8.猫神綾
氷に閉ざされた森の中で、雷が縦横無尽に駆け抜ける。
まだ我殿は雷を操ることができない。攻撃できるのは今だけだ。
「おごッ!!」
雪乃の拳が我殿の腹にクリーンヒットした。
実は、雪乃の言った『最高のコンディション』というのはあながち嘘でもない。強がりでもない。
気流ちゃんに封印をかけている間、雪乃はそちらも気にしなければならなかった為、常に力を抑えなきゃいけなかった。気流ちゃんみたいに大量の魔力があるわけでもないから、そこも加減しなきゃいけないし。
それが今、全く考える必要が無くなったんだ。力を抑える必要も、魔力切れを危惧する必要もない。思う存分に暴れられる。
だからといって、雪乃一人でどうこうできるほど現実は甘くない。
敵が我殿一人じゃないっていうのが一番大きいかな。操られているとはいえ、月明の手練れたおじさん達が本当に厄介だし何より数が多すぎる。倒しても倒しても立ち上がってくるところも非常に困る。
「邪魔だ!」
……ま、タフさで言ったらこっちの桜月君も大概だけどね。
今もまだ、彼の全身は息すら出来なくなるほどの激痛が駆け巡っている筈なのに、何度も何度も立ち上がるおじさん達を何度も何度も打ちのめしている。
風が我殿に効かないからと、雑魚処理をしてくれているわけだけど……そんなに自分の身体に鞭打ってたらこの戦いのあとが困るんじゃないのかな。
まあ、それは僕もなんだけどね。
「『雷雹』!」
雷と氷の合わせ技。これなら氷も我殿に届くと知った。
別に雷だけで十分ダメージは与えられる。でも、雷だけじゃ僕自身がもたないんだ。
僕は小坂くんのように神様だったわけでも、気流ちゃんのように神様に愛されているわけでも、暁ちゃんのように神様と融合したわけでもない。
千切られた左腕を使って無理やり神様を下ろしてその力を勝手に使っているだけ。
だから当然負荷がかかるし、多分僕にこの力の適性は無いんだと思う。まあ、やっちゃいけないことに手を出した当然の報いなのかな。
だからって、使わないわけにはいかないんだけどね。
雷を纏い、弾丸のように飛んでいく氷の粒を、我殿はかわしたり手下たちに処理させたりしてしのいでいく。残念ながら今放った分は一つも当たらなさそうだ。でも大丈夫、十二分に隙を作ることはできたから。
「チィッ──流石にこれは」
我殿が忌々しそうに舌打ちをしながら後ろを振り返った。その視線の先には、我殿の頭ぐらいの高さまで飛び上がり蹴りを繰り出そうとしている雪乃がいる。
もう回避は間に合わない。お得意の手下ガードも無理だろう。
「──あれっ?」
だが、本当に残念なことに雪乃の足は空を切る。
完璧なタイミングだったと思う。実際、我殿は回避することが出来なかった。普段の雪乃であれば間違いなく当たっていただろう。
大人と子供のリーチの差。
そのズレが雪乃の感覚を狂わせ、雪乃に隙を作ってしまった。
隙を見逃すほど我殿もアホではない。次の瞬間には、無防備に地面へ向かって着地しようとする雪乃の身体に、恐らく毒牙たっぷりと塗られているであろうピックを我殿はしたり顔で突き刺そうとしていた。
「っぐ」
ああ、近くにいてよかった。お陰で僕の左腕が間に合う。
氷で作った左腕をもう少し大きくして雪乃と我殿の間に滑り込ませる。我殿のピックは僕の左腕に突き刺さり、そのまま僕の左腕は粉々に砕かれた。
決してこれが痛くないわけではない。けど、多分あの毒を盛られるよりはマシだ。
