4.琴博桜月
風が球体を描くように吹き乱れている。その軌道ははっきりと目に見えて、そして本能で危険なものだと感じることができる。
風の中心にいる少女は鉄扇を片手に舞い踊る。その少女の舞いを邪魔しようと、二人のメイドが襲いかかるが、吹き荒れる風に阻まれ上手くいかない。
僕は、そんな戦闘の様子を見守りながら、壁に背中を預け、はじっこで座っていた。サボっている、ともいう。
少女こと時雨さんは僕と同じく風遣いだ。囚我先生に作られた彼女がどうして僕と同じ属性を持っているのかは分からない。先生の意図だろうか。
しかしながら、時雨さんの扱う風は僕なんかのとは違って美しい。僕のよりよっぽど凶悪なのだけど、その風のおこしかたが綺麗だからなのだろうか、見とれるような美しさではあると思う。
時雨さんが今手に持っている鉄扇はリユさんからのお下がりだ。『桜月君と風と一緒のとこなの? じゃあこれあげるわよ。もう私は要らないし』とか言っていた気がする。時雨さんは無言でそれを受け取っていたが、心なしか喜んでいるように見えなくもなかった。食べ物ではないプレゼントが初めてだからだったからかもしれない。
そんな時雨さんに襲いかかるメイド二人はアリスさんの姉妹とも言える存在、つまり囚我先生の作品であるベルさんとクレアさんだ。
ベルさんは水魔法で、クレアさんは雷魔法で時雨さんの風に立ち向かうが、残念ながらすべて風に弾かれ吹き飛ばされ、そして消えてしまう。きっと生身であの中に入ろうものならズタズタに切り刻まれたしまうんだろうなとか思う。
『だから、その為にも世界を救って新しい神様を探すんよ』
そんな光景をぼけーっと見守っていると、そんな一言が耳に入ってきた。いや、この言い方はちょっと語弊がある。偶然聞こえたみたいな言い方になってしまう。全く偶然じゃないのに。
正しくは、時雨さんを見守りながら、風を使って隣の部屋の会話をずっと盗み聞きしていたら、その一言が妙に気になった、だ。
時雨さんとベルさんとクレアさんが戦うこの訓練室の隣には、囚我先生の部屋――研究室がある。普通であれば、いくら隣の部屋だからといって、その会話が聞こえることはないのだが、生憎僕は風遣いだからね。風にのせて音声を自分のところまで届けるなんて朝飯前だ。
それにしても……神様、ねぇ。
神様が消滅して世界が滅んだ。仮の神様が現れて世界を保っている。世界を再建するために新しい神様を探そう。
なんてことを言われたって、まず僕らは神様がいるかどうかの話から始めなきゃならない。そんなので探すことなんて出来るのだろうか。もう、いっそのこと荊様が神様になってしまえばいいのに。荊様はすでに神様のような人だから、これ以上の適任はいないだろう。
それよりも、こんなに壊れきった世界を、新しい神様を見つけるだけで直すことなんて出来るのだろうか? もう、この世界はこのまま壊れた世界としてあり続けていくような気がしなくもないんだけど。
囚我先生のその一言をどうやら全く理解できなかったらしい司令官は「目的がなんにせよ、私はやるべきことをやるだけだ」と言って研究室から出ていったようだ。扉の閉まる音がした。
司令官は相変わらず妹である指揮官(元指揮官か?)のことしか頭にない。司令官はきっと、指揮官を救うことができれば他のことなんて、世界のことだってきっとどうだっていいんだろう。随分と大人びた司令官にしては自己中心的で子どもっぽい。
いいんだけどね。
『……もういいで、荊。いやー、結局海菜っち最後まで気付かんかったなぁ?』
『廃人のメイドだと思って気にもとめなかっただけではないのか?』
『どうやろなぁ……でも、男のまんまでメイド服やで? 流石にアカンと思うね、俺は。嫌でも目に入るわ』
『これを着せたのはお前だろう』
「ぐふッ」
吹いた。
いや、荊様に何をさせてるんだあの人! 荊様も荊様だ。何で着てるんだよ。なんでそれに司令官はなにも言わないんだよ。まさか本当に気付かなかったのか? てゆーかどういう状況だよ。いつからそうなったんだよ。
