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第7章 ~ 南西:事故の日。そして事故の日から ~

 


 その日は満月だった。夕刻を過ぎた秋葉原の空は、黒く濁った灰色雲が通り過ぎた後だった。

 折りたたみの傘を入れた手提げ鞄を軽く叩いて俺が向かったのは、三姉妹の行きつけの店。世界的に有名で賑やかな電器街とは真逆の、秋葉原駅の北東側にひっそりとたたずむ、小さなカフェ。

 入口に看板はなく、目印を知らないと、そこが店であるとは気づきにくい。壁と同化するように白塗りされたドアには、同じく白く塗られたカウベルと【本日貸切】と小さく手書きされた白木のプレートが掛けられていた。

 思わず苦笑で崩れた顔と気を引き締め直し、ドアを開けた。


「いらっしゃいませ」


 驚きのあまり、思考が停止した。そこはまるで、昭和の時代にタイムスリップしたかのような、レトロという言葉がぴったりな空間だった。

 ドアのそばに姿勢よく立っていた、一見しただけでは店員とも店長とも判断つかない女性のおだやかな挨拶は、耳を素通りしていた。


「兎季矢さん、ですね?」

「え? ええ、そうです古瀬(ふるせ)兎季矢です」

「お待ちしていました」


 名前を呼ばれて、やっと我に返った。女性は、黒髪をアップにし、白のシャツに黒のパンツ、濃紺のエプロンという制服をまとっている。見た目まだ十代後半かと思えるほど年若かったのだが、他に店員がいなかった様子から察するに、たぶん彼女が店長なのだろう。言葉を失って棒立ちの俺を、笑って迎え入れてくれた。


「初対面なのに、笑ってしまってごめんなさいね。あの子たちも最初ここに来たとき、お客様とおんなじ反応をしてたものだから、おかしくて」

「はあ」


 照れたように笑って、どこかの女将さんのような口調で弁明する店長さんのなんとも言えない雰囲気に毒気を抜かれた俺は、せっかく引き締め直した気が霧散していくのを感じた。しかし不思議と悪い気はしなかった。それに加え、璃那たちがここを気に入っている理由がわかったような気がした。


「あの子たちなら、奥でお待ちかねよ。わたしはちょっと買い物で席を外すけど、ちょうど蒸らしていた香茶の葉がいい具合に起きるころだから、ぜひゆっくりしていってくださいね」

「あ、はい。ありがとうございます」


 本当は五分とすら店内に居るつもりもなかったのだが、やんわりと、それでいて有無を言わさない感じで一方的に言われてしまい、うなずくことしか出来なかった。

 店を出て行ってしまった店長さんにすっかり崩されてしまった調子をひと呼吸で整え、店の奥へ目を向けると。揃って私服姿の女性たちがテーブル席からこちらを見て、三者三様に手を振っていた。


「待ちかねたわよ」

「やっと会えたね」

「思ったより元気そうでよかったわ。さ、座って?」


 それぞれに声をかけてきた三姉妹に対して俺は、席のそばまで行ったところでなんの前置きもせずにこう告げた。


「今日は、お別れを言いに来たんだ」


 その瞬間。三人の表情が固まり、ほぼ同時に、店内の空気が凍りついた。

 そこから三秒数えたくらいで空気が緩み、笑顔のまま固まっていた悠紀が眉をぴくりと動かして、短く言った。


「いま、何て?」

「今日は、お別れを言いに来たんだ」


 一言一句違わず、口調も変えずに繰り返すと、三人同時の大声が店内に響いた。


「「「なんでっ?!」」」


 当然の疑問だろう。

 あの告白の日から約五年間、璃那は俺の言葉を信じて、俺が学業を修了するまで待っていてくれた。

 ところが、五年目に思わぬアクシデントがあったために、そこからさらに待つことになって、計六年。

 今日やっと再会出来たと思ったら、頭ごなしの別離宣言。驚きのあまり、理由を問い(ただ)したくなるのは当然だろう。

 しかし俺は、それには答えずにこれだけを言った。


「やっと再会出来たのに、いきなりこんな勝手なことを言ってごめん。でも、前から決めていたことなんだ」


 璃那は放心していたのか、(うつ)ろな瞳でテーブルを見つめたまま。蒼依は(いきどお)りに身を震わせて。それぞれ言葉が出てこない様子だったが、悠紀は違った。明らかに怒っていたが、理性でそれを抑え込みつつ、諭すように俺に問いかけた。


