6.戸垂田小坂
俺、戸垂田小坂は小さな家で独り暮らしをしながら医者を目指す十六歳だ。
ここはとても静かで、近くの森では薬草が良く採れるため気に入り住み始めた。山の中ということもあって、近所には殆ど人が住んでいない。一応住宅地らしくて、家は建っているのだが、殆どが空き家だ。唯一、俺の家の右隣に『嘘誠院音無』という変な名前のやつが住んでいる程度だ。名前に関しては、俺が言うのもなんだけどな。
嘘誠院音無は、なんというか静かなやつだ。殆ど会話をしたこともない。いつも右目に医療眼帯をつけていて、気に入っているのか紺色のローブを着ている。変なファッションだ。カッコいいと思っているのだろうか?
常に死んだ魚の目をしているが、ごく稀に生き生きとしているときがある。よく晴れた日に布団を干すときだ。主夫かよ。
そんな嘘誠院音無だが、最近はなんだか騒がしい毎日を送っているようだ。
ずっと一人暮らしだと思っていたのだが、いつの間にか金髪の女が一緒に暮らしていた。それから緑色のちっこいのがいて、ガタイの良いオカマもいた。あとはチャイナの娘だ。どんな組み合わせだよ。
さて。
「助けてくれですだ!」
騒がしく謎の面子で暮らしている内の一人がそうやって人の家で叫ぶもんだから、出ないわけにはいかなかった。
玄関にいたのはチャイナの娘。今にも泣きそうな顔で、玄関で膝をついて扉にすがるようにしていた。
「……どうかしたのか」
そう聞かざるを得ない。助けてくれとはどういうことなのか。どうしてこいつが俺の家に来るのか。俺の家に来るのがこいつということは、他のやつらに何かがあったのか。色々と考えながらチャイナ娘の答えを待つ。俺が考えたって答えが出るわけではないから仕方ないのだ。
「ッ! と、とりあえず診てほしいですだ! 頼むですだ……!」
しかし、そんな俺の考えに反してチャイナ娘は、俺の顔を見るなり立ち上がり、ぐいぐいととてつもない力で俺を引っ張り始めた。男である俺が、余裕で女に負けていた。悲しい現実だ。
「わかった、わかったから」
とりあえず、このまま引っ張られ続けると確実に俺がコケるので、行く意思を示してチャイナ娘の力を弱めようと試みる。だが、逆効果だったみたいでチャイナ娘の力はどんどん強くなっていった。
「こっちですだ!」
玄関を破壊する勢いで開けるとチャイナ娘は走り出す勢いで俺をどこかの部屋へ連れていこうとする。
俺は、その勢いに押され(引っ張られ)、お邪魔しますも何も言わずに他人の家へと上がり込んでしまったのだった。
そして、目的地である部屋で俺が目撃したのは、室内とは思えない惨状だった。
◇
「ここ……は」
何処からかそんな声が聞こえた。どうやらお目覚めのようだ。
「よう、起きたか」
振り返ってみてみると、金髪の女が困惑した表情を見せつつ起き上がっていた。
「ここは俺の家だ。運んで手当てした。それ以外のことはしてねぇよ」
何か言われる前に、俺は自分がしたことを言った。恩を売るとかそういうわけではない。誤解されないためだ。こいつらを攻撃したのが俺だと勘違いされても困るしな。
「……そっか。ありがとう」
妙に聞き分けの良い金髪の女は、そう言ってにっこりと笑った。その表情が昔見た笑顔に似ていて、なんだか少し気分が悪い。
「んーと……君は……戸垂田、小坂くん? 面白い名前だね」
僕は猫神綾っていうよ、と金髪の女は言った。
確かにこいつらの名前を知らないのは微妙に不便だし、そもそもお互いにお互いを知らないから自己紹介でもしなきゃいけないなとは思っていたわけだが、だからと言って初対面で名前がすぐにわかるような計らいを俺はしていない。
名札もつけていなければ、顔に名前を書いたわけでもない。
こいつ、いつ俺の名前を知った?