左腕だったものの破片が宙を舞っている。これに雷を纏わせてさっきのをもう一度──
「い゛ッ!? ぎ、ああぁ……」
おかしな声が口から漏れる。そして不様に地面に崩れる。いつの間にか両足のふくらはぎに木の枝が深々と突き刺さっていて、ズキンズキンと痛みを放っていた。
我殿の今の手下は月明のおじさんたち。葉折君のように植物使いがいたって不思議ではない。そして、他の魔術を使う者がいたって──
「ああ、あああぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
全身をバラバラに砕かれるような痛みが駆け巡る。敵味方問わず広範囲に電撃を放たれたみたいだ。
無理やりでも雷を使えるようになったんだから、ついでに雷への耐性もついていればよかったけど──現実は本当に甘くない。
「う──ううううううううううううううううッ」
幸か不幸か、電撃はすぐに止んだ。寝ている場合じゃない。広範囲ってことは、雪乃も桜月君もさっきの電撃を受けている。なら、僕だけでも動かないと。
相変わらず足はあり得ないくらいに痛い。だけど氷で適当にしておけば動かせない訳じゃない。立て。立ち上がれ。全身が痺れているし、視界もチカチカと点滅を繰り返しているけど戦えない訳じゃない──
「さて、ここいらでそろそろ貴女には退場していただきましょうか」
「あ」
目の前に我殿がいた。その手に持っているのはナイフとかそんな感じの刃物。避けることはできない。ガードも出来そうにない。ダメだ、刺される。
諦めた僕は目を瞑っていた。
「……?」
心地いい闇の中、どういうわけか衝撃は一向に訪れない。全身が痛すぎて痛覚が麻痺したのかな? いや、そんな筈はないか。痛いところは痛いままだし。
仕方がないのでしぶしぶ目を開けてみる。すると、目の前には我殿ではなく、桜月君の後ろ姿があった。その腹には我殿が持っていた刃物が刺さっている。
「なっ……!? なんで僕なんか庇ったんだい君! 時雨ちゃんに会うんだろう? だったら僕なんかを──」
「……五月蝿いなぁ……アンタがここでぶっ倒れたら、誰がこのクソ眼鏡を倒すのさ」
僕の言葉を遮って、桜月君は気だるそうに嗤った。
……ああ、もう。そんなことを言われてしまったらもう、あとの事なんて考えられないじゃないか。僕の身体が壊れようとも、今すぐにこの復讐を終わらせないとじゃないか。
「その代わり、時雨ちゃんのとこにいくまで寝かさないからね」
桜月君と立ち居地を入れ換える。我殿は桜月君の身体から引き抜いた刃物をもう一度、今度は僕を仕留められるように振るおうとしていた。
僕は刺されるよりも早く、我殿のがら空きの腹を左腕で貫く。我殿はそれを壊そうとしたが、触れたところで僕の左腕は壊れない。当たり前だ、今、この左腕は氷じゃなくて雷で出来ている。我殿ごときが操れるものじゃない。
「ぎッ、あ、あぁ!」
「……はは、やっと顔が歪んだ」
思わず笑みが零れる、と同時に僕の口からも血が零れた。思っていたよりもずっと早くダメになりそうだ。
「……綾」
「心配要らないよ、雪乃。すぐに終わらす」
「……そう。じゃあせめて、今だけでも分からなくさせておいてあげるわ……」
「ありがとう」
ヨロヨロと立ち上がった雪乃が不安そうな面持ちでそう言った。そして、雪乃が言い終わると同時に、身体中の痛みが嘘みたいに消えた。