「ねえ兎季矢くん。昔、璃那ちゃんがあなたに打ち明けたこと、覚えてる?」

「……ええ。ちゃんと覚えてますよ」


 忘れるわけがない。

 昔、病棟の屋上で、璃那が自分のチカラを明かし、俺も自分のチカラを明かしたあとで璃那が打ち明けた、とんでもない事実。


「『信じてもらえないかもしれないけど。

 わたしとその家族は、月の内部に存在する都の一族、ツキビトの血筋に連なる者なんだ。

 不老不死の身でありながら、この星に降りてこの星の人間と恋に落ちたがゆえに不老不死を失くしたツキビトの子孫。

 だから、月明かりを源としたチカラが使えるんだ。

 そして、そのツキビトと恋に落ちたこの星の人間の子孫もまた、ツキビトと同じチカラの種か苗を、生まれながらにして持ってるんだよ』ですよね」

「そう、それ」


 そして俺こそがそのツキビトと恋に落ちたこの星の人間の子孫であり、俺たちの出逢いはそれを理由に璃那の家族によって仕組まれたものであって決して偶然ではなかったことも、そのときに明かされた。

 チカラを持たない人には、まるっきり漫画みたいな絵空事でとても信じられない話だろう。しかし俺には、漫画みたいな絵空事だと断じることは決して出来なかった。璃那と出逢う前から〝テレパス〟を使えて、自分は人とは違うんだと疎外感を持っていただけに。



 思い返せば、月夜にしかそれを使えなかった。

 その理由を欲しがっていた俺は、自分がツキビトと恋に落ちたこの星の人間の子孫なのだと言われて、疑いもしなかった。

 だからこそ悠紀にこう言われて、とっさに返す言葉が出てこなかった。


「実はあれには続きがあってね。ツキビトと、それと恋に落ちて結ばれたこの星の人間が(つい)になるように、それぞれの子孫も対になるさだめなの。そして璃那ちゃんと対になるのが、兎季矢くんあなたなのよ。それでも、別れるっていうの?」

「…………」


 返答に迷った俺は無言で(きびす)を返し、


「今さらそんなこと言われても、もう決めたことですから」


 やっと出てきたこれだけを告げて、足早にカフェを出た。



 外は、月が出ていた。平日ということもあってか、辺りの交通量は少なく、人通りはない。横断歩道を渡りきったそのとき。

 背中越しに、あの凜とした涼やかな声がした。


「トキくんっ!」


 声の主が璃那であることはすぐにわかった。しかし俺は振り返ることなく、駅を目指して歩みを進めた。

 すると間もなく、二つの悲鳴が同時に聞こえた。


「璃那ちゃんっっ!」

「璃那姉さんっっ!」


 声は悠紀と蒼依のものだったが、切羽詰まった叫びを無視出来ずに振り返ると、俺はその光景に目を疑った。歩行者用の信号が青で点滅する中、こちらに向かって駆けてくる璃那に向かって、バイクが突っ込んで来ていたのだ。

 そこからはもう、無我夢中だった。

 このとき気づいた不自然な点を考察する余裕などあるはずもなく。その瞬間まで、璃那たちとはもう二度と会わない、関わらないと堅く心に決めていたことなど一瞬で吹き飛び、残ったのは単純な想いだけだった。


 ――助けなきゃ!

 そのあと何をどうしたのか、まったく覚えていない。無意識の行動だったためか、記憶を取り戻した今でも、そのときのことは思い出せないままだ。

 ことの一部始終を見ていた悠紀と蒼依の話によると、俺は二度、宙を翔ぶように跳んで璃那を助けたらしい。たぶん、無意識のうちにチカラを使ったのだろう。でなければ、幼いころから運動神経の(とぼ)しい俺に、一回の跳躍で数十メートル離れた璃那のところに着地する芸当など、出来るわけがない。

 そのまま璃那を抱きかかえてふたたび跳ぼうとしたが、突っ込んできたバイクにはねられそうになり、それを避けようとしてバランスを崩してしまった。あらぬ方向へ飛んでいって、建物の壁に頭を強打。結果、俺は璃那を横抱きするような格好で倒れていた。

