8.猫神綾
散歩してくるね、なんて小坂くんの家を出た僕は勿論散歩に行きたいわけではなかった。目的はそう、話をするため。或いは、尋問をするため。責め立てるため。
「やぁ、仙人ちゃん」
目当ての人物は運よく玄関にいた。タイミングがいいね。これでわざわざ中に入って外に連れ出すって作業が省けた。
「む? 猫神ですだか。その……怪我は平気なんですだか?」
「小坂くんから聞いてなかった? みんな掠り傷程度だって。だから元気だよ」
「そうですだか……それなら、よかったですだ……」
安堵のため息をつく仙人ちゃん。その表情は嘘を言っているようには見えない。嬉しいね、本気で僕たちのことを心配してくれていたみたいだ。
まあ、僕はそんな仙人ちゃんをこれから疑って責め立てるんだけどね。嫌な奴だね。
「ねぇ、仙人ちゃん。ちょっと僕と一緒に散歩でもしない?」
「急になんですだか。爺にでもなったですだか?」
趣味が散歩だなんて自己紹介をしたことはないし、そもそも僕の趣味は散歩じゃないからそう不思議がられちゃっても仕方ないね。でも、僕は今、家の前では仙人ちゃんと話をしたくないんだよね。いざというときのこともあるし。
「違うよ、僕は仙人ちゃんと話をしたいんだよ」
素直にそう申告する。なるべく柔らかく事が済むように、笑顔も心がける。すると、仙人ちゃんの目がすっと細くなった。
「……何を、考えているですだか? お主がそういう顔をするときは、あまりいいことはないですだ」
「え? そうなの? 人の笑顔に酷いこと言うなぁ」
「威圧感があるですだよ」
まあ、仕方ない、ついていくですだ、と仙人ちゃんは何かに諦めて僕と一緒に来ることを了承してくれた。うんうん、諦めが早いのはこういう時楽だね。さりげなく酷いことを言われた気もするけど、この際気にしなくてもいいや。
「さて、僕が話したいことなんだけど」森の中、ある程度開けたところまで歩くと、僕は仙人ちゃんに向き直った。「勘づいてるかもしれないけど、降ってきた岩のことだよ」
少し、仙人ちゃんの顔が強張るのが見えた。ビンゴかな?
「面倒くさいから、単刀直入に訊くね。あれは、君がやったんでしょ?」
なるべく軽く訊くよう僕は努める。洗濯物干してくれたんでしょ? って訊くぐらいの軽さをイメージしてたんだけど、上手く言ったかな。
「……本当に単刀直入ですだな。一応聞くですだが、何を根拠に?」
仙人ちゃんは面白くなさそうな顔をしている。まあ、こんなことを言われてへらへら笑ってる人間なんてそういないよね。居たとしてもちょっと変わったというか、腹立たしいというか、そんな感じの人間だと思うし。
仙人ちゃんは気流ちゃんとタイプが似ていて、良くも悪くも真っ直ぐな子だから。だから多分、感情は素直に表に出してくれるんじゃないかな。そこが、違和感でもあるんだけど。
「根拠かぁ……まずは、君が……君だけが無傷だったってところかな」
殆ど勘なんだけど、疑いだしたら合致したような部分を、さも最初から気づいていたかのように僕は語り始める。
「自分の魔法で自分を傷つけることは難しいよね。みんなが意識を失っちゃえば、自分のところだけ岩が降ってこないとか、自分だけ傷つかないとか、そういうところがバレないとか思ったのかな?」
これは単なるカマかけだ。根拠というよりも僕の想像だしね。でもまあ、一人だけ無傷って言うのは十分な理由に成りうるかな。
「次に、直ぐに家に帰っていった点。もう少し僕たちのことを心配して小坂くんの家に居てくれてもよかったのに、君は直ぐに戻ったみたいだね。何か、決定的なものでも隠しに行ったのかな?」
正直、これもただの当て付けだけどね。仙人ちゃんはただ単に片付けをしたかっただけかもしれないし、小坂くんの邪魔をしたくなかっただけだったかもしれない。でも、こういうところを疑ってボロが出るのを待つしか僕にはできないんだよね。
仙人ちゃんは、読めないから。
「それで最後なんだけど」ずっと黙っている仙人ちゃんが気になるけど、僕は続けた。「僕が読めないほどに仙人ちゃんの中身が多いのがいけないかな」
「ッ!」
やっとここで反応らしい反応を見せた仙人ちゃん。触れてほしくなったところを踏み抜いちゃったかな?
