8.戸垂田小坂
音無と一緒に夕飯の支度をしていたはずだった。
「遅いおそぉい! そんなんじゃ殺しちゃうよ?」
アリスと名乗ったセーラー服姿のよくわからん女は、そう言って俺たちの間にいつの間にか居た。誰だこいつ。何だこいつ。
『つっきー』なる人物が音無のところに行ったらしいけどどういうことなんだよ。こいつが来たのはお前のせいか。
なんて文句を言ってやろうとしたのだが、その前に女に遮られた。
「んー、君は誰だろ? よくわかんない人はここにいてね。死んじゃったのは自己責任でヨロシク!」
「あ!? おい!」
女はそう言うと俺の足に何かをして、音無を掴み猛スピードで外へ出ていった。「ぐえっ」とカエルのように鳴く音無の声が聞こえてくる。大丈夫か、あいつ……。
いや、他人の心配より自分の心配だ。
あの女、どうやら俺の足を固めやがったらしい。室内なのに何故か土が膝から下にまとわりついていて、俺は一切足を動かすことができなくなっていた。邪魔者はここにいろってことなのか。
「小坂くーん! 気流りんお腹すいたんだけどご飯まだー?」
そんな俺の目の前に現れる蛙娘。ああ、夕飯のしたくしてる最中だったんだよ。こればっかりは蛙娘相手でも少し申し訳なくなる。
「うん? ……石像ごっこ?」
「お前にはこれすら遊んでいるように見えるのか」
無邪気な顔で首をかしげる娘に俺はそう言わざるを得なかった。しかも石じゃなくて土だし。固まってるのは膝までだし。石像というには程遠い。
「じゃあ泥んこ遊び?」
「いやだから遊んでねえって!」
揺らぎねえなこいつ。
「でも、下半身が土まみれだよ? 土に埋まってるみたい」
「まみれとか、みたいとかじゃなくて実際に土で固められてんだよ……」
自ら進んでこうなったわけじゃねぇし。楽しんでもねぇし。
……ん? 下半身?
無邪気すぎる(褒めてない)蛙娘にため息をつきたくなったところで、俺は蛙娘の発言に違和感を覚えた。そして、どうしても気になって顔を下に向ける。
すると、俺の身体はへその辺りまで土で固められていた。
「なッ……はあぁぁぁぁッ!?」
ついさっきまで、膝までだった土が、会話をしている間に腰を通りすぎて腹に差し掛かっている。これはつまり、あの女はつまり、俺の身体全てを固めようとしていやがるわけで、俺はそう遅くないうちに頭の天辺まで固められるということだった。
もしそうなったとき、俺はどうなるんだ?
見た感じ、土と身体はぴったり密着していて隙間や穴などはない。この状態で顔が覆われたとしたら、俺は間違いなく窒息死するだろう。地上にいるのに生き埋めにされているような状態になるはずだ。
冗談じゃねぇ。
「訳わかんねえまんま死ねるかっつーの!」
俺は声を張り上げて自分の意思をはっきりと示しつつ、身体を侵食していく土に手をかけた。とんでもないスピードで固めてくるのなら、それを両手で崩していけばいい。あとはあのクソ女を音無が何とかしてくれれば、俺はきっとなんとかなる。そんな他力本願なことを思っていた。
しかし、現実はそう甘くない。
「……ッ、クソッ!」
土に触れた手があっという間に土に固められる。俺の右手は腰に手を当てた状態で固定されてしまった。まずい。触るんじゃなかった。お陰で腕の侵食も始まり、さっきよりも早く身体が固められ始めた気がする。どうしろっていうんだ。
考えろ、何をどうしたらいいんだ。触れちゃいけない。だが時間もない。窒息死? 嫌だ、冗談じゃない。ふざけるな。俺はまだ死にたくない。なんでこんなところで殺されなきゃなんねぇんだ。
「小坂君? とりあえずそれ剥がせばいいのー? だったら気流りんが……」
「触んなッ!!」
蛙娘がこちらに手を伸ばしてくるのが見えたから、とっさに俺は叫んでしまった。ハッハッと荒い自分の息がいやに耳に響く。そうだ、触ったらこいつにまで土が侵食するかもしれない。それはダメだ。だからといって、被害が俺だけでいいって訳じゃない。おれだって助かりたい。嫌だ。
どうしたらいい? どうしたら、俺は……。
「……小坂君」
「今度は何だよ!」
俺の思考を遮ってくる蛙娘の声に、俺は思わず苛立った反応をしてしまう。違う、そうじゃないんだ。八つ当たりなのは分かってる。落ち着け、俺。こいつは悪くない。悪くないんだから……。
「……ごめんね。怒らないでいてくれると気流りん嬉しいな」
そんな俺に、蛙娘は悲しそうな笑顔で言った。違う、違うんだ。俺はそんなつもりなんてこれっぽっちもなかったんだ。だから俺をそんな目で見ないでくれ。
「多少うまくいかなくても許してね」
蛙娘は次にそんなことをいう。うまくいかなくても? 何をするつもりなんだ、こいつは。でもその表情はとても真剣で。普段だったらまず見ることはないであろうその表情に、俺は言葉を失った。
「…………ッ」
両手を俺の方に向けた蛙娘の表情はどんどん曇っていく。ついでに顔色も悪くなっていく。息が荒く、目の焦点が合ってないようにも見える。
「ど、どうしたんだお前……」
「ごめん黙って」
蛙娘はピシャリというと今度は唇をキュッと噛む。それから目を瞑った。
「うおぉッ!? 冷たァ!?」
突然の全身を襲う氷のような冷たさに俺は思わず飛び上がった。
「……あれ? 動ける?」
飛び上がった。文字通り飛び上がった。つまり身体が少し動いた。動いた?
見てみればいつの間にか足が自由になっている。代わりに俺の身体はずぶ濡れになっているが。でも、助かったのか? 俺……。
「へへ……上手くいった……」
俺を見て、蛙娘は脱力したのか座り込んでへにゃりと笑った。ということは、こいつが俺を助けてくれたのか。
「あ……」
ありがとな、と言ったつもりだった。しかし、俺の言葉は声になっていない。ついでに俺も蛙娘と同じように座り込んでいた。あれ?
声は出ない。冷静なんだかそうじゃないんだか分からないが、とりあえず上手く思考がまとまらない。えっと……? 俺は何を……。
そんな中、ドタドタと家を揺らすような足音が響く。
「無事ですだかッ!?」
派手な音をたてて乱暴に開かれる扉と同時に入ってくる叫び声。首は自然とそちらを向いていた。
「ああ……! 儂、間に合ったですだな……!」
そこには、肩で息をするチャイナ娘の姿があった。