 ついでに大馬鹿野郎のライダーは、大きく道をそれて転倒したあと、道端の植え込みに突っ込んでいた。



 救急車と救急病院は、蒼依が速やかに手配した。そこで()てもらった結果、俺たち二人に大した外傷はなかった。その代わり、脳にかなりのダメージが認められた。

 目覚めたときには二人とも、お互いの記憶だけを失っていた。

 ――これが、事故の日の顛末である。



 * * *



 あの日から約二年。

 璃那が失った、俺に関わる記憶はいま、戻っているのか。それを確かめるのが、ここで再会する目的のひとつだった。


「こうやってトキくんと普通に話せてるってだけじゃあ、答えにならないかな?」


 だが璃那はイエスともノーとも答えずに、反対に質問を返してきた。その答え方はずるい。

 見たままをそのまま信じるなら、記憶が戻っていると思っていいのかもしれない。しかし、どうにもそうは思えないのだ。だからこそ当人に訊いたというのに。シンプルに、イエスかノーかで答えてくれたらいいだけなのに――……

 いや、逆か?


「ひょっとして、イエスかノーかでは答えられない理由がある……の?」


 半信半疑だったが、璃那は口元にだけ笑みを浮かべた。


「やっぱり、トキくんは察しがいいね。答えを言うのは簡単なんだ。けど、たぶん信じてもらうのが難しいと思ったんだよ」

「それって…………」

 《 なんでまた、そんなふうに思うんだ? 》


 璃那の言葉に疑問を感じると、アルテが口をはさんで、俺の気持ちを代弁してくれた。


「いまのわたしが、プロの声優だから」

「ああ、なるほど。わかってたのか」

 《 ……話が見えん 》


 それで俺の方は合点がいったのだが、アルテの方が意味をつかめなかったらしい。尻尾をハテナマークのまま振り回している。


「アルテ、どうしたの?」


 それを見て、蒼依が心配そうに俺に訊いた。やはり蒼依には、アルテの〝声〟が聴こえていないらしい。


「いきなり話に割り込んで璃那に質問したが、答えの意味をつかめなくて困ってる」

「なるほどね。アルテには、あたしの言葉は理解出来る?」

「ああ、問題ない」

「だったら、あたしが説明してあげるわ」


 そう言うが早いか、蒼依はこちらの返事も待たずにアルテを自分の膝上に座らせて、顔の横に指を立てて、諭すように解説を始めた。

 仕方がないので、俺が通訳しよう。


「いい、アルテ? まず、声優っていう職業については知ってる?」

 《 それについては問題ない。トキヤから聞いたことがある。役者の一種で、メディアを通して声だけで演技を表現する仕事だと 》

「そう。俳優が、舞台やメディアを通して全身で演技を表現出来るのに対して、声優はメディアを通して声だけで演技を表現するのだけど、決して声だけで演技してるわけじゃないのよ? それに、声優として業界で成功出来る人っていうのは俳優のそれよりずっと少ないの。狭き門なのよ?」

 《 非常によくわかった。――だがアオイのやつ、若干キャラが変わったような気がするのは気のせいか?》

「ノーコメントだ」


 蒼依に向かってうなずいてから俺に向かって問いを投げ掛けてきたアルテにはそう答えたが、たぶん気のせいではない。蒼依は璃那に(あこが)れている上、自分は声優としての璃那を誰よりも応援していると自負している。

 普段のクールな仮面は、声優業界など璃那の関わる話をし出すと簡単に()がれ落ち、内に押さえ込んでいる熱が顔を出す。先ほど悠紀とのゲーム業界の話で姉妹ゲンカに発展しかけたのも例外ではない。


「アルテ、なんだって」

「非常によくわかったって言ってるよ。続けて大丈夫だ」

「そう」


 蒼依にアルテの〝声〟が聴こえなくて良かった。思考に感情の熱を帯びた蒼依は、真実を確かめようともせずに俺の翻訳を鵜呑(うの)みにした。


「声優っていうのは俳優と同じく、(れっき)とした役者なのよ。だから、長年の夢を実現させたプロの声優である璃那姉さんが今夜これまで見せていたのが全部演技である可能性を、トキは捨て切れないってことなのよ」

