第6章 ~ 南南西:告白まで。そして事故の日まで ~
ばかみたいな話だよ。
それがいつからだったのかは、わからない。けれどはっきりそうだってわかったのは、連絡を取りたくても取れなくなってからだった。
退院してから璃那と連絡を取り合うようになるまでは、少し間があった。退院してから次の満月の夜。それは唐突に、俺の鼓膜に響いた。
《こんばんはトキくん。久しぶりだね》
《え、ルナ姉?》
《んー? どういうことかな、それは? キミを『トキくん』って呼んでこんなふうにお話出来る女の子が、他にもいるのかな?》
《いない……と思うけど。でもどうして? もしかして、近くにいるの?》
《ううん、遠くにいるの。でもね、今夜なら、こういうことが出来るんだよ。名づけて〝遠隔テレパス〟》
《そのまんまなネーミングだね》
《むぅ。いいでしょ別に。どうせわたしは、蒼依みたいなセンスないもの》
お互いにチカラを扱える能力者同士であることは、病棟の屋上で知った。会わなくなってまだ一ヶ月も経っておらず、まだ自分の中の気持ちに気づいてもいなかったからか、璃那の〝声〟が聴けて嬉しくはあったものの、ものすごく嬉しいというほどではなかった。
《今夜は満月で、綺麗な月夜だったから、きっとトキくんも観てるんだろうなと思ってさ。ダメ元でトキくんの〝声〟を探してみたんだけど。当たりだったみたいだね。窓から観てるの?》
〝テレパス〟は言ってみればラジオなどの受信機のようなもので。発信は出来ない。相手の心の声を受信し合って、このような対話が出来る。誰彼構わず受信してしまうのではなく、ラジオのチューニングのように聴き取りたい相手の心の声だけを探って聴き取るのだが、蒼依はそれが出来ないので人混みを苦手としている。
《ううん、屋根の上》
《そっか。じゃあ、わたしと同じだね》
チカラの源が、満月当夜とその前後に最も強まるということは、このときに知った。
《空にまん丸お月様が見えてたら、距離的な制限は無いに等しいんだよ》
《お互いが観てる月が、アンテナの役割をしてるってこと?》
《アンテナかぁ。蒼依はお月様を『〝テレパス〟を反射させる鏡』って言ってたけど、そうとも言えるかもしれないね。相変わらず、理解が早くて助かるなあ。話が通じるって楽しいね》
もうノロケにしかならないのでこれ以上は端折るが、それから月に一度はこんなふうに、ひと月の間にあったことを〝遠隔テレパス〟で話すようになり、そんな日々がしばらく続いた。悠紀や蒼依と知り合ったのもその期間だ。
最初のうちは、天候に邪魔されることもあった。けれど飛翔能力を蒼依から聞き習い、雲の上に行けるようになってからは、十三夜から十八夜くらいの間であれば連絡を取り合えるようになった。月の近くであればあるほどチカラの強さが増すことも、それでわかった。
しかしそんな日々は、唐突に終わりを告げた。
小学六年の夏。何の前触れも無く急に、月夜に璃那と連絡が取れなくなった。俺はその時になって初めて、璃那の電話番号もアドレスも知らないことに気付いたんだ。
――ばかみたいな話だろ? 連絡を取りたくても取れなくなってしまってから、やっとわかったんだからな。
自分の中の、璃那の存在の大きさを。
何が原因かわからぬまま、音信不通な状態は、それから丸二年続いた。
そして中学二年の夏休み。その満月夜。
あの涼やかで凜とした声は〝遠隔テレパス〟とは別の形で俺の鼓膜を震わせた。
「兎季矢ぁ、電話だぞー」
「電話~? 誰から~?」
「何か知らんが、サトウさんって、女の子からだー」
階下から父親に呼び掛けられ、自分の部屋で電話を引き継ぐと。スピーカーから、待ち焦がれた声が聴こえた。
まあ結論から言うと、そのとき電話機の向こう側にいたのは璃那本人ではなく璃那の声を真似た悠紀だったのだが。それが璃那にそっくりだったのと、あまりの嬉しさと懐かしさも手伝って、聞き分けがつかなかった。
思い返すと、いまでも顔から火が吹き出すほど恥ずかしい。
まさか電話機の向こうにいるのが悠紀だとは知らず璃那だと信じ込んだまま、俺は思い余って言ってしまったのだ。
「明日。十六夜月の夜に、あのとき話した場所で会えないかな」
ダメ元だったが、意外にも快いOKを得て内心舞い上がり、
「じゃあ明日の夜、芦別の駅前で」
と言って電話を切った。
病棟の屋上で璃那に話した俺のとっておきの場所で、やっと気付いた想いを告げようと、心に決めて。
そうして話は、丘へ向かう道中にアルテに語った昔話に繋がる。
アルテには頑なに語らなかった俺の告白は、弱気ながらも直球だった。
「ルナ姉のことをずっと好きだった。いまでも。高望みかもしれないけど、僕と付き合ってくれませんか」
駅には悠紀や蒼依もやって来たのだが、悠紀たちが気を利かせてくれて二人きりになれたときに、思い切って切り出した。
璃那は真剣に聴いてくれたし、真剣に返事をしてくれた。
