8.雨宮気流子
「あ、暁にゃん。どこいくのー?」
「ギクッ」
偶然廊下に出てみたら暁にゃんがいたから話し掛けてみたんだけど、ものすごくビックリされた。
ギクッて口で言う人ってあんまりいない気がするんだけどそうじゃないのかな? 気流りんは初めてみたよ。
それはそうとして、暁にゃんに似合わない、抜き足差し足忍び足が気になるなー。これはなんだかやましい匂いがするなー。名探偵気流りんとしては放ってはおけないなー。
いつだか発見した虫眼鏡を装備! 見える、見えるぞー……虫眼鏡を通してなんだかよく分からなくなったボヤけた視界が!
「……なにやってるですだか」
「うーん、探偵ごっこ? ほら、暁にゃんなんか変だし」
「くっ……お主にそれを言われちゃあおしまいですだな……」
なんかすごく失礼なことを言われたね。それだと気流りんが変人みたいじゃないか。なんてことを言うんだ。暁にゃんも十分おかしいよ!
そういう問題じゃないね。
「あー、えーっと、なんですだ……明日の儂のオヤツをお主に全部やるから、黙って見なかったことにしてくれですだ」
「ん? それは買収ってやつだね? ふっふっふ、お主も悪よのぅ……」
でもオヤツひとつで簡単に釣れるって思われてるのはなんか解せないよね。気流りんそんなに軽い女じゃないよ。単純でもないんだからね!
もっと、こういう交渉ごとっていうのは腹の探りあいをしながらギリギリのところを責めていくのが醍醐味だと思うんだよね。っていう気流りんの意見に同意を求めてみたら、暁にゃんは「そうですだよなぁ」って素直に頷いてくれた。うんうん、そうだよね。
「で、見なかったことにしてくれるですだか? してくれないですだか?」
「もちろんオッケーに決まってるじゃん。やっだなー、もー」
だって一日分のオヤツ全部だよ? いいに決まってるじゃん。断る理由がないよね。気流りん黙ってればいいだけだし。暁にゃんなんて見てないもーん。
そうと決まれば会話を早いとこ切り上げて退散だね。暁にゃんを引き留めてたら交渉の意味がないもん。
ってことでアイコンタクト。暁にゃんは親指をグッと立てて、とてもいい顔で頷いてくれた。伝わるもんだねぇ。
「あ、ところでですだ」去る間際で暁にゃんは思い出したように振り替えって言った。「お主、最近怖い夢とか変な夢とか、嫌な夢とか見なかったですだか?」
怖い夢。変な夢。嫌な夢。
最近見た夢の話。
見なかったかと言われれば当然それは嘘なんだけど、でもあんまり話したくないなぁ。というか、思い出したくない。しばらく脳裏に焼き付いて離れなくなりそうな夢を見た記憶が、あるにはあるよ。
だから、話したくない意思も含めてその質問には頷いて肯定することにした。暁にゃんだからきっと深く掘り下げることもしないよね。
「そうか。ありがとうですだ。お主もなんですだな……ま、いいですだ。じゃあ、約束忘れるなよですだ!」
信頼を裏切らない安心安全の暁にゃんだね。よくも悪くも真っ直ぐすぎるところが大好きだよ。
でもなんでそんなこと聞いたんだろう? お主『も』ってことは暁にゃんも嫌な夢を見たってことだよね。相当嫌な夢でも見たのかなぁ? ちょっと意味ありげだよね。考えても仕方ないから気流りんはこれ以上考えないけど。
さて。
もう廊下に用は無いんだし、リビングにいくよ。もともと気流りん小腹がすいたから食べ物を小坂くんにたかろうと思ってたんだよね。今日は何をくれるかなー。
なんだかんだ言いながら小坂くんは食べ物をくれるから好きだよ。優しいよね。面倒見がいいとも言うね。それ以上のこと? 考えたら敗けだと思ってるよ。気流りんは綾にゃんとは違うんだからね。考えなーい、考えなーい!
リビングに入ると小坂くんがソファーでぐでーんってしながら雑誌を広げてた。うおお、物凄いタイミングだね。まあ気流りんは演技派だからね。こんなことじゃ動揺しないよ。
「……さっきの会話、俺は聞いてなかった方が良かったか?」
「き、聞いてたの!? どこからっ!」
「……チャイナ娘が『ギクッ』て言った辺りからだな」
「最初からじゃん!」
動揺しないなんて無理だよ! 全部筒抜けだったよどうするの暁にゃん! 気流りんの明日のオヤツもパーだし、暁にゃんの畑当番も免れないよ!
「そこまで鬼じゃないけどな。変に無理して怪我して帰ってこなきゃなんも言わねーよ」
「そ、そっか」
「お前のオヤツが二倍になる話は無かったことになるけどな」
「ええーっ!? ……このっ、鬼! 血も涙も無いじゃん! 小坂くんのケチ! だからヘタレなんだよ! ばーかばーか!!」
「そんなに怒ることか?」
小坂くんはそう言ってケタケタと楽しそうに笑ったけど大事なことだよ。怒ることだよ。オヤツは絶対に譲らないもんね!
