9.雨宮雪乃
長い廊下を猛スピードで駆け抜けるドラゴンは一直線に広間へ向かっていき、あっという間に辿り着いた。空美ちゃんの言うとおり、扉は開かれていたから壊す必要がなくてよかったわ。壊したらそれっぽいものを作らなきゃいけなかったもの。
あとは扉を閉めて罠を用意し、空美ちゃんの能力で帰るだけ。そう思っていたとき、猛スピードで突っ込んできたドラゴンの前に突然現れた人影を見た。
そして、それは臆することなくドラゴンとぶつかり、ドラゴンを粉々に砕いた。
「うおぉ!?」
ドラゴンと言うには語弊があるわね。正しくはあの子が身に纏っていた岩よ。それを砕くって……どういうことなの?
気付けば私の幻術も溶けてドラゴンは一人の脳筋バカになり、ドラゴンに乗っていた私たちは岩と共に吹っ飛ばされて散り散りになった。私はなんともなかったけれど……他のみんなは岩にぶつかったかもしれないわね。
爆発のような破壊のお陰で崩れてしまった体勢を立て直して立ち上がると、一人の少女と脳筋バカが対峙しているのが見えた。あの少女がさっきの人影なのね。
真っ黒な闇のような髪の毛は二本の三つ編みとして可愛らしく結ばれている。前髪は長く、顔の半分を覆っていて目元は全く見えない。
その真っ黒な髪の毛とは対照的な真っ白なシャツに身を包んでいるのだけれど、それはシャツと言うよりも布切れと言うべきなくらいボロボロで、左肩が大きく露出していた。
シャツの布は胸のややしたで結ばれていて、へそから下が露出している。
下はショートパンツをはいていて、これもシャツと同じく真っ白だった。そして、シャツと同じく布が解れていたりとボロボロだった。
彼女が着用しているのはそれだけで、靴下も靴もない。何故か裸足だ。お陰で全体的に肌が見えすぎていて、その分彼女の華奢な体つきがよく見えた。なのにさっきの力って本当にどういうことなのかしら。
「テメェ……誰、ですだか」
「雷ちゃんは、九十九雷ちゃんでーす」
問いに対し、ドラゴンを粉砕した張本人はそう答え、笑った。
前髪のせいで口許しか見えない笑顔だと言うのに、それはとてつもなく歪んでいて不気味だった。
他人を威圧する笑顔ならいつもいつも見ているけれど、これはそういう類いじゃない。もっと凶悪な何か。そんなような気がする。この胸騒ぎの正体が何なのかは分からないけれど。
「――ッ、その顔を僕の前に晒すな!『降雹』ッ!!」
次の一手を考えなければ。脱出するためにどうすればいいのか。そんなことを考えて動けないでいると、突然綾が爆発したように叫び、九十九雷へ氷塊を放った。
その顔は険しく、全てを憎んでいるような強い怒りで満ちていて、何時もニコニコと訳がわからないタイミングで笑う普段の綾とは全く違った。私はこんな表情の綾を見たことがない。
急に何が起きたって言うの?
気流子とヘタレ君を見たってニコニコしてたくせに、なんでこの子を見た瞬間にそんな顔を?
「はれぇ? 雷ちゃんのお知り合いさんですかー?」
「……僕に君みたいな知り合いがいるわけないだろ。ヘドが出る」
「えぇー? 嘘つきさんは良くないですよぅ」
体をネジってくねくねと動く、どう表現したらいいかもわからない気持ち悪い動きで氷塊を回避すると、九十九雷は口許でニヤニヤと笑いながら、気持ち悪い動きで拳を放った。
「『氷雨』」
決して早い拳ではない。むしろ、片手で簡単に受け止められそうなくらいよろよろとした動きの拳だ。掴んで捻りながら投げ飛ばすことも容易だろう。だというのに、綾はそれを決して受けようとはせず、弾ける氷の雨を降らせる。その雨は九十九雷の体へまとわりつき、やがてその拳を完全に固まらせた。
何故、そんな面倒なことを?
「……ッぐ、う」
「やぁっぱり、雷ちゃんのお知り合いさん何じゃないですかー」
ダメージを与えたのは確かに綾だ。九十九雷の右腕は凍り、それは徐々に身体を侵食している。だというのに、どうして綾が口許を抑えて今にも吐きそうな顔をしているの?