「ありがとう。わたしもトキくんのこと大好きだからすごく嬉しいよ。でもごめんなさい」
璃那には、声優になるという夢があった。当時はまだ、北海道からでは声優を目指すには遠過ぎた。
しかし、俺が告白した時点で璃那は、上京して夢を実現に近づけるチャンスを得ていた。
気持ちは嬉しい。けど上京すると、俺との距離が遠くなってしまう。今以上の遠距離は、恋人同士には辛すぎると彼女は思っていた。
だからこその『ありがとう。でもごめんなさい』だった。
昨夜の時点で、もしかしたら告白されるかもしれないと気付いていた璃那は、たくさん、たくさん悩んだって言っていた。
「でもね、思ったんだ。いまのままなら、いまより遠くなっても大丈夫かなって。
だから。
もうしばらくはいまのまま。トキくんの頼りない姉貴でいさせてくれないかな……。それじゃ、ダメ?」
上目遣いに、悲しみと辛さと期待と不安を綯い交ぜにしたような複雑な色を瞳に滲ませて、たどたどしく話し、訊ねた。
その姿は、思い余って抱きしめてしまいたいくらい弱々しかったけれど、出来なかった。
このとき璃那は、まだ迷っていた。そして、俺の答えを怖がってもいた。そうでなければ、あんな表情にはならない。
夢と恋人。自分としてはどちらを選んで欲しいとか、どちらを選び取るのが璃那のために良いかなんて自問は愚問で。答えは、考えるまでもなかった。
「うん、ダメだね」
不満そうに言うと、璃那が『そう……だよね』とゆっくりうなだれるのが見えた。
そして、続けた。
「――なんて言うわけ、ないでしょ」
「え?」
精一杯の笑顔で前言を翻すと、璃那は弾かれたように顔を上げて、驚きに目を見張った。
「ルナ姉にとって声優になるって夢がどれだけ大切で大きいものか語るのをずっと聴いてた僕が、反対するとでも思った? 夢への切符と僕となんて、天秤にかけるまでもないじゃない」
ひと息でそう言い切ったら、
「そんなことない!」と大声で叫ばれて驚いたが、本音を表に出さないように精一杯気をつけながら、言葉を続けた。
「いいから行きなよ。応援するから。弟として」
真っ先に心の中に生まれて喉元まで込み上げていたのとはまったく違う言葉を告げると同時に、自分自身にも言い聞かせていた。
そして、誓いのような約束を告げた。こんな恥ずかしいセリフは、もう二度と言えやしない。
「それに、遠過ぎてダメだって言うのなら、僕が近くに行くよ」
「……え?」
「今は難しいけど……でも約束する。二十歳になる前までには必ず、僕がルナ姉の近くに行く」
もしこのとき第三者が、たとえばアルテがこの場にいたら《 五年も先かよ 》とツッコミが入っただろう。自分でもそう思う。しかし当時の俺からすれば真剣にそう思っていた。そうするより他ないと思い込んでもいた。
嘘偽りない本心を言えば当然、今すぐ引き止めるかすぐに追いかけていくかしたかった。このときでさえ、百八十キロも離れて暮らしているというだけで辛かったのに。告白した途端さらにその距離が何倍にもなるなんてそんな皮肉な話、冗談じゃない。
けれど現実問題、当時の俺は中学二年生の真っ只中で、
転校するアテもツテもない。そうかと言って、学生としての本分をすべて投げ打って追いかけて行ったんじゃ、いろんな人たちに迷惑がかかる。そんなばかな真似はしようとも思わなかった。
仮に高卒で学生生活にピリオドを打つとしても、四年半はこの北の大地から出られない、出るわけにいかない。少なくとも、璃那が夢をつかむまでは会わない方がいいとまで、思い込んでいた。
「だから、先に行っててよ」
「…………」
「行ってらっしゃい、姉さん」
一切の私情を振り切るように精一杯の笑顔で告げると、璃那は驚いたように目を見開いて俺を見つめた。
てっきり俺に引き止めてもらえるものと思っていたからか、それとも逆に、予想していた通りの言葉だったからか。どんな思いが璃那の胸のうちにあったのか、それはわからない。
もちろん、その気になれば〝テレパス〟で知ることは出来たかもしれないが、そんな野暮なことはしようとも思わなかった。
やがて、璃那は瞳を潤ませたまま微笑み、滲んだ声で、しかしはっきりと言った。
「うん、行ってきます」
――これが、告白シーンの一部始終……なのだが。
こんなばかみたいで小っ恥ずかしい話、誰にも話せるわけがない。
しかもカッコつかないことに、結果的には、このときの誓いを守ることは出来なかった。
実際に璃那の近くに行けたのは誓いよりも一年遅く、六年が経ってからだったのだ。
六年後、今から二年前。
ようやく璃那とその姉妹と再会出来た満月の夜。とあるカフェの前で、その事故は起きた。
一方的に別れを告げて店を出た俺を追って駆けて来た璃那に、大馬鹿野郎なライダーが赤信号を無視して、突っ込んで行ったことによって。
璃那も、記憶の一部を失った。
俺との記憶だけ、綺麗さっぱり失くしてしまったのだ。