5.嘘誠院音無
それから更に五日経った。
一時は小坂くんの家が凍りついてどうしようかみたいな話になったけれど、猫さんが直ぐに溶かしてくれたから大した問題でもなかった。それにしてもなんで凍ったんだろう。
ずっと何事もなくて、仙人さんの一件がまるで嘘だったような気さえしてくるほど平和だった。
「まだ葉折さんは帰ってこないんですね」
「あー……でも、そろそろ帰ってくるんじゃねえの?」
四日前ぐらいから葉折さんが出掛けていったのも平和である要因の一つだろう。僕が危機感(貞操的な意味で)を覚えることもないし、(猫さんと)一発触発で喧嘩になることもない。平和だ。
「平和ですねぇ……」
「だな」
僕と小坂くんは夕飯を作りながら呟いた。
仙人さんの一件がなければ小坂くんとこうして会話して夕飯を共にすることも無かったのだろう。でも、やっぱりあの一件は出来れば起こってほしくなかったな。猫さんの本体は未だに目覚めないし。どうやら、黒猫から本体へ戻れるほど回復してないらしい。
「男二人で仲良く夕飯作りかぁ……平和だねぇ」
「何をもってそれが平和なのかわからねぇけど、まあ、平和だな」
「平和でいいじゃないですか。ビバ平和ですよ。っていうか、これが普通ですよ」
「……ん?」
「……んん?」
とても自然な流れで平和が一番だと訴えた僕たち。しかし気づく。今の声は、誰だ?
「ぬるい。ぬるいねぇ。ぬるすぎるよ。なーんで、アタシが入ってきてるのに普通に会話してニンジンなんて切っちゃってるワケ?」
その人は僕たちの後ろにしゃがんで、両肘を自分の股にたて頬杖をつきながら、ニヤニヤとした表情で僕たちを見ていた。
「つっきーはアナタにちゃんと忠告しなかったの? そんなわけないよねー。偉い子ちゃんのつっきーだもん」
彼女はそう言って立ち上がる。黒髪のポニーテールにセーラー服。短いプリーツスカートを揺らして、踊るように動く。
「貴方は……誰、ですか」
「んっんー、アタシ? アタシはねぇ……作品No.1の『Alice』だよ。よろしくね、嘘誠院音無君?」
アリスさんはそう言ってくるっと一回転した。
それにしても、自身を作品だと名乗るこの人はなんなんだろう。誰かに作られたのだろうか。なんとなく、記憶に引っ掛かるものはあるけれど思い出せない。アリスさんのことじゃない、もっと大事なこと……。
「無視はよくないなぁ、音無君。そんな子にはアタシが直々にお仕置きしちゃうぞ!」
もとからその為にきたんだけどね、とアリスさんは無邪気に笑って僕の視界から消えた。
「遅いおそぉい! そんなんじゃ殺しちゃうよ?」
気付けば、アリスさんは僕と小坂くんの間に立っている。僕たちは、それに驚いて一歩下がる程度の反応しかできなかった。
「んー、君は誰だろ? よくわかんない人はここにいてね。死んじゃったのは自己責任でヨロシク!」
「あ!? おい!」
焦ったような小坂くんの声が聞こえる。でも、僕はそっちなんか見てる暇もなく何かに首もとを捕まれて強い力で引っ張られ、気付いたときには外で宙を待っていた。何が起きた。
「ぐえっ」
蛙が潰れるように、無様に僕は地面に落ちる。
「さぁさぁ早く武器を構えて? 無抵抗とか興醒めなコト、まさかするわけがないよね? ほらほら早くぅ」
「……いや、貴方は何しに来たんですか?」
「何しにって、君の力量を見に来たんだよ。君と戦うために来たの。君が目的だから、君が今回死ぬことはないよ。安心してね。他はどうなっちゃうかわかんないケド」
「どういう、ことですか……?」
ふざけた態度のアリスさんに、段々僕の心がざわついていく。苛立ちだろうか。それとも、危険を察知したのだろうか。
「そのまんまだよ? さっきのジャージ君は邪魔になる前に固めてきたんだよね。足だけやってきたけど、全身にまわれば顔も塞がって息ができなくて死んじゃうかも?」
「……ッ!」
「お? いい顔になったねぇ。ジャージ君を助けるならアタシをさっさと倒すことだよ」
アリスさんは手を広げて、僕を挑発するように言った。
本来なら、挑発には乗ってはいけないと思う。でも、この挑発には乗らないわけにはいかない。
僕のせいで無関係の小坂君が殺されそうになるのはおかしい。彼は関係ない。理由がない。
「んー、あと二人いるんだよね。そっちにもじゃまされたくないなぁ……。じゃあ、そういうわけだから、行っておいで。アタシの可愛い木偶」
ニヤリとアリスさんが笑うと、地面がボコボコと盛り上がって次第に人の形になる。そして、それは地面から離れると僕と小坂君の家、それぞれに向かっていった。
二人……すなわち、気流子さんと猫さん。
さっきの土の奴がどのくらいの強さなのかは分からないけれど、猫さんの方に向かっていったのは確実に不味い。猫さんは今、人ではないのだから。
ただでさえ、ダメージが回復していないのだから。
「ふーん? 音無君は自分よりも仲間がピンチの方が燃えるタイプなんだねぇ。いいよいいよ、どうせアタシと戦わなきゃいけないんだから、サクッと全力出してよね」
アタシもまけないから、とアリスさんは笑うと一気に突進してきた。その手には、いつの間にか握られていた二振りのナイフ。
「ーーーッ」
ガキィンと金属同士がぶつかる音が響く。同時に、ビリビリと痺れるような感覚が手を襲った。この人、どんだけ力が強いんだ。
「お? イイねイイね、ナイフとかヤル気満々じゃん! じゃあ、改めて名乗らさせてもらうね。
作品No.1土人形遣いの『Alice』。嘘誠院音無君と遊ばせてもらうよ!」
そう言ってアリスさんは逆手に持ったナイフを振り回してコマのように回る。
「ーー『回宙刃』」
僕はそれを召喚術を使って出した五本のナイフを操って受け止めた。
僕の名前は嘘誠院音無。
召喚獣を持つ、道化な召喚士だ。