「君はどうにも行動や思考がぶれているように見えるんだよね。その結論が中身の多さだと考えれば、今回の行動にも納得がつくんだよ。自分で破壊しようとしておきながら助けを求めたり、ね」
「…………」
さて、どうかな。
仙人ちゃんは俯いて押し黙った。しかし、少しすると肩が少しだけ震え出す。笑ってる?
「くくく……そこまで分かってるんならもう何したって無駄ですだなぁ」
言って、仙人ちゃんは顔をあげる。ニヤニヤと愉しそうに笑っていた。それと同時に、強烈な違和感も覚える。急に仙人ちゃんが別人になったような、そんな感じ。
「何かな? 開き直って僕を直接攻撃しちゃうつもり?」
「ああ、それもいいですだな」
あれ? もしかして僕、挑発するつもりが余計なことを言っちゃった感じ?
「あっぶな……」
後悔する暇なんてなくて、言うが早いが仙人ちゃんは拳を振るった。
勿論僕はそれを後ろに下がることで避ける。すると、僕がさっきまでいた地面に仙人ちゃんの拳が突き刺さって地面に亀裂が走った。どんな力だよ。
「お前が全部悪いんですだ。もう全部諦めろ」
「仙人ちゃん? ちょっと豹変しすぎじゃないかな」
「馴れ馴れしく呼ぶな」
「ッ!」
今度は岩の塊がいくつも飛んでくる。これはもう、確実に自分が犯人だと認めたような行為なんだけど、正直言ってそれどころじゃない。
岩はどれも尖っていて、真っ直ぐに僕向かって飛んでくる。それを僕は氷の壁を作ることで防ぐけど、岩が氷に深々と突き刺さって恐怖を覚えた。魔法に物理的なダメージを与えられる魔法ってなんだろう。
「殺る気満々で困っちゃうな」
なんだかもう笑いが込み上げてきてしまって、僕は本気で仙人ちゃんと向き合うことを決めた。
魔力を左腕(無いけど)に集中させて、氷の腕を作る。この腕は僕の身長と同じぐらいの長さがあって、手は人一人分の胴体を掴むことが出来るぐらい大きい。ハンデを埋めるために編み出したものだ。
岩の弾幕を作った左腕で薙ぎ払うと、僕は反撃に出る。これはもう本気を出さなきゃどうしようもないやつだから、僕も殺す気でいくことにする。
「『天乃剣』」
仙人ちゃんの頭上の空気を凍らせて、出来た剣を仙人ちゃんめがけて降らせる。それは雨のような小ささだけど、一つ一つ確かな刃だ。当然肌も切れる。
「ぬるい」
「えぇ……」
そんな僕の魔法を仙人ちゃんは自分の周囲に一瞬炎を撒くことで打ち消した。岩だけじゃなくて炎も扱えるって言うのは本当に誤算だったね。勝ち目が一気になくなった。
「でも凍らせて動かなくなれば関係ないよね!」
僕の本気はそこじゃない。この左腕だ。
左腕に更に魔力を纏わせて仙人ちゃんの身体を掴む。それから左腕の魔力で仙人ちゃんの身体を凍らせていく。
「炎で溶かされるなら、その前に凍らせれば流石の君も動けないよね?」
「…………」
仙人ちゃんは答えない。そして動かない。これは僕の勝ちかな?
なんて少し安堵していたら仙人ちゃんがニヤリと笑った。なんだろう、この油断大敵とでも言いたげな笑み。
「これごときで、どうにかなるとでも思ったですだか? 甘いッ!」
「ッ!?」
仙人ちゃんがそう叫んだと同時に、僕の左腕は砕け散った。嘘でしょ!? これ魔力の塊だよ!? しかも純粋な肉体の力だけで割ったよね今!
「うあッ」
なんて突っ込んでる暇もなく、僕は頭に強い打撃を受ける。続いて右腕、脚、脇腹、とどめの鳩尾。
「かッ……」
最後に後頭部に上から降り下ろしたような強い衝撃を受けて僕は地面に倒れた。
あれ? 意識はハッキリしてるのに仙人ちゃんの動きが何一つ見えなかったし、僕の身体ももう動かないね?
痛いとか苦しいとかそういうのもない。ただ、どくどくと僕の身体から何かが流れ出しているのは分かって、余りよくない状況なのは察した。
「……なんで、そこで笑うですだか。興醒めですだよ」
最後にそんな一言を言われた気がする。そこで僕はもう一度頭を強く殴られて意識を失いかけた。
でも、確実に殺せたはずなのに僕は殺されなかった。