お陰で勢いよく吹いてむせた。変なところに唾液っぽいものが入ったらしくて苦しい。こ、こんなバカなことで……。
『さて……海菜っちにはああ言ったけど、実際のところはどうなん? その、神様探しっちゅー奴は』
『さあな。私には分からない』
『わ、わからんってお前なぁ……まあ、それっぽいのは多いけんど』
僕がむせて苦しんでいる間にも、囚我先生と荊様の会話は続く。荊様がそのままメイド服を来ているかどうかは考えないことにした。考えちゃダメだ、そんなの。
そんなことよりも会話の内容に集中しよう。かなり大事な話なんじゃないか? これ。それを盗み聞きするのもどうかとは思うんだけど。
『私はただ、その時がくるまで待つ。それだけだ』
『なるほどねぇ……それもあの子の予言なんか?』
『予言、というよりは最善の選択肢というのが正しい』
『最善ねぇ……なあ、その最善を外したらどうなるん? 逆をついて、最悪の選択肢なんかをとったりしたら』
『自ら最悪の選択肢をとろうとする者等いないだろう。それに、彼の言う選択肢は強制力がある。そう外すことは出来ない』
『なんや、神様みたいな力やなぁ。もうその子が神様でええんちゃう?』
『残念だが彼は違う。断言しよう』
『違うん? じゃあ他にいるっちゅーことか……。つっても、それっぽい子多すぎるんよなぁ』
分からん分からんと最後に囚我先生は喚くように言って話を打ち切った。自分から切り出したのに随分と勝手なことだ。いつものことだけど。
そして囚我先生は「あ、そや」なんて言って次の話題を切り出す。マイペースだなぁ。
『アリスさんに付けとった術式を時雨さんにつけたいって思っとるんよ。これから必要だと思うんでな。で、その許可を貰いたいんやけど』
一瞬理解が追い付かなかったのは、急に時雨さんの名前が出てきたからかもしれない。過保護だな、と我ながら思った。
恥ずかしいことに、僕はその理解の追い付かなかった一瞬の間に、囚我先生の言葉を拒絶しようとしていたみたいだ。時雨さんに術式を組み込むなんて嫌だ、と。囚我先生が制作者なんだから、どうしようと囚我先生の自由なのに。
そう考えると、荊様に許可を求めるのはちょっと面白くはあるんだけど。
『……ああ、好きにするといい』
荊様は少し時間をおくと、そう答えた。不思議とその声色から荊様が微笑んだような気がした。顔なんて、見えるはずがないのに。
『ありがとな。じゃあ、そのまんまもっかい聞くで? つっきー、時雨さんに術式をちょっと教えてもエエかなぁ? あの子の脳に使い方を入れるって感じなんやけど……ああ、心配せんでもアリスさんみたいに身体に直接術式を組み込まんよ。すぐ使えるような工夫は考えとるでな』
「――ッ!?」
思わず飛び上がった。
聞いているのがバレていた? いつから? なんで? 風にのせて音を聞いているだけで、大袈裟なことはしてない。ほとんど魔力を感じることも出来ない筈なのに。
それに、今ここでは時雨さんとベルさんとクレアさんが戦っている。僕のほんの些細な魔力は三人の魔力に混じって分からなくなるようしているのに。
『そんなに驚かんといてぇな。俺の部屋じゃなきゃ気付かんくらいには上手に隠せとったよ。ただ、俺の部屋、外部からの魔力検知ができるんでな』
「……っ」
なるほどね。確かに、研究をする上で外部からの影響を受けないようそういうシステムを作っていたって不思議じゃあない。ただ、なんだろう。どうしても悔しいと思う気持ちが拭えなかった。
『で、どうやろか、時雨さんのこと……』
「別に、わざわざ僕に聞かないでも好きにしたらいいじゃないですか。時雨さんはあなたの作品なんですから」
囚我先生が本題に戻してきたので、僕はなるべく感情を殺した声でそう言い、それを風にのせて隣の部屋に届けた。すると、愉快そうに笑う声が聞こえた。
『確かに産みの親は俺やけど、保護者はつっきーやろ? それに、時雨さんは作品じゃなくて一人の女の子やよ。つっきーが最初にそうしたのに、なにひねくれてんのや』
それはすべてを見透かされたようで、やっぱり僕はこの人が嫌いだ。