 《 なるほどな。――そうなのか? 》

「まあ、そういうことだ。つまり璃那は、俺がそう考えてるのを見越して、自分からは答えを明かさなかったわけだな」


 しかし、仮に演技だったとして、わざわざそんなことをする理由も意図も、まったくわからない。


 《 だが少なくとも見た目には、記憶を失くす前のリナなんだろ? 》


 アルテはそれを、悠紀に訊いた。


「そうね。けど――兎季矢くんはどう思うの?」

「演技ではない……とは思っています。ただ、璃那本人だとも思えないんです」

「それはどうして?」


 そう訊いたのは蒼依。


「明確な理由はない。ただ、プライベートまで演技する理由も意味もないだろ。あとは……まとってる雰囲気が璃那と違う……ような気がするんだ」

 《 後半、はっきりしねえ答えだな 》

「明確な理由はないって言ったろ。感覚的なものでしかないし、仮に別人だったとして、じゃあ誰なんだ? って話だ」

 《 もうひとりのリナ、って線はどうだ? 》

「もうひとりの璃那? 根拠は何だ?」

 《 ミヤコなら、チカラでパラレルワールドか過去からその世界のリナを召喚することが―― 》

「みゃーこ先生が異世界から召喚した。ハイ消えた♪」


 アルテの推測をさえぎって、悠紀が仮想の机にそうするように、中空を叩いた。しかし、どこか楽しげなのはなぜだろう。


 《 ダメか? 》

「残念ながら、みゃーこ先生にそこまでの能力は無いのよ」

 《 そうか。俺様を召喚するのとはワケが違うか…… 》

「もし可能だったとしても、タイムパラドックスとか、色々面倒だ。都さんがそんな手段を選ぶ可能性は薄い」

 《 それもそうか 》

「まだわからないの? もうあまり時間がないのよ?」

「まあまあ蒼依ちゃん。――でも兎季矢くん、あまり時間がないのは事実なのよ。演技でも別人でもないとしたら、ルナの雰囲気が違う気がするのはなんでだと思う?」

「うーん……」


 悠紀の問いかけに、見つけた答えは一応ある。だが……


「…………これも、別人説と同じくらい突拍子のない説なんですが……」

「うん?」

「もしかしたら、いまここにいる璃那は、璃那とは別人格、なんじゃないかと」


 と、ここで


「…………」


 それまで、しばらく事の成り行きを見守るように黙っていた璃那が、小さく身じろぎした。

 あまりにも見当違いなことを言ったからか?


「違うよな」

「……………………当たり」

「うん、まさかと思いながら言っただけだからいいんだよ――って、え?」


 あまり小さな呟きでよく聞こえなくて、聞き返すまで時間がかかった。


「当たりだよ。いまここにいるわたしは、璃那本人とは別人格さ」

「…………………………真面目に?」


 数秒、目が点になり、言葉が喉に詰まった。


「真面目に。璃那はあの事故の日に、わたしという、トキくんとの記憶を持ったままの人格を切り離したんだ。わたしが表に出ていられるのは、ひと月に一度。十六夜月が空にある間だけ」

「《 なっ…… ! 》」


 それは、あまりにも衝撃的な告白だった。

 アルテが、蒼依の膝から璃那の肩に飛び移った。


 《 何言ってやがる? 『璃那は』って、アンタが璃那なんだろ? 》

「うん。まあアルテとは初対面だし、違いはわからないかもね。でも」


 アルテを両手でつかんで、自分と対面させ、そこまで言って言葉を切る。そして、アルテを俺に向けるように持ち直し、璃那自身も俺を見つめ、


「トキくんは気づいたんだよね?」


 なぜか嬉しそうに、笑顔で言った。


「まあ……雰囲気の違いでなんとなく。けど、そういうことなら確かに、簡単には信じられないよ」

「そりゃそうよね。あたしも、最初はそうだったもの」


 蒼依がそう言いながら、うんうんと二つうなずく。


「私も。てっきり演技だと思ってたの」


 そうだった。思ってた。二人の言葉はどちらも過去形だ。ということは、二人は知っていたのか?


