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1-6 母親

 半ば光一に引っ張られるように心ここにあらずという感じで家に辿りついた。


 道中うっかりして車に轢かれかけたり、電柱におでこをぶつけそうになったりするのを光一のお陰で危うく回避しながらのぼんやりとした危なっかしい帰り道だった。一人だったら無事に家まで帰りつけなかったかもしれない。


「ただいま」

 おそるおそる帰宅し、そっと人の気配のする応接間を覗くと、部屋の中には空気よりも重いガスが充満しているのではないかという雰囲気に思わず体が固まった。入りづらい! だが、入るしかない。


「ただいま」

「あ、帰ったのか、山岸」


 妹の担任で、まだ若い男性教師の山本先生がホッとしたように声をかけてくれた。一緒にいた母親は無言だ。顔も何か無表情だし。


「お疲れ様です、先生」

 とりあえず先生を労っておいた。あの大騒動の中で、先生方はみんな大変だったのだ。


 こんな事は本来あっていいはずないのだから。ありうべからず有事。それが我が学び舎を、そして俺の妹を襲い、また僕も含めた家族の心を精密な誘導弾のように直撃したのだ。


「あ、ああ。僕はまだいいんだ。1Aなんか、残りの隔離された生徒が全員いるんだからね。担任と副担任が二人共保護者に説明に出向いて、感染元の生徒の対応などはとんでもない騒ぎになっているよ。果帆君の話は学校で聞いてきたのかい?」


 うわあ、酷い事になっているな。マスコミ対応が無いだけマシというべきか。あるいはまたマスコミ対応すら許されないほど酷い有様であると表現すべきか。


「ええ、大川先生は隔離されててしばらく帰れないし、松村先生から聞きました。これからどうなっちゃうんですかね」


 彼もゆっくりと首を振って肺の中に溜まっていた質量の大きそうな息を緩やかに吐き出した。


「とにかく、お母さん。今言ったような状況でして、学校といたしましても情報はなるべく入手して細かく対応していきたいと思っているのですが、何せ政府預かりとなっている案件です。校長以下、教職員全員が頭を痛めております。また何かありましたら、何でも言ってください。こちらも連絡を密にさせていただきますので」


 うちの母親は返事なく俯いた顔で軽く頷くのみだった。お母さん……。

 俺は母親に代わって妹の担任を玄関口まで見送った。


「山岸、お母さんの事をしっかり見てあげなさい。相当、参ってしまっているよ」

「ええ、もうそれは見ただけでわかります」


「じゃあ何かあったら、君から僕に直接言ってきてくれてもいいから」

「わかりました。ありがとうございます。それじゃあ」


 まだ若いくせに今日は少し背中を丸めてしまっている妹の担任教師の後姿を見送ると、母親が座ったきりの応接室へと戻った。今頃になって僕が戻った気配を感じたか、少し顔を上げてポツンと一言だけ話してくれた。


「真央、あの子は大丈夫かしら」

「うん、大丈夫だよ。怪我は一つもしていないんだ。検査で採血された跡がちょっと痛かったくらいだもの」


 それきり何も言わずに項垂れて、手を膝の上で合わせ、少し老けたような感じのする母親の手を握って慰めた。


「光一の奴がね、一緒に果帆を助けてくれたんだよ。あいつはすげえや。僕一人じゃ果帆を助けられなかった。後ね、体を張って守ってくれた先生もいてね。いつもは口煩い先生なんだけど見直しちゃったよ。その先生の方がよっぽど重症なんだ。別口で病院送りさ。救急車に乗ったのは、その先生だけかな。あ、うちの担任も付き添いで乗ったんだけど、その先生も一緒に隔離されちゃった」


 僕がわざとおどけたように言っているのに気がついたか、母親も瞳に少し力が戻ったような感じで返事が返ってきた。


「そう、光ちゃんが。その先生にも後でお礼に行かないといけないわね」

 僕は笑いかけて、そのままにしているとバタバタと廊下を走る足音がした。勝手知ったる隣の家。それは光一の母親だった。


「まあまあ茉莉絵さん、息子から聞いたわよ。大変だったわねえ」

 そう言って跪きながら、椅子に座ったままのうちの母親をぎゅっと抱き締めた。


 学校でも母親の同級生だった彼女は今でも親しい友人として、いつも相談など乗ってくれている。母親も涙を流して彼女を抱き締め返していた。


「ああ、真央ちゃん。あんたも大変だったわね。でも偉い。小鬼共に立ち向かって果帆ちゃんを助けに行ったんだってね。おばさん、見直したわよー」


 髪に派手なカールをつけているので、後ろ姿からも彼女だとよくわかる。この人は凄く背筋を伸ばしてシャキっとして歩くので非常に目立つのだ。たまに豹柄の、超ど派手な格好とかしているし。


「あ、うん。でも戦ってくれたのは光一と先生だから」

「それでも偉い! さすがはお兄ちゃんだ」


 大親友に背中をさすられて少し元気を取戻した母親に僕は声をかける。

「お茶でも淹れてこようか」

「そうね、御願いするわね」


「あ、真央ちゃん。あたしは、いつもの奴~」

「はいはい。お母さんも一緒の奴でいいよね」


 まったく遠慮のえの字も無い人だが、この頼もしい屈託の無い笑顔に今日は本当に救われる。俺は台所で、ややボンヤリしつつ、お隣の絵美里おばさんの好みで置いてあるブレンドのコーヒーを淹れていた。


 お湯を少量注がれ、湯気を上げて蒸らされていくドリップ用コーヒー粉の山を見つめながら、今日の出来事について思い返していた。


 考えれば考えるほどわからない。あの留学生が来たのは、確か三週間くらい前の話だ。ウイルスの潜伏期間がどれだけなのかわからないが、約一ヶ月という事だろうか。


 確かに感染力は弱そうだ。うちの妹が発症するなら、いつくらいになるのだろう。あの留学生が来てすぐ感染したというなら、最短であと1週間か?


 心あらずといった感じに淹れたコーヒーを持って応接間に行ったが、言われてしまった。


「お砂糖もミルクも無しとは。もう可愛い妹と離れ離れになったら魂の抜け殻ねえ。そんなに想ったって妹とは結婚できないわよお」

 そう言ってカラカラと笑うおばさん。ああ、我ながらボーッとしているな。


「今持ってくるよ」

 からかわれてしまったので、慌ててキッチンに戻った。先に砂糖とミルクを持っていってから自分の分も入れることにした。まったく頭が回っていないのだ。


 ついでに棚から出したクッキーも用意した。ああ、これ果帆が大好きな奴だ。残りはしばらく取っておいてやろうかな。楽しみにしてたかもしれないし。本人はいつ帰ってこられるかもわからないのであるが。


ダンジョンクライシス日本

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