6.戸垂田小坂
雪乃が用意したスノードームの中は思っていたよりも広くて、見たいと思えば外の様子が見え、聞きたいと思えば外の音を聴くことが出来た。ただ、出ることはできない。あと多分、こちらの音は向こうに届けられない。幻術で出来ているはずだから、このドームは外から見ることも出来ないだろう。
手持ちの包帯を少し使って気流子に手伝ってもらい右肩の傷口を縛ると、やることがなくなった。ドームの外では激しい戦いが始まったというのに、見ることしかできないというのはなんとも歯がゆい。
ここから一番遠い場所では、いつか見た人形遣いのクソ女と音無が対峙していて、音無の腹に女の腕がぶっ刺さったかと思えば、見知らぬ男が現れ、ネズミのように涌き出る土人形をバタバタと薙ぎ倒していた。
音無は無事なのだろうか。腹に刺さっていた腕はいつの間にか消え、今は何の問題もなく動き回っている。出血があったようにも見られない。しかし、あいつ今病み上がりみたいなもんだからなぁ……。いつ起きたのか知らないが。
音無の後ろで戦っているあの男は恐らく音無の兄ちゃんことラスボスだろう。状況から考えて、だが。
音無のものよりも色の薄い、長い髪を後ろでひとつに束ね振り乱しながら激しく動き回る音無の兄ちゃん。その動きを見ていると、なるほど力があるのは十二分に伝わった。今のところ量で土人形が押しきっているように見えるが、その生成のスピードに対する破壊のスピードが段違いに速い。速すぎる。
音無はこいつを自分の中に飼ってるのか……。俺だったら嫌だな。
召喚獣の力が強ければ強いほど、その術者にかかる負担が大きいとどこかで聞いたことがある。つまるところ、あの兄ちゃんを飼ってるお陰で音無は常にストレスマックスってことだ。……無事帰れたら、もう少しあいつに優しくしてやろう。
そんな外から目を離して、ドームの中に視線を戻す。すると端の方で、仁王が目を瞑り、手を合わせ、祈るようにして何かを唱えていた。
「なに、してるんだ?」
声をかけていいものかと悩みながらも話し掛けると、仁王は閉じていた目を開いて俺を見た。それから少し、困ったように笑った。その表情はとても子どものものだと思えない。
「ちょっと、ぼくの能力がもっといいものにならないかなって」
「いいもの?」
「うん。選択ができるだけじゃなくて、先のことが見えるようになったら、もっとみんなの役に立てたのにって……」
「…………」
それは、九歳の子どもにはまだ言わせていいような台詞ではなかったと思う。仁王は仁王で、この何もできない現状に悩んでいるのだろう。俺と同じだ。そして、俺よりもずっと何かをしようと足掻いていた。俺とは違う。
「そんな慌てんなよ。そういうのは俺らに任せておけって」
俺に何が出来るのかはわからないけど。
ただ、目の前の小さな少年にまで背負わせるのは違うだろ、という一心で俺はそう言い、しゃがんで仁王の頭を撫でた。少しはその、困った顔が和らいだと信じたい。
「……気流りんは魔法使いたいと思わないけどね」
「あん? さっき使ってたのにか?」
「あれは不可抗力って奴だよ」
不機嫌そうに言う気流子は、口を尖らせたままそっぽを向いた。まあ、確かにこいつ、切羽詰まった場面にならないと魔法使わないよな。最初に使ったときなんか滅茶苦茶顔色悪かったし……なにか理由でもあんのか? でもこいつが一番魔力を持ってるんだよな。分からないもんだ。
そっぽを向いたまま、気流子はドームの外側を眺める。その動きを目で追っていると気流子の後ろ――ドームの外側、その奥のほうから何かが飛んでくるのが見えた。
このままだと、それはものの数秒でこのドームに激突する。
「気流子ッ!!」
思うが早いか、気づけば俺は立ち上がっていて、気流子を自分のところへ引き寄せると頭を守るようにして抱き抱えていた。
「ちょっ……、小坂くん……?」
状況をわかっていない気流子が腕の中でもがいてくるが無視。どんな衝撃が来てもいいように背を向けて、仁王の前に立って壁になる。と、そのとき、こちらにものすごいスピードで向かってくるもうひとつの影を見た。
「これはこれは、失礼を致しました」
もうひとつの影――嘘誠院狂偽は、はにかみながらそう言って、ドームを足場に飛んできた影を逆方向へ打ち飛ばした。その目は明らかに俺たちの方を向いている。このドームは外からは目視できないと思っていたが違っていたのか……?
