9.戸垂田小坂
猫神は家の中にいなかったチャイナ娘を蛙娘に連れてくるよう言うと、話を始めた。勿論、猫神本体の身体の手当てが終わった後でだ。手当てをしたところで、猫神の本体の方が目を覚ます気配は無い。
「まあ、僕がこの猫に憑依してる間はそっちの僕は動かないと考えてくれていいよ。今戻ってもそっちで活動するのは難しそうなんだ」
猫神はそう言って笑った。笑えない話だが、一応本人が無事だと言うので納得しておくことにする。医者を志望する身としては、こういうのは放っておけないんだけどな。
音無は気味が悪いほどに大人しくしている。どうやらあの女装男がそうしたようだが、目が光を失ったように見えてとても怖い。なんか変な薬とか使ってなければいいんだけどな。でも、あのままでいても暴れそうで困るから仕方無かったのか。
「なんなんですだか、気流子」
「いいからー! 大事な話なんだよ!」
騒がしく蛙娘がチャイナ娘を連れてきた。猫神はそれを見もせずに話を始めた。まあ、一応来ているのは確認できるからいいのだろうが……自分で呼んだにしてはあんまりな扱いだ。
「さて、僕がこれから話すのは、家の中に降ってきた岩のことだよ。それから、僕についての話、かな。どっちから訊きたい?」
ちょっとふざけた口調で猫神は言ったが、全く笑えなかった。被害者から直接事件についての話と犯人についての話を聞かされて、更に笑えだなんて。しかも、俺以外の四人はいままで一つ屋根の下で暮らしてたんだ。多少の情は芽生えているだろう。それなのに、この軽さ。正直言って、恐怖だ。
「まあ、どっちから話しても結論は一緒なんだけどね。それじゃあ、みんな黙っちゃったし……先に聞きたいんだけど、なんか、違和感ない?」
違和感? その言葉の意図がよく分からなくて俺は首をかしげた。俺以外のやつらも同じで、大体にたような顔をして居る。まあ、そうだよな。
さっさと結論から話しちまえばいいのに、こんな回りくどい言い方をするなんて猫神も面倒な奴だ。犯人を名指ししづらいからとかそういう理由があるのかもしれないが。
「よく考えてみると、なんとなくおかしいと思うことがあるはずだよ。例えば……そうだね、なんで僕は今生きてるのかな?」
猫神は表情を崩さず爽やかな笑顔のまま、とんでもない質問をかましてきた。ここまで来ると本当にこいつの意図が読めない。
「……ああ」しかし女装男は違うらしくて、一人納得したように頷いた。「そうだね。君が生きてるのは不自然だ」
「ん。やっと君との意思の疎通が出来て嬉しい限りだよ。葉折君が言うとおり、僕が生きてるのって実は不自然なことなんだよね」
さらっと酷いことを言う猫神。普段は意思の疎通ができないのか……?
「どういうことなんだ?」
普段の関係を気にしていても仕方無い。俺は理解ができないという意思表示をした。分からないものは分からない。無理だ。
「んー……小坂くん。ざっくりでいいから答えてほしいんだけど、僕の身体の傷ってどうだった?」
「は? ……殴打された形跡があるな。ところどころ出血してるし、相当強い力で殴られたこともわかる。左足は骨折してた。一応そこは治しておいたが、他は俺の魔力が足りそうになかったんで包帯とかで間に合わせたよ」
「あぁ、小坂くんって治癒術使えたんだね。ありがとう。
それで、そんな傷を負わせる場合ってどんなときだと思う? これをやった犯人はなにを思って僕をそこまで殴ったと思う?」
「……ああ、だから不自然なのか」
出血するぐらいの強い力で殴るなんて、相当の恨みかなにかがなければまずしないだろう。あくまでも常人であればの話だが。
そして、そのぐらい強い力で何度も殴打しているのだから、そこに殺意があったのはほぼ間違いないだろう。怪我を負わせるだけなら骨折するまでやらなくてもいい。相手が動かなくなるまで殴ることもない。
しかし、殺そうと思えば殺せた猫神を殺さず生かした、というのはかなり不自然だ。ではなんのために執拗に殴ったのかが分からなくなる。生かしたかったのか殺したかったのか、悩んでいたのだろうか。最悪、猫神があのまま力尽きて猫にならず、俺たちに見つかることがなければ死んでいただろう。そんな、運に任せるような殺し方でいいのか? あんなに殴ったのに?