「そんなに怖い顔をしないでほしいな。なんていうか……僕は読心術、みたいなものが出来るんだよ」
「みたいなもの?」
「そ。相手の表情とか関係なしに、相手の心が読めちゃうんだよ。ごめんね」
俺の心を読んだのだろう。猫神は聞いてもいない俺の疑問に答えた。嘘は言っていないと認めて良いだろう。
「一つ聞きたいんだけど」猫神は言いながら姿勢を正し俺と向き合う。「君はどうして事に気付いたのかな? ここまで運んで手当てをしてくれた理由を教えてくれると嬉しいな」
ああ。ここで俺は説明が不十分であったことを知った。面倒臭がらずにちゃんと説明すべきだったな。
「お前等のとこの……えーっと、あのチャイナが俺の家に来たんだよ」
「ふぅん? 仙人ちゃんが?」
アイツは仙人っていうのか。変な名前だな。本名ではないのは確かだろうが。
「助けてくれって泣きながら、な。で、無理矢理お前等の家に連れてかれたんだ」
そこで俺が見たのは、床に倒れてピクリとも動かない男女四人の姿だった。四人とも外傷はかすり傷程度だったが、魔法によるダメージを強く受けていた。部屋が特に汚れていなかったのはそのせいだろう。
しかしまあ、出血していないとはいえ、一つの部屋にぐちゃぐちゃになったカレーと、倒れた四人の身体があったら惨状だと判断するだろう。四人の衣服にカレーがついていなかったのが不幸中の幸いだ。
慌てて連れてこられたため、俺は手当てのための道具を持ち合わせていなかった。ついでに、カレーまみれの部屋では衛生的にあまりよくない気がしたため、俺はチャイナ娘に一緒に四人を運ぶように言って、俺の家に行ったのだった。
大したダメージではなかったのはよかったことだろう。上から攻撃されたのか知らないが、恐らく頭に衝撃がいったために意識が飛んだのだろう。なんにせよ、良かった。
四人が無事であることを伝えると、チャイナ娘は複雑そうな顔で安堵の息を漏らして、それからカレーを片付けてくると言って居なくなってしまった。それからあいつの姿は見ていない。一応、あいつの方も診ておきたかったんだけどな。
「なるほど……そうだったんだね。改めて、ありがとう、小坂君」
と、俺の一連の説明を聞くと猫神は頭を下げて礼を言ってきた。少し難しい表情をしていたが、これ以上何かを言うことはなさそうだ。
会話が途切れた、ということで良いだろう。俺はここで、逆に質問をぶつけることにした。
「なあ、お前の左腕ってどうしたのか聞いても良いか?」
運ぶときからずっと気になっていた、猫神の左腕。音無のように右目を隠されていると、その中身がどうなっているが確かめようもないが、猫神のように明らかに無いと分かるとどうしても気になってしまう。
「ん? これかい? これは……んー、ちょっとした事故みたいなもので、ちょっと、ね」
言い淀む猫神。つまり事故というのは嘘だろう。何らかの事情があるのは確かだが、他人にホイホイと言えることではないらしい。まあ、生まれつきなかったということではないのは確かだ。
「不便と思ったことはないのか?」
「んー? そりゃあ不便だよ。バランスもとりづらくなるし、慣れたけど着替えもしづらいからね」
「だろうな」
眉を下げて笑う猫神。よく苦労してそうだ。俺は、そんな猫神に一つ深呼吸をしてから提案をすることにした。
「なら、お前のその腕、俺が何とかしてやるよ」
「え?」
「今は出来ねぇけど、でも左腕が使えるようにしてやるよ」
「……ありがたい話だけど、急に、なんで? しかも初対面の僕に」
まあ、そう言うよな。俺もなんでこんなことを言ったのか不思議だ。
「多分、昔失敗した知り合いにお前が似てるからだよ」
理由があるとすればこれしかないだろう。
『かこね』とお前が似てるのが悪い。
「……君にも色々とあるみたいだね」
俺のそんな曖昧な返答に、猫神は目を細めて、猫のように笑った。それからピンと指を立てて言う。
「じゃあ、賭けをしよう。君が僕の腕を何とかするのが先か、僕が死ぬのが先か。賭けるものはその時考える」
「適当だな」
「初対面だからね。この先どうなるかもわからないし」
確かにな、と俺は笑った。この先こいつと俺が関わるのかどうかなんて知らない。
「いいぜ。乗った。あんたは殺しても死ななそうだ」
「何それ。酷いなぁ」
そう言って猫神はかこねに似た表情でまた笑った。