4.戸垂田小坂
「こっさかくぅぅぅぅん! お腹すいたー!!」
チャイナ娘が居なくなって一週間。隣の家はなんだか静かになった。と思った途端これだった。
この声はどう考えても蛙娘以外の何者でもない。なんで朝っぱらから元気なんだ。あとなんで俺に食い物をたかりに来るんだ。音無に貰えよ。
「ほれ。これで我慢しろ」
「ヒュー! さっすが小坂くん!」
とはいえ、こいつがいる限り食い物をたかられるのは分かっている訳で、俺は最近常備するようになった特大あんパンを蛙娘に向かって投げた。蛙娘はそれを跳んで宙返りを披露しつつ口でキャッチする。手を使え。
全く、これで俺の一個下だというんだから驚きだ。五歳下の間違いじゃないだろうか。そんな間違いあるわけないけど。
「あんの蛙娘がァァァァッ!!」
そんなことを思いながら、あんパンを咀嚼する蛙娘を眺めていると、外からそんな叫び声が聞こえてきた。
あの声は多分というか、十中八九音無だな。そしてこの目の前の蛙娘が何かやらかしたってことか。大方、お腹すいたのに何もくれないから悪戯しちゃえの精神だろう。
「む」
「む?」
突然何かに気づいた様子の蛙娘は、バカでかい口を開けてあんパンの残りを食べきると、玄関とは逆方向、裏庭に向かって走り出した。本当に忙しい奴だ。
「なんだよ急に」
一人にすると何をしでかすか分からない奴なので、俺は蛙娘を追いかけて話しかける。蛙娘は裏庭でしゃがむと何かを探していた。
「んとねー、ケロ君1号探してるのー!」
蛙娘は俺の問いに元気な声でそう答える。とても笑顔だ。どんだけ蛙が好きなんだ、こいつは。
ついでに声がでかすぎる。俺に対する答えならそんなにでかい声じゃなくとも十分聞こえる筈なんだが。そんな声をだしたら蛙も逃げるんじゃないのか? いや、逃げないか。
「けろっけろっけろー」
そして蛙娘は、蛙のように歌いながら蛙探しを再開した。本当にこいつは俺の一個下なのだろうか。さっきからずっと、小さい子供を見ている感覚しかない。
「ねえヘタレ君」
「誰がヘタレだ!」
「動きやすい服貸してくれない?」
「マイペースかよ……どいつもこいつも……!」
いつの間にか俺の後ろに来ていたのは女装男。と、思ったのだが違った。
「……、誰だお前……」
振り返ってみると、そこにいたのはただのイケメンだった。眼鏡で、長い髪を後ろで束ねて、長い前髪で右目が隠れているイケメン。
「……って、服装はいつも通りじゃねぇか畜生!」
やっぱり女装男だった。唯一違うとしたら、ニーハイソックスをはいていないところだが、似合ってない可愛らしいブラウスとミニスカートは何時も通りだ。髪の括り方と、化粧の有無で顔の印象が変わっただけだった。
「僕こういうのしか服持ってきてないから貸してほしいんだよ。なんかない?」
俺の反応など一々気にせず、気だるそうに女装男は問う。こいつのメンタルどうなってるんだ……?
「音無に借りろよ」
「音無の服は入らないんだよ。君ならまだ僕の体型と近いかなって」
突っ込みをいれたかったが、ソックスをはいていないことでむき出しになった、程よく筋肉のついた足を見て何故か納得してしまった。こいつ、音無身長差が十センチくらいあるしな。女装しているからといって、決して線が細いとかそういうわけではない。
「二階にタンスがあるから適当に漁ってくれ」
「ありがと」
残念すぎるイケメンな女装男は素直に頷くと静かに二階へと上がっていった。普段、音無と猫神の前だと騒がしくなるから変な感じだ。俺とは馴れ合うつもりはないってことか? でも服は借りるんだよな。変な奴だ。素顔も普通に見せてきたしな。これが音無の前だったら顔を見せることは無いんじゃねえかな。知らんけど。
「気流ちゃーん?」
女装男が居なくなると、入れ替わりに猫神がやって来た。計算したようなタイミングだな。お互いにお互いのことを嫌ってるみたいだし、避けてるんだろうな。
「お前はどうした?」
「ああ小坂君。ちょっと気流ちゃんを出してくれないかな。僕はちょっと気流ちゃんに説教してあげなきゃいけなくてね」
何をしでかしたんだ蛙娘は。音無といい猫神といい、怒られてばっかじゃねえか。
ちなみに、猫神がどこから入ってきたんだ黒猫の癖にっていう疑問は放棄している。大方、チャイナ娘が割りやがった窓から入ってきたんだろ。
「その声は綾にゃん!? だめだよ小坂くん! 綾にゃんを絶対にこっちにこさせないでね!」
蛙娘は妙に必死な声でそう訴える。でもその声の大きさじゃ、自分はここにいるとアピールしてるようなもんだぞ?