幻術だ。
決して傷が癒えたわけではない。本当に、分からなくさせただけ。でも、これで十分に動ける。
「こ、ッの……! 貴様らごときが、この私に……ッ」
我殿の表情から余裕が消えた。
今もまだ身体を貫いている僕の左腕を抜こうと頑張っているみたいだけど、それは無駄な努力って言うんだよね。
左腕を通じて、僕は我殿の体内に魔力を通す。内側から、我殿の肉体を氷と雷で破壊していく。
「……お前の相手もそろそろ飽きてきた。いい加減、僕たちの目の前から消えてくれるかな」
「クソッ! 何故だ、何故私は選ばれない! 何故私は神に!」
破壊から逃れられないことを悟ったらしい。我殿は小物らしいことを喚き散らす。
ふと隣を見てみると、雪乃が「当たり前じゃない」と、そんな我殿を鼻で笑ってやっていた。そうだね。当たり前だよ。
お前みたいなやつが、神様になんてなれるわけがないじゃないか。
「永遠に、全ての世界から消え失せろ我殿! 奥義──『雪月華』」
僕の左腕を軸に、雷を閉じ込めた氷が花を咲かせていく。花弁が開ききる頃には、僕の左腕は無くなっていた。もう魔力で作ることもできない。
視界は点滅を繰り返して酷く歪んでいる。雪乃の幻術をもってしてでもこの有り様だ。解けたときにはどうなってしまうんだろう。
それでも、それでもなんとか僕は、僕たちは、やっと復讐を遂げることが出来たのだった。
氷の花の一部となった我殿が動き出すことは二度とないだろう。雷神の力をたっぷり使ってやったんだ。氷が溶ける頃には存在が消滅している。
「……さて、それじゃあ行こうか」
「そうね。あまりゆっくりしてる時間もないことだし」
「みたいだね。あーあ、終わっちゃった」
僕たちは顔を見合わせて笑った。いや、笑えない。満身創痍だ。正直、今立っているのが奇跡に近い。この後でまだ、音無君のお兄さんとの戦いが残っているかもしれないと思うとうんざりする。向こうの状況がどうなってるのか分からないからなんとも言えないけど、気流ちゃんの封印が解けたって時点であまりよろしくないのは明白だ。
だけど気分はスッキリしていた。
僕たちは、やっと解放された。
「ひとっとびで行くよ。心の準備はいい?」
聞いておきながら返事は聞かない。僕はすぐに空美ちゃんの能力を拝借して、音無君たちがいる場所へ『空間移動』した。
一瞬視界が真っ白になって、その後で周囲の景色が氷に閉ざされた森から、コンクリート広がる土砂降りの平地へと変わる。
「……は」
そこには絶望が広がっていた。
建物と思わしきものたちは破壊され尽くして原型を留めていない。コンクリートの更地になっていた。その中央では、音無君のお兄さん、狂偽さんが緩く腕を振りながら余裕の表情で音無君の攻撃をかわしていた。
大粒の涙を流しながらナイフを振り回す音無君と、絶えず絶叫しながら水の塊や水の蛇を振り回す気流ちゃん。恐らく気流ちゃんが降らせているであろう雨を、地面からも降らせながら(?)海菜ちゃんと思わしき人物の頭を抱いている空美ちゃん。降り注ぐ雨に風を加えて、水の弾丸を飛ばし続ける時雨ちゃんと、その後ろで笛の音を響かせる風君。
瓦礫に紛れて倒れている暁ちゃんと葉折君の身体は焼け焦げている。狂偽さんの近くで倒れている小坂くんの辺りは水が真っ赤に染まっている。空美ちゃんに抱かれた海菜ちゃんもピクリとも動かない。
そんな……まさか、まさか!