 そう思ったそのとき、蒼依の視線が俺を刺した。


「トキ。アンタ気づいてた?」

「何を」

「悠姉が、ここに来てからさっきまで、彼女をなんて呼んでいたか」

「そんなの、『璃那ちゃん』に決まって…………あ」


 違う。

 そういえばずっと『ルナ』と呼んでいた。蒼依も璃那も分け隔てなく、妹をちゃん付けで呼ぶひとなのに。


「じゃあ、二人とも知ってたんだな」

「ええ。ごめんね?」

「知っていたのは、そのことだけじゃないわ」

「なに?」


 悠紀が申し訳なさそうに謝る一方で、蒼依は、俺の方を見ずに、自分の左隣に向けて言った。


「そうでしょ、ルナ姉さん」

「ええ、大丈夫だよ蒼依。全部打ち明ける。トキくんに全部打ち明けてもらうんだもの、それにはまず、わたしが全部打ち明けないわけにはいかない」

「…………」


 そのまっすぐな瞳に見つめられ、俺は固唾(かたず)を飲んで、ルナの次の言葉を待った。

 不意に、そよぐくらいの風が一陣、俺たちの間を()うように吹き抜けた。明らかに、自然界の風ではない。きっと、この場にはいない誰かさんのチカラによるものだろう。


 風が去ってすぐ、ルナが口を開いた。


「トキくんは、今夜の再会を企画したのは悠紀姉さんだと思ってる?」

「は?」


 思ってもみなかった質問が飛んで来て、思わず変な声をあげてしまった。


 普通に考えれば、訊かれるまでもなく企画者は、昨日、璃那の声を真似て俺に電話してきた悠紀だ。しかし……


「違うの?」

「ええそう。この再会を企画したのは悠紀姉さんじゃなくてわたし。正確には、璃那本人。トキくんの記憶が戻るのを、ずっと待っていたんだよ」

「そうか……」


 その可能性を考えないわけではなかった。しかしそれは言わず、代わりに浮かんだ疑問を口にした。


「でもどうやって、俺の記憶が戻ったのを知ったの?」


 昨夜の電話は、あまりにもタイミングが良過ぎた。


「それは簡単だよ。璃那とわたしの主治医は、都先生なんだもの」

「……そうか。都さんは、アルテの主人マスターだ。主人は、自分の使い魔と感覚を共有出来る。つまり都さんは、アルテを通して俺の経過観察をしていたってこと?」

「そうね。そしてその結果を、ルナ姉さんに伝えてたのよ」

「そうだったのか……」


 あれは偶然だったんじゃなく、確認の意味での電話だったということか。

 悠紀が璃那の声を真似て電話を掛けてきたのは、俺との記憶が抜けた人格の璃那の存在を隠すためでもあったと。


「じゃあ本当はアルテのことも、前から知っていたの?」

「都先生から聞いて、存在だけはね。会ったのは、今夜が初めてだよ」


 俺との記憶を失った璃那のことは、彼女の母親が()ていた。つまり師弟揃って、璃那とルナのサポートをしていたということか。

 弟子の方がアルテの感覚を通していまこの場を()ているかはわからないが、師匠の方は間違いなく、月を通してこの場を視ている。さきほどの不自然なそよ風が何よりの証拠だ。


「璃那がこの企画を考えていたのは、いつから?」

「事故の日。トキくんが店を出ていった直後だよ」

 《 それはさすがに嘘だろ 》

「嘘じゃない本当だよ。死に別れじゃない限り、再会のチャンスはあるもの。もっとも、あの事故でトキくんがわたしとの記憶を失ってしまったのは、誤算だったけどね」

「…………」


 これには、驚きを隠せなかった。璃那があのときすでに、再会する機会を考えていたなんて。


「じゃあ、あのバイク事故は?」

「……その質問は、どういう意味かな。何か不思議な点でもあった?」


 ルナの返答には、少しばかり間があった。質問の意図をはかりかねているというより、俺がどこまで気づいているかを試しているような、そんなニュアンスが感じられた。


「あのとき。璃那が駆けてきたことと、あの場にバイクがやって来たこと。どちらも不自然だった」

「不自然って、どこが?」

「璃那は〝モメトラ〟が使えるだろ。あの日は満月だったし、空に月も出ていた。人目もなかった。俺のところまで移動するのなんて、一瞬あれば充分だったはずだ。なのにわざわざ、走ってきた。それにあのとき、バイクのエンジン音は、遠くから近づいてくる感じじゃなかった。突然、近くから感じた」

