2.戸垂田小坂
動物園の猿になった夢を見た。
……いや、どんな夢だよ。俺まずそんなにバナナ好きじゃねーし。しかもなんで俺の名前が『ヘタレ』なんだよ。猿でもヘタレ扱いか。
なんて、自分の夢にケチをつけながら目を覚ますと、そこは檻の中だった。
……あん?
まだ夢の中か?
「……ようやく起きたようだな、戸垂田小坂」
何が現実だよもう、なんて思いながら声のした方を軽く睨む。と、すぐに表情が緩んでしまった。我ながら中々間抜けな面を晒してしまったと思う。
「空美……か?」
檻の外から現れ俺を冷たく見下ろす黒髪の少女。外にぴょこぴょことはねる髪型と右目を覆う前髪が特徴的なそいつを見間違うわけがない。それに声だってよく聞けば同じだ。
昼夜空美。
まだ少しの間しか一緒にいないとは言え、分からなくなるわけではない。筈だったのだが、俺は目の前の空美を前にしてよく分からなくなってしまった。
“果たして、こいつは本当に昼夜空美なのだろうか?”と。
一つ一つを上げれば確かに空美なのだ。しかし、何かが違う。厳密に言えば、その違いが圧倒的で致命的なのかもしれない。
例えば俺を見る目。冷たく、見下ろすような見下したような、威圧感さえ感じるそれは、明らかに空美とは違う。
今のところ空美はこんな目で俺を見たことない。
例えばその口から出る言葉。毅然としていて、何処までも鋭く、そして硬い。あのおどおどとした言葉遣いは何処へやってしまったんだ。
「……残念ながら、私は空美ではないな。しかし、貴様の答えは当たらずとも遠からず、だ」
空美に似たそいつは、少し愉快そうに笑って言った。こいつは十二歳の貫禄じゃねぇな。本人の言うとおり、空美じゃ絶対にあり得ない。空美はこんな邪悪な笑みを浮かべない。
……俺の知る限りでは、なんだけどな。
しかも、まだ知り合って間もないからあんまり知らないんだけどな。
「私は空美の双子の姉。昼夜海菜、という」
空美に似たやつ、もとい海菜は邪悪な笑みを引っ込めてそう言った。
双子だった。そのまんま十二歳だった。あれは十二歳の貫禄だった。
あー……思い返してみれば、空美の発言の中に何度か『お姉ちゃん』なんて言葉が出てきていた。出てきていたなぁ。
そこまで知ってて、実際空美にそっくりなやつが出てきて、それでも姉妹だと考え付きもしなかった俺の思考には笑っちまうもんがあるな。むしろなんだと思ったんだか。幻覚か? それとも変装か? はたまたただのそっくりさんか? そんな馬鹿な。
「で、空美のねーちゃんが俺に一体何の用だ」
こいつが誰だとか割とどうでもいい。そんなことよりも、俺をこんな動物園の猿みたいに閉じ込めてる理由を知りたいね。っていうかそもそも俺なんでここにいるんだよ。ここどこだよ。
「……まずは貴様らの置かれている立場から説明した方が良さそうだな。始めに言っておくが、ここは嘘誠院音無の家ではない」
「そりゃそうだろ」
音無の家にこんな檻なんて有るわけない。地下室もないしな。いたって普通の、ちょっと大きめの家だ。だから、ここが音無の家じゃないことぐらい何も分からなくたって分かる。
「ここは“組織”だ。そして私はこの“組織”の第一部隊、その司令官を務めている」
「……その程度の脅しじゃ屈しないぞ」
「そうだろうな。じゃなきゃとっくに嘘誠院音無と縁を切ってるはずだ。こんなのは脅しじゃない。貴様らが『囚われの身』であることを自覚すればそれでいい」
ここが“組織”である、というのはあまり意外でもなかった。“組織”から逃げ出した空美の姉がいるんだ。そのぐらいは簡単に予想できる。空美が指揮官だということを言っていたから、姉であるこいつもそれなりの立場であることも予想できた。
しかしまぁ、何のために俺が捕まってるのかはわかんねぇわな。っていうか、さっきからなんだ? 貴様『ら』?
「本題に入ろう」俺の疑問を他所に、海菜は言って何処からか一枚の紙を取り出した。「貴様らにはこれを完成させてほしい。いや、させろ、と言うべきか」
海菜が取り出した紙には落書きのような魔方陣が描かれていた。これを完成させろ、というのはつまり、これが起動するようにしろってことだよな? でも俺にそんなことが出来ると思ってんのか? 魔方陣なんか触ったこともないぞ。
「やり方は簡単だ。貴様はこの魔方陣に治癒術をかけるだけでいい。そして……」
海菜はそこでようやく俺から視線をはずした。そして、その視線を俺の右隣に移す。釣られて俺もそっちを見ると、そこには緑の塊がいた。
「雨宮気流子。貴様は魔力を限界までこの魔方陣に注ぎ込め」
「…………」
緑の塊はピクリとも動かなかった。
海菜はそれを見てため息をつくと俺に視線を戻す。そしてどうにかしろと言わんばかりの威圧をする。そんな顔されてもな。
それに、俺だってそれに協力すると言った訳じゃない。ついでに言えば疑問だらけだ。解消しないとやるやらないの答えすら出せないぜ。
「そんなことぐらい、お前らでやれよ。“組織”だろ?」
「“組織”だからといって何でも出来るわけではない。それにこれの完成の条件は……この世界では貴様一人しかいない治癒術と、この世界で一番のバカ魔力だ」
「……?」
よくわからない。
治癒術が俺しか使えないっていう点もそうなんだが、この世界で一番魔力持ってるのがこのカエル女っていうのも納得できない。バカ魔力って言うんなら、あのチャイナ娘の方が適任じゃねぇのか? それとも、あいつだと連れてくるのに骨が折れるから諦めた、とかか? いや、それにしてもな……。
「あと貴様らが果たす役目は“餌”だ。せいぜい誘き出してくれ。そしてノコノコやってきた嘘誠院音無を殺して終わりだ」
じゃあ、よろしく頼んだ、と昼夜海菜は魔方陣の描かれた紙を一枚おいて、俺たちの檻から去っていった。
その直後、緊張感もこの空気もまるごとぶっこわす腹の鳴る音が緑の塊から響く。
こんなときでも腹が減るんだな。




