8.猫神綾
音無君のお兄さんがそろそろ復活するらしい。
みんなは割と驚いているみたいだけど、僕はそうじゃなかった。
雷ちゃんを犠牲にすることで得た裕の探査の能力と、宵の補助の能力。そして僕の読心術が合わさることで、僕は常に周囲の魔力と思考を読み取ることが出来るようになっていた。その気がなくても分かってしまうのが難点だけど、お陰で色々と掴みやすい。話を聞いてなくても、みんなの思考が読めるから結局全て分かるしね。
囚我さん曰く、音無君の術式が崩壊を始めたのはあの“組織”での戦い。アリスちゃんを倒すために使った技が原因らしい。かなり強力な技だったもんねぇ。
さて、音無君のお兄さんが復活するってことは、我殿が音無君のお兄さんを操って世界征服を目論む確率が物凄く上がるってことなんだよね。それが失敗したとしても、音無君のお兄さん単体でこの世界を物理的に滅ぼすかもしれない。どう転んでも世界が終わるのは確かっていうのが規模の大きい話だね。
それにしても、我殿……ねぇ。
まさかこんなところでその名前を聞くことになるとは思いもよらなかったよ。これから会えるかもしれないと思うとワクワクして仕方ないね。ずっと、ずっと探してたんだから。
まあ、僕が海菜ちゃんに刺されて寝てる間に一回来たみたいだけどね。宵の記憶の中に我殿の姿がはっきりと残っていた。宵はスルーしたみたいだけど。
最期まで、宵の考えることを見抜くことができなかった。それどころか、宵を察知することすら出来なかった。読ませてくれなかった。
出来ることなら、生きていてほしかった。
殺した僕が言うのもおかしな話なんだけど。
雷ちゃんを殺すこと。それによって、宵と裕の力を僕が得ること。それがあるべき姿なのだとしても、そうならない、せめて宵だけでも一緒に居られる未来があったんじゃないか、なんて未練がましくずっと考えてしまう。
感情が戻ってきたお陰で僕の中はぐちゃぐちゃだ。怒りと悲しみとが渦巻いて、何がなんだか分からなくなる。気が狂いそうになってくる。
雪乃のお陰で正気を保つことが出来ているけどね。
久しぶりに本気で怒られてしまった。こんな僕に、まだ本気で怒ってくれるのかと感動すらしてしまいそうだけど。ああ、だめだ、こんなんだから、いつまで経っても雪乃から離れられないんだ。離れようと思ったことがまず無い。雪乃は、こんな僕にうんざりしてしまわないのだろうか。
……さて、あまり考えすぎるのもやめよう。
今の僕は、少しでも考えればすぐに感情が溢れてしまう。感情が溢れると、魔力も駄々漏れになって周囲を凍らせてしまうみたいだし、なるべく抑えよう。そして、シンプルに考えよう。
そのためにも、まずは確認しておかないとね。
「ねぇ、仁王君。僕は今、何をするべきなのかな?」
複雑そうな面持ちで僕たちを眺めていた少年に僕は話し掛ける。彼はとても悲しそうな顔をしていた。その心情を、僕は読むことが出来ない。
「……猫さんが今することは……ないよ」
「ないの? 何も?」
「うん。むしろ、なにもしないことが最善だよ」
仁王君は悲しそうな顔のまま笑って見せた。その表情は、こんな幼い少年にさせるようなものではないと思う。
仁王君の思考は読むことが出来ない。どうやら、次期神の能力として、ある程度の干渉をさせないことが出来るみたいだ。人間ごときにその力を使わせないためって感じかな。
ただ、一部は読むことが出来る。それは、仁王君一個人としての感情だったからかもしれない。
「……そっか。じゃあ、お言葉に甘えるよ」
だから僕はそう言って彼に背を向けた。そして雪乃の方へ向かう。
今だけは雪乃の思考も読まない。雪乃の意思を完全に無視して、僕の欲を素直にぶつける。
仁王君が心の中で僕に言ったのは、『今は自分の気持ちに素直になってほしい』ということだった。
「ッ、綾……?」
「んー?」
「『んー?』じゃないわよ。どういうつもり?」
「んー……」
ちょっと狼狽えてる雪乃に僕はまともな反応をしない。あんまりそういう気分じゃないんだ。まあ、突然僕が来たと思ったら突然抱きついて胸に顔を埋めるんだから、そりゃあ『どういうつもり?』とか聞きたくなるよね。雪乃に甘えたい気分だっただけなんだけどさ。それ以外に特に意味はないよ。