「ま、明日の楽しみってことだな。それよりもお前、いい加減新しい服ほしいだろ? この中から選んでくれ。俺が勝手に選んでもいいけど……」
「それは絶対にあり得ない」
「だろ? だから、はい。選んで印つけといてくれ」
渡されたのは小坂くんがさっきまで読んでた雑誌。あ、これ通販の雑誌だったんだね。
流石の気流りんも、小坂くんのジャージと、音無君のTシャツと短パンで過ごすのには無理があると思ってたところだよ。今までの服気に入ってたのに着れなくなっちゃったのすごくショックなんだよなー……。
「小坂お兄さん、ぼくこれがいいです!」
「あー? 『果実戦隊アマトウジャー変身パーカー』? いやいやいや、お前な、散々大人っぽくしといて今更子どもらしさとか出してくんなよ。っていうかアマトウジャーってなんだよ」
「子どもらしさとか大人っぽさとかどうでもいいです! それよりなんでアマトウジャー知らないんですか! 格好いいんですよ! 地球から全ての甘みを消し去ろうとするニガニガーと戦って地球を救うんです!」
「ニガニガーってどんなネーミングだよ……」
仁王くんが珍しく子どもっぽい顔して興奮してるって思ったらカタログのなかからアマトウジャーのパーカーを見つけちゃったんだね。気流りんも知ってるよあれ。マーマレードが好きだったなぁ。オレンジ色の戦闘服で、スプーンを振り回して戦うの。
「分かった分かった。その代わり一着だけだからな」
「い、一着……!? ……わかり、ました……この残酷な選択をぼくは乗りきります……!」
「大袈裟過ぎんだろ」
仁王くんは七着全部買ってもらうつもりだったのかな? アマトウジャーは七人いたから……。あ、でもそのあと一人増えたから八人だね。八着かな? そんなにパーカーばっかりあっても困る気がするけどね。
人のことより自分のことだね。気流りんはどれを買ってもらおうかなー。やっぱり緑は外せないよね。あ、この緑のロングカーデ可愛いね。
「じゃ、気流りんはこれね。印つけといたからよろしくー」
「あいよ。……なんだよ、緑ばっかじゃねぇか」
「だって緑が好きなんだもん」
何着か選び終わって小坂くんに雑誌を返すとそんなことを言われた。そんなこと言ったら、小坂くんなんてジャージ以外着てないじゃん。もうちょっとお洒落しようよ。
「ぐ……っ」
って言ったら苦々しい顔で黙られちゃった。あはは、ニガニガーだね!
っていうか、小坂くんのそのジャージに対するこだわりって一体何なんだろう……。動きやすさぐらいしか良さがわからないや。
「なあ」苦々しい顔の小坂くんは気を取り直してそう切り出した。お? お? 照れ隠しかな?「全然関係ないんだけどよ、これを俺らが注文して、その注文を受けとるのは一体誰なんだろうな」
おやおや、照れ隠しにしては難しい話だね。でも確かに、この世界が滅んでいて誰もいないのなら、誰が注文を受けて服をつくって運んでくれるんだろう。服だけじゃないね、あんぱんも誰が作ってるんだろう。でも、それってさ。
そう言いかけたところでピンポーンってインターホンが鳴っちゃった。ありゃりゃ、遮られちゃった。
「…………」
「…………」
「おきゃくさん、ですよ、小坂お兄さん」
「だな」
警戒した顔で立ち上がると、小坂くんはゆっくりと玄関に向かった。仁王くんと一緒にその背中についていって顔だけ出して廊下を覗いてみると、丁度小坂くんが扉を開いたところだった。
「お前ッ……!? 九十九、雷……ッ」
「ま、待ってください! 私、九十九じゃなくて、終夜……じゃ、じゃなくて!」
それが誰なのかを確認すると同時に扉を閉めようとする小坂くん。中々やるね。
玄関にいたのは小坂くんが言うとおり、九十九雷ちゃん。本人が違うっていうから終夜雷ちゃんなのかな? 気流りんもちゃんとあのとき見てたよ。綾にゃんとお姉ちゃんが戦ってたよね。だから小坂くんが扉を閉めようとした気持ちもわかる。分かるんだけど。
なんか、なんか違うよね?
「あなたは、私を知ってるんですか!? そ、その、私、記憶がなくて……」
「は、はぁ……」
気の抜けた返事。ありゃー、記憶喪失かー。綾にゃんだったらそれが本当なのか一発で見抜けたけど、気流りんたちじゃ無理だねぇ。
それよりも、あのときは気付かなかったけどなーんか、雷ちゃんって誰かに似てるよね? 誰だろう……目元が見えないからいまいち分かんないんだよね。見えたらわかるかな?
これはもう突撃あるのみだね!
「ちょーっとお邪魔ー!」
「ひゃあぁ!?」
ぴょんっと飛び出て雷ちゃんの前髪を勝手にかきあげてみた。やっぱ誰かに似てるね。誰だったかなー……ううーん……。
「わっかんない! ちょっと分かるまで雷ちゃん前髪禁止ね! 気流りんピンとヘアゴム持ってくるから待ってて!」
「あ、おい! 待てって! 何がしたいんだお前は!」
カチューシャでもいいね。どこかにあったかな? 葉折んの勝手に使うのもありだね!