「……ああ、我殿のおじさんを倒してきてくれたんだね。お疲れさま」
言葉もでない僕たちに声をかけたのは仁王くん。疲れきったような表情を浮かべていて、何故か音無君のお師匠さんを膝枕していた。
「……四人、死んじゃった。囚我先生は音無さんに魔力を渡して気を失ってるだけだけど……」
そっか、とも言えなかった。なんで、とも言えなかった。何も返せなかった。言われた事実を飲み込むことさえ、目の前の光景を受け入れることさえ出来なかった。響き渡る気流ちゃんの絶叫が遠くに聞こえた。
「さくらつき!」
戦況が変わる。
こちらに気付いた時雨ちゃんが、手を止めて桜月君の方へ駆け出した。桜月君もそれに気付いて一歩、歩みだした。
「時雨さん……」
刹那、『ぷつん』という音がどこからか聞こえて、桜月君の身体は崩れるように倒れていた。
「さくらつき……? さくらつきッ!!」
少し遅れて時雨ちゃんが辿り着く。だけど桜月君は反応しない。それがどういうことなのか、時雨ちゃんも理解してしまったようだ。
「なんで……なんで、さくらつき……なんで、つめたいの……なんで……なんでよぅ…………」
膝をつき、その身体を抱き締めて時雨ちゃんは『なんで』と繰り返す。彼をそうさせた原因を作ったのは僕だ。だけど僕は何も言うことができない。悲痛な声を聞いているだけだ。
「やっと全員揃った。それじゃ、ちょっと大人しくしててね」
狂偽さんはそんな光景を気にも留めない。こっちを見てすらいない。ただ、音無君に手をかざして、音無君を透き通った宝石のような塊の中に閉じ込めた。そして、僕たちの方に目を向ける。
「お片付けの時間だよ──『空虚なる物語の終焉』」
それが攻撃とも気付けないまま、僕たちは闇に包まれた。
真っ暗な世界。だけど意識は失わない。痛みもない。雪乃の幻術が随分と効いてるみたいだ。
やがて、パチンとシャボン玉の弾けるような音が聞こえる。それを皮切りに闇が晴れていく。いつの間にか雨も止んでいた。そして目の前には傷だらけの気流ちゃんが倒れていた。
「え……?」
どういうこと?
なにがおきたんだ。今、僕たちは何をされた? なんで気流ちゃんが目の前に倒れている? それになんで、気流ちゃんはピクリとも動かない? まるで、置物のように、死んでしまったかのように。
「あ……ぅ……」
僕の隣にいた雪乃もそれを認識してしまう。フラフラと、気流ちゃんの方へ歩み寄ってしまう。僕も同じように動く。その随分と成長した身体に辿り着く。その身体が動き出す様子は無い。
「気流ちゃん……?」
「気流子……嘘でしょ……? 笑えないわよ、ねぇ……ッ」
嫌だ。嫌だ、認めたくない。知りたくない。分かりたくない。こんなの、こんなの! 訳が分からない。なんで、なんでこんなことに! 気流ちゃんだけじゃない暁ちゃんも葉折君も小坂くんも海菜ちゃんも桜月君も時雨ちゃんも風君も空美ちゃんもなんで、なんで誰も誰からも魔力の反応が生きているって反応がしないんだ!
「あ、あ……あぁッ!」
黒く、黒く感情が塗りつぶされていく。許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない、ユルサナイ。
「へぇ……全員殺したと思ったんだけどな……すごいね、気流子ちゃん。まさかさっきのから二人を守るなんて」
そっか。そうなんだね。
気流ちゃんが僕たちを守ってくれたんだね。
でもごめん、それを無駄にしちゃうかもしれない。もう、立ち向かったところでどうなるかなんて分かってしまっている。正直、ここでなにもしなかったとしても怪しい。だけど、それでも黒い感情に突き動かされずにはいられないんだ。無理なんだ、もう。
ただでさえ、僕たちはずっと黒い感情を抱き続けていたんだから。
「猫さん……? 雪乃さん……? ま、待ってください! 落ち着いてください。お願いします! お願いします! お願いだから……一生のお願いですから逃げてください! お願いします……お願いしますッ」
宝石の中から音無君の叫び声が聞こえる。
ごめんね、音無君。君のことを守るつもりだったんだけど、やっぱり出来そうもないや。君のお願いも本当なら聞いてあげたいところだけど、そればっかりは無理かな。
それに僕はズルい人間だから、性根が腐っているから、こんなときに、自分のワガママを、『自分の気持ちに素直になって』なんて、自分にとって都合のいい言葉を今になって思い出しちゃうんだ。
「──音無君、あのね。実は僕、君のことが好きなのかもしれない」
こんなときに言う言葉ではないけれど。でも、自分がこのあとどうなるか分かってしまっているから、言わずにはいられなかった。
「……随分と酷なことをするのね」
「我ながら酷いと思うよ」
音無君と僕たちの間に氷の壁を作る。狂偽さんを通せんぼしたいわけじゃない。ただ、僕たちの最期の姿を見せたくないだけだ。