んー、それにしてもふかふかだねぇ。こうして顔を埋めていると、何も考えられなくなる。それがとても心地よかった。頭の中が丁度よく真っ白になっていく。
これで布団でもあったら最高だったのになぁ。そうしたら雪乃を押し倒してこのまま雪乃の胸を枕にお昼寝が出来たのに。そんなことをしてる場合じゃないんだけどさ。
頭の中が丁度よく真っ白になるとかいいながら、なんだかんだ思考が巡り始める。
そういえば、あの神様は月明云々についてはあとで話するって言ってなかったっけ? 結局何も触れずに帰っちゃったよね。これ以上僕たちを混乱させても無駄だと思ってやめたのか、それとも説明する必要が無くなったからなのか……。神様がつれてきたわけじゃないのにこの世界に居る理由、だよね。大方我殿あたりが勝手に連れてきたとか、そんな理由な気もしなくもないんだけど。ああ、早く会いたいな。
仁王君は僕にたいして『今』することはない、と言った。ということはいずれやるべきことが出来るってことなんだけど……それを特に導くだとかなにかをするわけではないってことは、僕は選択の余地もなくなすべきことをするってことなのかな。悲しそうな顔は僕の未来も関係してたりして。
──なんて、ぐだぐだと考えながら雪乃の胸を堪能していたところで、その時はやって来たみたいだ。
ピリッと空気が一変する瞬間を掴みとる。多分、まだ誰も気付いていない。いや、もしかしたら仁王君は分かっているかもしれない。でも動かない。それはきっと、僕がすべきことがやってきたから。
「──ありがとう、雪乃」
礼を言ってやや乱暴に雪乃から離れる。突き飛ばすような形になってしまったのは許してほしい。一刻を争う状況だと思ったんだ。
「音無君ッ!!」
ややフライング気味に叫んで手を伸ばし、飛び付くように駆け寄る。その直後、ワンテンポ遅れて音無君を中心に魔力の爆発が起こった。
「耐えて!」
その爆発から引き剥がすように音無君を掴むと強引に抱き寄せる。それから一気に魔力を失いぐったりとした身体に魔力を注ぐ。一度注がれた僕の魔力ならきっと拒絶反応も起こらないはず。
僕が感じ取ったのは、音無君のお兄さん、嘘誠院狂偽の魔力が膨れ上がる、その瞬間。それが術式が壊れる瞬間だと気付くのに時間は要らなかった。その後、僕がすべきことがなんなのかも、考えるまでもなく全て分かった。教えられたのかもしれない。僕に読ませることなく、仁王君が最善を選ばせたのだとしたら納得のいくスムーズさだった。
自分の気持ちに素直になること。
その意味がようやく分かったかもしれない。
「ごめん、雪乃──『雷旋』」
今まで打ち明けられなかったこと。結局何も言えず、使うことになってしまったこと。
隠していたことを小さく謝罪しながら、僕は左腕を氷で作り、そして地面に突き刺す。
放ったのはこの左腕を中心に光速で拡がる術式を破壊する雷。引きちぎられた左腕を捧げることで得た僕のもうひとつの力。
まだ奴の気配は感じない。でも、分かる。この感覚に、僕は忘れたくても忘れられないほどの覚えがある。
「あとは頼んだよ」
「猫さん……?」
「安心して、必ず追い付くから」
意識が曖昧になっている音無君にそう囁くと、僕は彼の身体を近くにいた葉折君に託す。君に託すのはとても癪だけど、でもきっと守り抜いてくれるよね。
「さあ我殿、僕が相手だ」
決着をつけよう、とは言わない。
確かに復讐をしたい気持ちで一杯ではある。渦巻く感情の全てが、我殿を殺せと訴えているのも確かだ。
でも、今はそれ以上に、僕は音無君を守りたい。
誰の手でもなく、僕の手で。
弟みたいなものだと思っていた。可愛い年下だから、守りたくなるのだと、それだけだと思っていた。でも違う。それだけじゃない。答えはまだわからないけど、別の感情が確かにここにある。
その為にも、それを確かめるためにも、まずはみんなをここから脱出させなきゃならない。この森はもう、我殿によって完全に囲われている。だったら、そいつらと交換でみんなを外に出してしまえばいい。
空美ちゃんの能力を勝手に拝借して、みんなをテレポートさせる。僕の放った雷はまだあちらこちらを駆け巡っていて、僕以外が術を発動することはとてもじゃないけど出来ない状態だ。さて、場は整った。
「さ、感動の再会と洒落こもうか」
我ながら、中々いい笑顔で言えた台詞だと思う。




