8.雨宮雪乃
「そこをなんとか頼む! 猫神綾のことなんや!」
その一言で聞く気になってしまったのは内心腹立たしいが、彼が余りにも必死だったので気にしないことにしてあげた。嘘はついてないみたいだし……何を考えているのかしら?
後ろには眠っている音無少年がいて、彼が音無少年を殺そうとすらしていないのは一目瞭然だった。本当に何しに来たのかしら? 綾が『組織ご一行様が来てる』なんて言うから飛び出してきたけど、緊迫してる感じでもないじゃない。目の前の彼は緊迫しまくってるけど。何慌ててんのよ。
「簡単に言うとな、猫神綾が自分の実の妹をこれから殺すかもしれん。それを阻止してくれ頼む! 胸糞悪いにも程があるやろ!?」
ッはぁ!? 綾に妹なんていたの!? 聞いてないわよ!
じゃ、じゃなくて……妹を、殺す? 綾が、自分の意思で? それを阻止してなんて言われても、綾は結構頑固なところがあるし、私が止めても無駄だと思うのだけど……。
「多分やけど、猫神綾はそれが自分の妹やと気付いとらん。九十九雷ちゃんやと思ったまんまや」
「後で貴方の持ってる情報を包み隠さず話して頂戴。その変な機械は要らないわ」
何それ、最悪じゃないの。それに九十九雷なら綾は絶対に殺すわよ。分かりきってるわ。
二人の間に何があるのか私には全くわからないけど、普通じゃないことぐらいわかってる。綾があそこまで取り乱したんだもの。
……でも、じゃあなんであのとき“組織”で九十九雷と綾は戦ったの? その中身が綾の妹なら、そこで戦う必要は無かったんじゃないかしら。
いや、そうじゃないわね。あの戦いのあと、九十九雷は一変した。終夜雷と名乗り、どういうわけか気流子は凄くなついてるし、他のみんなも警戒というものをあまりしていないように見える。それがきっかけで、その中にいた綾の妹(?)が人格として目覚めた、とかかしらね。
考えるよりも早く私の身体は動いていて、一直線に綾の方へ向かっていた。機械なんてなくてもどこにいるのかぐらいわかるわよ。
嗚呼、ショックだわ。出来れば妹がいるなんてプライベートな話は綾から直接聞きたかった。こんなところで聞いてしまうなんて……あとで綾を問いただす必要があるわね。またかわされるのかしら? でも今回はそうはいかないわよ。
走っているこの時間がもどかしい。やっぱり分身をつけておくべきだったわ。……綾に拒否されたからやめたのだけど。
「……綾は、どこまで考えているの?」
九十九雷を殺すために私の分身を拒否したのだとしたら、誰も居なさげな場所に行き次第すぐに殺しにかかるんじゃないか。そうなのだとしたら、私がどんなに急いだって間に合わない……。
……ネガティヴなことを考えるのはやめにしましょう。九十九雷を殺すのが必須なのだとしたら、それが綾に露見しなきゃいいのよ。最悪な展開かもしれないけど、殺したのがあくまでも九十九雷であって、綾の妹ではないならいいんじゃないかしら。我ながらひどい考えね。
「……お姉ちゃん?」
綾にたどり着く直前、一瞬気流子が見えたけど無視を決めた。構ってる場合じゃないのよ。
妹を殺す、ねぇ。……考えたくもない話ね。
「悪いけど君には死んでもらうよ!」
「あははァ、そんなのムリムリですぅー」
「……ッ、綾ッ!」
間に合った、けど間に合ってない!
既に綾と九十九雷は殺し合いを始めていて、いくつもの氷のつぶてが九十九雷に襲いかかっては砕かれていた。割り込もうにも綾の氷の段数が多過ぎて入れない。強めの幻術で動きを止められるかしら?