「…………やっぱり、気づいていたんだね」


 不審だった点を心持ち強調して言うと、ルナは観念したようにかぶりを振って、ため息混じりにそう言ったが、満足そうな顔をしていた。


「記憶を取り戻すまで、ずっと忘れていたけどね。――なあ蒼依? 確か〝モメトラ〟は、視界内であれば、任意の物体を任意の場所に瞬間転移することも出来るんだよな? そしてその物体は、静止している必要は無い」


 自分の推理の証人――というわけではないが、ルナではなく、四人の中で一番チカラについて詳しい人物に確認した。


「ええ、その通りよ」

「なら、それらのことを合わせて出てくる答えはひとつだ。だけど確証がなかった」

 《 待てよ。それはどういうことだ? 》


 ここで、意外な〝声〟があがった。


此処(ここ)でわたしに会えて、わたしの記憶が戻っていたなら、その確証が得られる。トキくんはきっと、そう考えていたんだよ」


 アルテの乱入は、俺にとっては予想外でも、ルナにとってはそうではなかったようだ。特に動じる様子もなく、冷静に俺の思考を読んで、アルテに言って聞かせていた。


 《 それくらいは俺様にもわかる。これでも一年間、ずっとトキヤを見てきたんだからな。わからねえのはルナ、アンタの方だ。そんなばかげたことが事実なのか? 》

「ばかげてるかな」

 《 ばかげてるだろ。今までの話を全部合わせると。


 当時アンタは、トキヤを追って駆けてきて。

 近く走っていたバイクを〝モメトラ〟でライダーごと自分がいる車線に呼び寄せて、そのまま自分に向って来させた。


 ってことになる。つまりは“事故の自作自演を図った”んだろ? 自分の命を懸けてまでそんなことするなんて、ばかげてるにもほどがあるだろうよ 》


「待ってよ。自作自演はその通りだけど、命なんて懸けてないよ?」

 《 ほぉう。じゃあ訊くが、もしトキヤが助けに入らなかったら、どうする気だったんだ? 》

「そんなこと、考えもしなかったよ」

 《 なんだと? 》

「だって。


 ああいう危機的な状況で、

 トキくんがわたしを、

 璃那を助けようとしないわけがないもの」

「…………」


 しばらく蒼依の通訳に徹していると、とんでもなく恥ずかしいセリフが耳に飛び込んできて、一瞬頭ん中が真っ白になった。

 我を取り戻してアルテに目をやると、意味ありげ目を細めたヤツの視線とぶつかった。


 《 …………ほほぉう 》

「なんだよ、その妙な反応は」

 《 いやなに。計算づくとはいえ、あんなまっすぐなセリフを聞いちまったら、今度はそこまで自分を信じてくれていた女を振っちまった奴の行動がばかげてるように思えたもんでな 》

「そうかよ」


 けどまあ、そうなるわな。


 《 ああ。それにこの麻宮三姉妹は、そのばかげた行動の理由が知りたくてこの場を設けて、ここにいるんだしな。――そうなんだろ?》

「うんうん♪」

「まあね」

「その通りよ」

「……むう」


 三者三様に同意を示されてはもう、(うな)るしかなかった。しかもその直後、アルテにとどめを刺された。


 《 念のために言っておくが、三姉妹だけじゃねえからな? 》

「ああ。そうなんだろうな」


 おそらくは都さんも、同じ気持ちなのだろう。事実がわからなければ、誰の考えも推測の域を出られないから。――なんて理屈っぽい理由はきっと、ばかな男の屁理屈なんだろうな。


 《 それがわかってるなら、このあとお前がどうしなきゃいけないかもわかってるよな? 》

「ああ」


 璃那は、相手に何かしてもらうにはまず自分から行動を起こさねばならないと考えるタイプだ。別人格といっても、ルナと璃那の違いは俺との記憶を持っているかいないかだけで、性格や思考に違いはないのだろう。

 実際、俺に真意を問うより先に、自分の真意を明らかにしてくれた。

 対して俺は、相手が何かしてくれたらその分を、それ以上を返さないとならないと考えるタイプだ。

 それに元より、すべて明かすつもりで、ここに来たのだ。俺は、区切りをつけるようにひとつ息を吐いて、語り始めた。


「……『君は幸せに出来るのか?』って言われたんだよ」

 《 誰にだよ 》

佐藤風貴(さとうかざたか)。璃那たちの親父さんに」



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