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九.これからどうするべきでしょーかっ?

 長い夢を見ていた気がした。悪い夢ではない。誰かと出会い、触れ合いの果てに別れる夢。甘やかで優しくて、ただ少し胸が痛かった。

 まぶたをゆっくり持ち上げると、まばゆい日の光が網膜を刺す。白い、朝の光だ。


「……目が覚めた?」


 ぼんやりと鈍い視線を寝台脇に向けると、穏やかな微笑みがそこにあった。


「ミシャ……っつ」

「起きちゃ駄目よ」


 彼女はこちらの肩を優しく押さえ、


「あ、でも水くらいは飲んだ方がいいかも」


 と、椅子から立ち上がってコップに水を入れて持ってきてくれた。

 上体を支えてもらいながらゆっくりと水を喉に流し込んでいるうちに、翔は記憶がはっきりとしてくるのを感じた。

 再び体を寝台に横たえながら呟く。


「無事でよかった……」

「正直ギリギリだったけどね」


 あの後、ミシャが気を失った翔を介抱しているうちに守り手の館兵、『守り手の剣』が駆けつけてくれたらしい。館まで再び護送された翔は、そのまま二日間昏睡状態にあったようだ。


「あいつは一体何だったんだろう」


 赤髪の巨躯は、まだありありと思いだせる。


「紅い牙……そう呼ばれているわね。この国を脅かす蛮族の豪傑よ。戦のたびに姿を現しては多くの兵の命を刈り取っていく……」

「強いんだな……そんな奴がなんで」

「分からない。でも、意味もなくあんなところにいたとは考えにくい。何かが起こるのかも」


 聞いているうちに再び眠気が襲ってくるのを感じた。重いまぶたにミシャの指が触れる。


「もう少し眠るといいわ」

「……ミシャは?」

「ごめんなさい。わたしは行かないと」

「待って」


 このまま行かせてはならないと直感した。ふらふらと伸ばした手は、しかしミシャに優しく握られる。


「大丈夫、安心して。あなたはわたしが無事に送り返すわ。約束する。だってまた借りができちゃったもの」


 違うんだ、そうじゃないんだ。眠気に溺れていきながら翔は必死に口を動かした。もうこれでお別れなんて、まさか言わないよな?

 そんなことを思ったのは、変な夢を見たせいか、もしくは彼女の表情に悲壮な決意を見た気がしたせいか。


「おやすみなさい」


 ミシャが立ち上がる。手と手が離れ、ぬくもりが急速に失われていく。

 扉に向かっていく彼女の背中が、まぶたの裏の暗闇に消えた。



◆◆◆



 胸が苦しかった。重いものが奥に沈んでいるように鈍い痛み。それに引きずられるようにどこまでもどこまでも深いところに落ちていく。

 なんだか無性に悲しくて、寂しい。何か大事な物をなくしてしまったのだと分かった。


 取り戻さなくてはと思うが届かない。手の届く範囲よりもわずかに遠い。それでも、もう一度出会うためには起きなくてはならない。

 翔は目を開いた。

 ……それにしても胸が苦しかった。


「やほ」

「……」


 最初に目に入ったのは、こちらのみぞおちに頬杖をついて覗き込んでくるいたずらっぽい瞳だ。

 マレトゥナは笑いながら言った。


「何か?」


 諦めにも似たイライラをぶつける心地で、翔は勢いよく起き上がった。マレトゥナは一瞬前に身を引いたのでバランスを崩しすらしなかったが。


「なんでいるんだよ」

「そりゃいるよ。これでも守り手だしあんたの世話係だし」

「お前が続投なのかよ……」


 軽く頭痛がするが、あの老女のあれこれを思い出すに、いちいち変更する手間をかけるほどの機微か思いやりは持ち合わせていないのだろう。

 ため息とともに告げる。


「まあいいや、とにかく出てってくれよ。ちょっと一人になりたいし」

「何? 悩み事? お姉さんが相談に乗るよ?」

「お前が悩みの原因なんだよ!」

「やーん頭のなかお姉さんのことでいっぱいなのね」


 くねくねとほざきだすマレトゥナを視界と思考から追い払って。翔はあの小さい背中を思い出していた。

 あなたはわたしが必ず送り返すわ、と彼女は言った。確かな決意と寂しさの混じった瞳で。

 胸がざわつく。あれはもしや、自分一人で、ということではないのか。


(だとしたら、俺は……)


 ふとこちらを覗き込む茶色い瞳に気づいた。キスができそうなくらいの至近距離だ。


「わっ!?」


 驚いてのけぞる胸倉をむんずとつかまれる。マレトゥナは翔が逃げた分を埋めて、やはり至近距離から探るように見つめてきた。


「あんた、迷った? 迷ったでしょ」

「え?」

「ミシャにかかわり続けるか迷った。違う?」


 どきりとした。

 言い当てられたからではない。確信したからだ。


「やっぱりミシャは何かやるつもりなのか。一人で」


 マレトゥナはしばらく何も言わずに翔を見つめ続け、それから手を放した。


「よかった。安心した」


 微笑んで、それから続けた。


「ミシャは一人で行ってしまうつもりだよ。この国を救う英雄を召喚するために。あんたを送り返すために」

「……どういうことだ?」

「あの子はこの国の中枢機関である議会から出頭要請を受けてるの。北の儀式砦の襲撃について目撃者であるミシャから事情を聴取する……というのが名目だけど、ミシャが召喚を強行して失敗したことを知って、とっ捕まえてしまおうというのが本当のところだと思う」

「そんなことできるのか? 一応は最高権力者の一人なんだろ?」

「あいつらは本来政治能力を持たないはずの『守り手』が、自分たちと同等の権力を持っているのが気に食わなかったっぽいからね。そりゃどんな手を使ってでもミシャを引きずり落ろして守り手の力を奪うでしょ」


 どうやら結構複雑な話らしい。一枚岩ではない、とかそういうことなのだろうが、翔は肝心なところをまだ聞いていないことに気づいた。


「それがなんでミシャが一人で行ってしまうことになるんだ?」

「議会に出頭しても守り手の館に閉じこもっても、どちらにしろあの子は動けなくなってしまうからだよ。あの子が自由に行動するにはどちらからも逃げるしかない」


 つまり、と翔はかみしめた。ミシャは翔を無事に送り返す、そのために自分の『今まで』を全部捨てようとしているのだ。

 震え声が漏れた。


「なんでそんな……」

「なんでなんて訊くのは野暮でしょ。きっかけなんて大したことなくてもいいし何に感謝するかも人それぞれ。でも一つ言えることは、この二日間、ミシャはあんたにずっと付きっきりだったってことだよ」


 昼も夜も、彼女はずっと翔の傍らにいたのだそうだ。翔の手を取り癒しの力を注ぎ込み、ずっと見守っていてくれたらしい。

 そうだ、覚えている。彼女の手の温かさを、まだ翔の手のひらは覚えている。

 マレトゥナが立ち上がった。


「さて、じゃあカケル、ここで問題です。あんたはこれからどうするべきでしょーかっ?」


 翔は顔を上げた。

 最初から、迷う理由などなかった。

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