1.源氏蛍仁王
こうなることが、こうすることが、どう頑張っても避けられない道だということをぼくは知っていた。
知ってたんだよ。
でも、話すわけにはいかないからずっと黙ってた。誰にも、何も、言うことが出来なかった。そして多分、この先もぼくはなにも言えない。そういう風にできてるんだと思う。
だったらせめて、みんなの選択がもっと簡単なものになるように、ぼくはそう願って最善ではない選択をとってみることにした。
その結果が、これ。
嘘誠院狂偽さんになんの抵抗もなく連れていかれること。
無知な子供のふりをしなくてもいいが、無力であることは訴え続けること。
ぼく自信には大した力もないのだということを周知してもらうこと。
最善ではないけど、いい未来には繋がる。ぼくが知る限りではそういう選択だった。
多分、こうすることでぼくも世界の歯車の一つとして動くことが出来るからなんだと思う。
──そのときが来てしまえば、ぼくには絶対にすることができないことだ。
神様として眺める世界はどうなんだろう。退屈なのかな。それとも案外楽しいのかな。ぼくは、出来ることならもう少し人として、みんなと同じ世界を楽しんでいたいけど。
なんて、願いばっかり口にしててもダメだね。このまんまだと神様どころかみんな一緒に、この世界ごと消えてなくなっちゃう。
そうならないように、やるべきことはやらないとね。
「──狂偽さん。嘘誠院狂偽さん」どこかのビルの屋上。その最もはしっこで風邪に当たる狂偽さんにぼくは問い掛け始める。「あなたの……願いは、なに」
それをなんと言うべきなのか少し迷って、それから願いと表現した。
ぼくを連れてきたということ。今あるぼくの力の価値。何らかの未来を目標に、その未来に行き着くための選択を、最善を、この人はぼくに聞きたいはずなんだ。
「願い……俺の、願いかぁ」
先程の凄みはどこへやら、狂偽さんは振り向いてへにゃりと笑った。その笑い方は、どこか音無さんに似ている。やっぱり兄弟だ。
でも、音無さんがその目に虚無感を抱いているのに対して、狂偽さんがその目に抱くのは狂気だ。怖い、と感じずにはいられない。
「俺はね、音無と幸せに暮らしたいんだ」
その口から一体どんな願いが飛び出るんだろう、とか思っていたら、想像を越えて、逆に想像を全く越えない平々凡々とした答えが返ってきた。お陰で一瞬反応に困っちゃったよ。
「音無の笑顔が見れればいい。音無さえいればあとはどうだっていい。俺に従順な、可愛い可愛い音無とずっと幸せに暮らせればいいんだ。ホラ、もう両親もいないことだし、二人きりでいられるんだよ。なのに……やっとそうなったっていうのに!」
穏やかな表情は一変し、黒く憎しみで塗りつぶされた。そして気付けば狂偽さんはぼくの目の前にいて、ぼくの両肩を強く掴んでいた。
「何で、何でッ! 音無は、アイツは、俺抜きで幸せそうに暮らしてる! 俺にだって向けたことない笑顔を晒して、ニセモノの家族なんか作って! 俺が──俺だけが本当の家族なのにッ! 音無が笑顔を向けていいのは俺だけなのに!! 全部、音無のものは全部俺のものなのに!」
愛ゆえの心からの叫びだけど、呪いの間違いなんじゃないかと疑いたくなるような言葉たち。こんな愛を受け止められる人が果たしてこの世に存在するのだろうか。自分が音無さんに恨まれているという残酷な現実を、この人は知っているのだろうか。
「誰だ、誰なんだ俺の音無に意思なんてものを植え付けやがったのは! 俺に抵抗しようなんて気を起こさせたのは! 音無は黙って俺の影に隠れていればいいのに、俺の言うことだけを聞いていればいいのに……!」
違う、この人は音無さんを見てなんかいないんだ。人間としてみていない。音無さんのことを愛玩動物かなんかだと思っている。多分、実際にそういう扱いをしてきたんだと思う。
そして、そんなこの人から飛び出る質問はもうひとつしかないんだけど……生憎ながら、ぼくはそれに応えることができない。
「ねえ、君は最善の選択を選ばせてくれるんだよね? 俺が音無と幸せに暮らすためにこれからどんな選択をしていけばいいのか知ってるんだよね? 教えてよ──俺はこれからどうしたらいい? どうしたら音無の何もかも全てを俺の手の中に取り戻せる?」
ぼくは答えない。
これに答えてしまえば始まってしまうから。そういう選択だということはもう理解しているから。
選択の余地なんて多分ないんだけど、それでも時間稼ぎはしたい。まだ、始めるには早い。
だけど、こうやってぼくが時間を稼いでいる間に誰かここにたどり着いてくれるのかな。囚我先生の魔力探査機でぼくを見つけてくれればいいんだけど……狂偽さんの魔力が大きすぎて、魔力探査機が壊れてしまっている可能性だって無くはない。
ああ、不安だ。
ぼくの持つこの力が、未来を見通せるものだったらどんなによかったことか。
あくまでぼくは、どうすべきか、ということしか分からない。
「どうして黙ってるのかな……君なら分かってる筈なのに、どうして……」
狂気を孕んだ瞳は段々に泣き崩れそうになっていく。ああ、そうか、ぼくが言うまでもなくこの人は自力で気付いてしまうんだ。音無さんに対してあまりに盲目的だから失念していたけど、この人はとても聡明な人だった。何も言わなくても、何でもわかってしまうような人だと。そういう人だからこそ、世界を滅ぼせる程の力を手にしてしまったのだと。
「……あなたの望む未来のための選択は……」
じゃあ、意を決して言うしかないね。
変に自力でたどり着いておかしくなってしまうよりも、ぼくがコントロールできるタイミングでどうにかなってくれた方が、どうにかなる気がする。
……もし、ここでぼくが死んでしまったとしたら、ぼくはもう神様になることは無くなるのかな。
「ないよ。そんな未来はどう転んでも訪れない」
一瞬の沈黙。
数秒遅れて絶叫。
そうだよね、そうなるよね。心から望む未来が絶対にあり得ないと告げられたら、自分の信じる全てが絶対的な力で有り得ないと確定してしまったら、そうなるよね。知ってたよ。
これから始まるのが一方的な破壊行為だということも、ぼくは知ってる。未来を見通すことは出来なくても、そういうことは知ってしまっている。
ごめんね、音無さん。これはあんまりいい選択肢じゃなかったかもしれない。
そう思いながらぼくは目を閉じた。
次、目を開くときには世界が滅んでるのかな。
そんなことを考えながら、ぼくは瓦礫にまみれながら、崩れ行くビルと共に地上へ落下していくのを感じていた。