「いいえ、このドームは普通であれば外側から黙視することは出来ませんよ」
俺の思考を読んだように、嘘誠院狂偽は俺の疑問に答え、にっこりと笑った。その笑顔はとても柔和なものなのに、どうして背筋がゾッとするのだろう。
「そして、壊すことも不可能に近いでしょう。これは彼女を倒さなくては壊せない……」
言いながら嘘誠院狂偽はドームに手をかける。みしり、と嫌な音がした。壊せないなんて嘘っぱちだ。今まさにお前が怖そうとしてるんじゃねぇか!
顔の右半分を覆う仮面のお陰でこいつの表情はうまく読めない。いや、仮面のせいじゃねぇな。気持ち悪いその笑みのせいで表情が見えてたって分かりやしない。タイプ的には猫神に近いが、全く違うな。こいつの場合見てると気分が悪くなりすぎる。
音無はこいつから無意識なのか意図的なのか、ずっと目を反らしてるみたいだが……まあ、妥当だな。俺もこんなやつ視界に入れたくねぇよ。
「そんなに怖い顔をしないでいただけますか? 心配せずとも、あなた方はちゃんとお守りしますよ」
「『あなた方は』って、どういう意味だ? それ……」
「私はただ、誰がどういう身分なのかというのをキチンと弁えている、というだけですよ……おや」
一瞬、嘘誠院狂偽の表情から微笑みが消えた。そして後ろを振り返り、もう一度こちらを向くと、その顔の仮面の半分が割れて無くなっていた。こいつがいるせいで外で何が起こっているのかは見えていない。クソ、状況を確認させろ!
「お忙しいようですし、私はこれで……」
「は? 何を言って……」
「小坂さんッ!!」
「空美……? ッ! どうしたんだそれ!」
訳のわからない言葉を吐いて消えたかと思えば、入れ違いに空美が、今度はドームの中へ入ってくる。そこには肌が黒く焦げて動かない、チャイナ娘の姿があった。
倒れこむように側により、チャイナ娘の容態を見る。一応無事だがさっさと治療を始めねぇとだな……道具がないのは痛いが、術でギリギリってところか?
「私、仙人さんを止められなくて……っ! ど、どうしたら……」
「うるせぇ、泣き言はあとだ! 一先ず全力でこいつの傷を癒す!」
「いや、ぼくがやる。小坂お兄さんはまだ力を使わないで!」
空美の言葉を遮って術を組み始めたところで、それを仁王に止められた。……え? 仁王?
さっきまで端っこで小さくなってた少年は、勇ましい顔で立ち上がると、怖じ気づくことなく黒こげのチャイナ娘の側へ寄った。
「小坂お兄さんに今ここで術を使わせちゃいけないんだ。だから、お願い……! 少しぐらいならぼく、出来るから!」
俺が術を使っちゃいけない。それは仁王が選択した最善のためなのだろう。けど、それはどういうことだ? 俺には、チャイナ娘以上に深傷を負う奴が出るって言ってるようにしか聴こえない。仁王にそれを聞いても意味がないとは思っているが、でも。
なんて思考が勝手に巡るが、俺は結局仁王の言葉に大人しく従っていた。情けない話だが、こいつに気圧されたのかもしれない。こいつの能力に間違いはないと思ってしまったのかもしれない。
「お姉ちゃんっ!」
仁王がチャイナ娘の治療を開始した、と同時に空美が叫びながら外へ飛び出していった。気づけば気流子もいない。どこへ行ったあいつら! 特に気流子は魔法使いたくないって言ったばっかじゃねぇか!! こんな時に勝手に動いてんじゃね――え……。
キレながら、空美がいなくなったからこのドームから出れないとか思いながら、とりあえず視界に二人を納めようと振り返ったとき俺の視界に映ったのは、ボロ雑巾のように転がる音無と、一面の血溜まり。一足遅かった空美と、よく似た双子の姉、海菜とその手に持つすらりとした刀。
そして、海菜と向き合う形で立ち、雑巾のようになった音無の方を向く猫神がいた。
「猫神ィィィィッ!!」
叫ぶ。だが届かない。
猫神はこちらを一度も見ることなく、糸の切れた人形のように、崩れるように、倒れた。