どうも様子がおかしい。これ以上、あの子と綾を接触させてはいけない。理由が何なのかはさっぱりだけれど、私はそう確信した。
「『スノーマン』!」
「あーれー?」
綾とあの子を引き離す、そのために用意したのは八体の雪だるまだった。雪だるまは九十九雷を囲むように現れると、九十九雷に向かって歩き出し、彼女を押し潰そうとしていく。そして、そこには幻術も仕掛けられており、雪だるまに埋まっていく頃には幻術に支配されているはずだ。
「せつ、の」
「貴方らしくないわ。落ち着いて頂戴」
「……ごめ、ん……ッ!」
目だけを動かして綾は私の方を見た。本当に顔色が悪いわね。死人みたいよ。
九十九雷が視界から消えると、綾は口許を押さえるのをやめた。ただ、その代わりに左肩を押さえる。そして激痛でも走るのか、苦悶の表情を浮かべた。
「何も言ってくれないから私には貴方が分からない。後でちゃんと説明してもらうわよ」
「……うん」
「じゃあ、さっさと行くわよ。あの子を抑えている間に準備くらいなら出来る筈よ」
「……それは多分無理、かな」
「は?」
綾はそう言って左肩を凍らせた。パキパキと氷が割れるような音を鳴らしながら、左肩を始めに氷は大きくなっていく。そして、それは巨大な左腕となった。
「っどーん!」
それと同時に八体のスノーマンが弾け飛び、九十九雷が飛び出してきた。それを綾が氷で出来た左腕で受け止める。がきぃん、と凄まじい音がした。決して拳と拳が交わる音ではない。
「多分だけど……あれに幻術は通用しない。通用するような精神を持ってないんだよ」
「……訳がわからないわ」
「同感だね」
綾はやっとそこで笑った。けど、そこに余裕などなくて、苦し紛れにやっと出たような笑みだった。
幻術が通用しない。通用するような精神を持っていない。それは果たして人間と言えるのかしら? 人間だったら何かしら引っ掛かるはずなのだけれど。
……弱ったわね。幸い、人数がいるから袋叩きにすればいいのだろうけれど、それが可能な相手なのかしら。ドラゴンを粉砕していることだし、力量が未知数だわ。
「ねぇ」そんな中、九十九雷一人を相手に既に頭を抱えたいくらいなのに、また違う声がする。「雷ちゃんばっか見てないでくれるーッ?」
「お久しぶりだねぇ、嘘誠院音無君とその仲間たち。アタシに会えなくて寂しかったんじゃなーい? なーんちゃって!」
キャハハハハ、といかにも女の子らしく笑いながら、上から飛び降りてきたセーラー服を来た少女は、手に持ったナイフを音無少年に向けた。それが宣戦布告以外のどんな意味を持つのか、私は知らない。
あの子は確か、あの夜襲撃に来た『Alice』と言う名前の作品……だったかしら。脳筋バカに頭を潰されたはずだけれど、修繕されたのかしら。ピンピンしてるわね。
「よっ」
「ほっ」
「指揮官、この前ぶりッスね」
「いやー、あのあとコッテリ怒られたんですよ私ら」
「……私の知ったことではないです」
天井からはまだまだ降りてくる。次から次へとなんなのよ! っていうかいつの間に天井に穴が開いていたのかしら……。しかも、あの天井十メートルくらいの高さがあるのだけれど、普通に飛び降りれるものなのかしら?
そんなことなんてどうでもいいわね。現実逃避もそこそこにしておきましょう。
この四人の邪魔者をどうにかしないと私たちはここから脱出することができなくなったわ。しかも、脱出に不可欠な空美ちゃんが最後に降りてきた双子に捕まり、その空美ちゃんを補助する綾が九十九雷と対峙して最悪なコンディションに陥っている。
更に、今奪還したばかりの三人は基本的に戦闘能力を持ち合わせていない。つまり、この三人を守りながら四人を退けなければならない。数的には四対五でまだこちらが有利だけれど……もたついている間にさっき出し抜いた海菜ちゃんが追い付いてきてしまう。
時間がないわね。さっさと片付けなければ。
「ヘタレ君、仁王くんと気流子を連れて壁側に居てくれるかしら」
「あ? ああ……」
誰がヘタレだ、と叫ばれるものだと思っていたけれど意外ね。状況を見て時間がないと判断してくれたのかしら。賢い子は嫌いじゃないわよ。楽だもの。
「『スノードーム』」
素直に壁によってくれた三人の回りに、直径五メートルほどのドームを作る。これで、私が倒れるまで三人は安全になった。あとはこの邪魔者達をどうにかするだけね。
「さっきはよくもやってくれたな、雨宮雪乃。お陰でここまで逃げられてしまった」
「兄者、迎えに来たぞ」
「兄貴、一緒に帰ろう」
「随分と早いじゃん。笑っちゃうね……!」
本当、笑っちゃうわね。今だけはガチホモ乙女に同感よ。
全く、楽しくなってきちゃったじゃないの。
なんて、勿論嘘よ。