「ご名答」
言って、猫神はにっこりと笑った。
「岩の事もそうでさ、僕たちを襲う意思があったのは確かだし、実際僕たちは意識を失ったよね。でも、なんで大した怪我もしてないのかな? 意識を失わせるのに傷はつけないって、なんか矛盾してるよね。ねえ、仙人ちゃん?」
「……なんで儂の方を見るですだか」
突然のご指名にチャイナ娘は心底嫌そうな顔をした。まさか、猫神はチャイナ娘が犯人だとでも言うのか? 確かに、こいつだけ無事だったしこの家から離れて単独行動をとっていたけど、でも、そもそも俺に助けてくれって言ったのはこいつだ。おかしい。……いや、だからこそ、なのか?
「ふふふ、被害者の僕相手にしらばっくれても意味がないよ、仙人ちゃん。今度はちゃんと話してくれるかな? 君の中には何人居るのかな? それで、何が目的なのかな?」
「……はっ、知ってどうする」
威圧感のある猫神の笑顔を前にチャイナ娘はガラリと雰囲気を変えた。変えたなんてレベルじゃない。最早別人だ。
「この中の事を知ってお前は何をしてくれるんだ? お前がどうにかしてくれるのか?」
「ああ、犯人は仙人ちゃんじゃなくて君なんだね? じゃあ、改めて聞くよ。君は、何をしたいの?」
雰囲気の変わったチャイナ娘をはっきり別人と見なして猫神は再度訊ねた。その確信はどこから来ているのだろうか。読心術だろうか? しかし、読心術が使えるのなら、わざわざ質問なんてしないで読めば全部終わるのではないだろうか。自白でもとりたいのか?
「何って……簡単だよ。目の前にあるものを、ぶっ壊せれりゃそれで良い」
にやりと、チャイナ娘は狐のように眼を細め、吊り上げて笑った。とても不気味な笑みだ。まるで、仮面を貼り付けたようにも見える。
「……でてってください」
そんな気味の悪さを醸し出すチャイナ娘に、一人冷静に文字通り冷ややかな言葉を向けた人間がいた。音無だ。
音無は女装男に精神を落ち着かされてからすっかり大人しくなってしまっていたが、別に意識を失ったわけではないらしい。ちゃんと話しは聞いていて、落ち着いた状態でその言葉を放ったようだ。
「そんな人とは一緒にいられません。出てってください。今すぐに」
ゆらりと立ち上がって音無は言った。今まで一緒に暮らしていたと言うのに随分と冷たい。まあ、目の前にあるものをぶっ壊したいとか言われて怪我を負わされるのは俺だって嫌だし、出てってほしいというのは同意見だが、でも、俺と音無では一緒に居る時間が違うだろう? 流石にさっぱりしすぎじゃないか?
「まあまあ、落ち着きなよ、音無君」
冷たすぎる音無に、そうさせた張本人である猫神が呑気な声で言った。
「確かに、今のあれは僕だって側に居てほしくないけどね。でも本人の意思はちゃんと聞かなきゃ。ねえ、仙人ちゃん。君はどうしたいのかな?」
「はっ、だからてめぇらを壊せれば……」
「君じゃない。僕は今、仙人ちゃんに訊いてるんだよ」
「…………」
一歩、黒猫がチャイナ娘に近付いた。猫は俺たちに比べてとても小さいと言うのに威圧感がとてつもない。中に居るのが猫神だからだろうか。端から見ていてこの威圧感なのだから、目の前で見たら……チャイナ娘の位置から見たら、どうなのだろうか。
チャイナ娘は一瞬、目の前の黒猫に気圧されたような顔をして、すぐに戻し舌打ちをした。そして勢いよく後ろを向くと窓へ走る。え、ちょっと待て、まさか。
「仙人ちゃん!」
黒猫が叫ぶ。だがチャイナ娘は聞かず、窓に突っ込んで外へと出ていった。俺の家の、窓を割って。
その背中を誰も追わない。音無も女装男も動かない。勿論俺だって。ーー否、誰も、じゃあないな。
例外の一人、蛙女が誰も動かない中窓へ向かって走り、そこでとんでもない大声で叫んだ。
「暁ちゃんッ!! ……ッ、待ってるから!!」
ビリビリと家全体が震える。鼓膜に響く。本当にとんでもない声だ。
その声を聞いて、一瞬小さくなったチャイナ娘の姿が一瞬こっちを向いたような気がした。
そうだよな、この声すら届かないんじゃどうしようもないよな。