「……ダメだよ、邪魔しないで?」
「ッ!?」
九十九雷に幻術をかけるのは半ば諦めていたけど綾なら、と思っていたのに、幻術にかけられたのは私の方だった。
一瞬目の前が真っ暗になったと思ったらそれは人の手で、耳元で囁いてきた少女が私の目を隠したのだと気付くのにそう時間はかからなかった。だけど、この幻術から抜け出すことができない。そんなバカな。
「無駄だよ。あなたの幻術を増強した幻術をあなたに掛けたんだから。大人しくあたしに従ってよ」
その少女の声はどこか綾に似ていた。
「はじめまして、雨宮雪乃さん。お姉ちゃんと仲良くしてくれてありがとう。あたしは妹の宵。覚えなくてもいいよ」
今から死んじゃうからね、と綾に似た声で少女は言った。
目の前では綾と九十九雷の激しい戦闘が繰り広げられているというのに、私の耳は何故かその音を拾うことができず、頭のなかは少女の声が響いている。ガッツリ幻術をかけられている証拠ね。
動くことはおろか、声を出すことすらできない。このまま見ていろということか。
「うん、そういうこと。どうしても、あたしはお姉ちゃんに殺されなきゃいけないんだ」
この心を勝手に読まれて会話が成立する感覚、本当に綾そっくりね。
そういえば、いつだか綾が『知り合いに借りてきた』と言って魔力補助なんてスキルを使っていたっけ。その持ち主がこの子なのかしら。だったら幻術が使われていることも、心が読まれているのも納得ね。
「理解が早くて助かるよ。そのまま抵抗しないでいてくれるともっと嬉しいんだけどね……まあ、お姉ちゃんを思ってのことだから仕方ないよね。
あのね、お姉ちゃんの親友のあなたにお願いがあるんだ。
多分、お姉ちゃんは最終的にあたしを殺したんだと気付くと思う。そのときに感情が爆発して発狂して暴走するかもしれない。そうしたら、助けてあげてくれないかな」
あなたが殺されない道はないのかしら?
「無いよ。あたしは……九十九雷は、絶対に殺されなきゃいけない。お姉ちゃんの手でね。
あなたになら……教えてもいいか。九十九雷はね、あたしたち三兄弟の感情を一つずつ奪って出来ているの。ねえ、お姉ちゃんの感情がおかしいって思ったことはない?」
ないとは言えなかった。
どうしてこのタイミングで笑うのだろうかと思うことが何回もあった。どうして綾はいつもニコニコと笑っているのかと不思議で仕方なかった。
「お姉ちゃんはね、『泣く』って感情がないんだ。九十九雷に奪われちゃったから。ついでに感情を奪われたせいで、力にもセーブがかかっちゃってるんだよね。本当ならあたしのスキルと、お兄ちゃんのスキルを使えるはずなんだけど、あんまり使えてないみたいだし。
でね、あなたにも関わってくる話になるんだけど、こんなことをした犯人が存在するんだ」
とうとう綾の氷が九十九雷を捉えた。氷漬けにされるのも時間の問題だろう。そろそろ、九十九雷は殺される。私はその瞬間を目の前で見届けなければならない。
頭のなかは少女から紡がれる情報量にパンク寸前だ。え? もう一人兄弟いるの?
なんて、細かい部分に一々反応することもできない。感情が無いってところはなんとか飲み込むことができたけれども。納得も、したけれど。
「我殿雹狼って言うんだけどね」
その瞬間、何かが砕かれた。何かが割れる音がした。それが現実の音なのか、それとも幻覚の音なのかは分からない。
目の前では綾の氷でできた左腕が九十九雷の胴体を貫いていた。なんで直接手を下したのよ。
「時間切れだね。あとは囚我先生とかに色々聞いてよ。それじゃあ、お姉ちゃんをよろしくね」
少女が消えた。少女の声が響かなくなった。すると少し遅れて、今まで聞こえなくなっていた音の全てが聞こえるようになった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ」
「綾ッ!?」
何が起こったのかは分からない。
ただ突然、綾が膝から崩れ落ちて狂ったように泣き叫んでいた。見てみれば、貫かれて動かなくなった九十九雷の顔が、九十九雷ではなくさっきまで私に幻術をかけていた少女のものになっている。
ちょっと、バレバレじゃないの!
「なん……で? なんで……ッ! ねぇ、なんで綾にゃんッ!!」
「……気流子、おちついて」
そんな綾の正面には、同じく泣いて叫ぶ妹の姿があった。どうやら、運悪く綾が九十九雷を殺す瞬間を見てしまったらしい。それを“組織”の女の子が宥めているけど……最悪だ。終夜雷になついていた気流子にとって、どんな理由であれ綾が彼女を殺してしまった事実に正当性はない。
「その人は、気流りんたちを助けてくれた人だったのにッ!!」
本当に、最悪だ。
妹は気付いていたのだ。彼女に、九十九雷にもう一つの正体があったことを。




