように視線をめぐらせてから、アルテは深くうなずいた。

 まだ彼女と出逢う前。彼と初めてここに来て、目の当たりにしたペルセウス座流星群を、覚えている。

 告白した夜に別れた彼女たちとここで眺めた十六夜月を、もう二度と忘れない。忘れたくない。

 記憶と決意を胸の奥にしまって、彼の言葉をもうひとつなぞる。


「月のない夜にここに来ると、まさに満天の星空だぞ」

《 それを聞くと、ぜひとも新月の夜に来てみたくなるな 》


 当然だろう。性格に光のない俺でさえそうなったのだ。彼女も、彼女たちも。

 ほかの人も猫も、きっとそうなる。


「そのうちにな」


 素っ気なく答えると、アルテはこちらへ振り向いて顔をしかめた。


《 そのうちだと? ここだって観光地なんだろ? また来るまでの間に観光開発の手が入ったりしないか? 》


 アルテの心配はあながち的外れではない。どこの町にも一度は、観光絡みの土地開発の話が持ち上がる。俺の住む町だってそうだった。

 しかし。


「その心配はない」

《 言い切ったな 》

「そんなのは昔の話だし、もし観光開発の話が進んでそれが現実になっていたら、俺はここを彼女たちとの再会の場には選ばなかったよ」


 開発されるということは人工物が造られるということであり、それだけ自然が壊されるということだ。地上の自然はもちろん、天上の自然も。

 しかし、ここはそうならなかった。


「ここも一度は開発されかかったけど、ダメになってるんだよ」

《 何かあったのか? 》

「なんでも――」


 工事を始めたあたりから急に、その関連会社の業績が思わしくなくなった。

 それで工事を続けることが難しくなり、それでも無理して工事を続けようとしたのが悪かったのか、最終的には大元の会社まで経営が破綻(はたん)


「――それ以来、開発話はお蔵入り。誰もここに手を出そうともしなくなった」

《 不思議なこともあるもんだな 》

「まったくだ」

《 もしかしてここは、何かに護られているのか? 》

「何かって? まさか開発計画がポシャったのは、山神様の(たた)りかもしれないとでも言うつもりか?」

《 ああ 》


 アルテの突飛な発想に呆れるように言ったが、実を言うと俺も、そう思ったことはあった。

 しかし。


「有り得んだろ」

《 そうかもしれんが。いままさに常識では有り得ないことをやってのけているヤツがそれを言うか? 》


 針のように細めた視線で、刺すようにこちらを見た。

 ちなみに俺たちはいま、ヘリコプターのように中空にホバリングさせた箒に座っている。


「このチカラと神霊の仕業(しわざ)を一緒にするなよ」

《 ある意味一緒だろ――って待て。神霊の仕業だと? 》

「ああ。この経営破綻劇の裏には、とびきりの都市伝説がくっついていて――」


 興味深げにせわしなく揺れるクエスチョンマークに答えようとした、ちょうどそのとき。

 月明かりが(かげ)り、間もなく頭上から声がした。


「こんばんわ、トキくん。初恋の相手と二年ぶりに会うっていうのに、ずいぶんラフな恰好だね」



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