「そこだね、気流ちゃん。出ておいで」
「あわわわわ」
猫神は俺のとなりにちょこんと座ると裏庭に向かって声を掛ける。とても穏やかだし、見た目はただの小さな黒猫だというのに威圧感が半端ない。それに対してふざけた返答をする蛙娘も半端ない。なんだこいつら。
「ヘタレは君ジャージしか持ってないのかい? 動きやすいからいいけど……これ借りたよー?」
そこへ服装がブラウスとスカートからTシャツとジャージに変わりただのイケメン(外見)と化した女装男……女装? 女装はしてないな……じゃあなんだ……ジャージ男だと俺だしな……いいやめんどくせぇ、葉折が降りてきた。なんだこの空間。カオスになってきたぞ。
「ああああダメだよ!! 猫さんもどっかいって!! ダメだってば1号! ステイ! カムバック!! プリーズミィィィィ!!」
「何言ってんだお前は」
葉折に返事をする暇もなく騒ぎだした蛙娘に目をやる。すると蛙娘はいつになく必死な形相で漬け物石ぐらいのサイズのどでかい蛙を追い掛けていた。テメェ、なんつーもんを部屋に上げるんだ!
「……かえる……?」
「こりゃまたおっきいねぇ……気流子ちゃん、流石にそのサイズは出した方がいいと思うよ」
「こいつの言う通りだ。さっさと遊んでないで出しやがれ!」
猫神、葉折、俺の順で蛙女に文句を垂れる。勿論三人とも微動だにしない。流石にこのサイズの蛙には触りたくないもんな。
「眺めてないで捕まえてよォォォォ! 速く! 今すぐ!!」
それに対して蛙娘はキレながら叫ぶ。何にキレてるんだこいつは。同時に飛び回る蛙を追いかけ回してるけど全然追い付かないしな。この蛙、図体のわりにすばしっこいのな。
「かえ……る……」
猫神はぼけーっとした様子で蛙と蛙娘を目でおっている。蛙のあまりの大きさに怒りも忘れたのだろうか。いいんだか悪いんだかだな。
それにしても、窓が開けっぱなしだからだろうか。段々部屋の中がひんやりしてきた。今日はこんなに寒かったかな?
「ヘタレ君! 今すぐそこどいて!」
「だから誰がヘタレだよ!!」
「漫才をしてる場合じゃ無いんだよ! そいつ、なんかヤバい!!」
葉折はそう言ってとても真剣な表情で、どこから出していたのか知らないが葉っぱを構えている。だからお前らはなんでそんなもんばっか家の中に持ち込むんだよ。誰の家だと思ってるんだ。掃除するのは俺なんだぞ?
「カエル……カエル……ッ!!」
次第にボケーッとしていた猫神が叫び出す。それと同時に一気に部屋の中が凍えそうな寒さになり、天井から氷柱が降って床に刺さった。
「……ッ!?」
なんだこれ。理解が追い付かない。何が起きた何が起きた何が起きた。
氷柱はざっくり床に刺さってるし、これ人にも余裕で刺さるんじゃねえの? っていうかなんで部屋の中が冷凍庫になってるんだ? いや落ち着けって。落ち着けって!
「カエル……ハイジョ……スグニ!!」
抑揚のない声で猫神は叫ぶ。ハイジョ? 排除? こいつそんなに蛙が苦手だったのか!?
「だから言ったじゃんもおぉぉぉぉ!!」
蛙娘の悲痛な叫びがこだまする。
「とりあえずヘタレ君どいて!」
「わかっ……無理だ! 動かねぇ!?」
危険な生物を止めるべく、俺は葉折の指示に従おうとする。が、それはできなかった。いつの間にか足が凍って床にくっつけられている。どんなに力を込めても動かせない。それどころか、冷たい氷は俺の感覚とかその他諸々を奪っていく。
「ちょっ……僕まで凍って……!」
俺に続いて葉折まで足が凍って動かなくなる。いつになったらおさまるんだこれ!
どすん。
どうしようかなんて思っていれば、俺と葉折の間に巨大な氷柱が落ちて床に刺さる。
「ぎゃああああぁぁぁぁ」
「ぎゃああああぁぁぁぁ」
どっちがどっちのかも分からない悲鳴が響き渡った。
結局、この恐怖は猫神が魔力切れを起こして気絶するまで続いた。
俺達は、これを機に猫神には絶対に蛙を近づけないと心に強く誓った。