七.赤髪の襲撃者
それがなんだかは分からなかったが、本能的に危険は察した。
翔はとっさにミシャの腕をつかんで空に逃げようと――だが、すぐに間に合わないと悟る。
(どうする――!?)
不意に右腕が持ち上がった。落ちてくるそれに手のひらが向き、そこから力があふれ出す。
次の瞬間、光が閃いた。
轟音。爆風と衝撃。
「きゃああああ!?」
それからミシャの悲鳴。
間近でそのすべてに触れながら。翔は歯を食いしばって堪えていた。
爆発は立て続けに手の先の障壁に弾ける。全部で五発ほどか。もうもうと煙がたちこめあたりが見えなくなった。
耳がやられたのかわんわんと耳鳴りのような音が聞こえた。いつの間にか爆撃は止んでいる。
震える膝に鞭打ってなんとか立ち上がる。左の腕に重みがかかった。見るとミシャがぐったりとしていた。
「ミシャ……!?」
囁きかけるが反応はない。胸が不安にざわめいた。
口に頬を近づけて息があるのを確認し、ようやく安堵するが、今度は急に聞こえてきた足音に心臓を跳ねさせた。
煙の中ミシャを抱え、そっと移動する。広場の外壁の陰に隠れ、息を殺した。
一陣の風が吹いた。
赤銅色の短い髪がなびいた。
(あ……)
息をのむ。その男は巨躯に厚着して、彫りの深い日焼けした顔を祭壇に向けていた。眼光は鋭い……というよりはただただ不動で固定されている。テレビで見た猛禽の目があんな感じだった。猛禽の目は鋭くない。鋭いというよりはただ、見る、ということだけに純化されている。
瞬間、翔はぞっとした。その目が急に冷たい光を帯びたのだ。いつの間にか手に武器を抜いている。あまり長さのない曲刀。だが妙に肉厚で、威力はありそうだ。
鈍い音がした。両断された祭壇が倒れ、男の蹴りで段を落ちる。破片が飛び、音を立てて転がる。石畳の上で沈黙したそれには、もう何の力も残されていなかった。
その間、翔は息をすることもできなかった。ただ戦慄し、脅威が早く過ぎ去ってくれるのを願うのみだった。
だが。
「う……」
ミシャが隣でうめき声を上げて、翔はびくりと体を跳ねさせた。男の顔がすっ、とこちらを向いた。
どうする?
頭に浮かんだのはその言葉だ。どうする? 逃げられるか?
「逃げる、は、無駄」
低く落ち着いた、だがぎこちない言葉が聞こえた。日本語に不慣れな外国人のような。
「逃げるは、とても、悪い手。私、あなたを、すぐ殺せる」
「……」
立ち上がり、ゆっくりと外壁の陰から歩み出ると、男が無感情の視線でこちらを射抜いた。
もちろん怖くないわけはないし、飛んで逃げるた方が良かったのかもしれない。しかし先ほどの爆撃を考えるに、敵も何かしら空を飛ぶ手段を持っているのだろう。逃げてもすぐ殺せるというのは嘘ではないはずだ。
ならばここで戦うしかない。
(時間稼ぎしてミシャを逃がす)
翔は慎重に口を開いた。
「お前は誰だ?」
「紅い牙。紅牙。あなたたち、皆そう呼ぶ」
「なんでこんなことを?」
「知りたいか?」
男の体から何かとてつもない圧力が膨れ上がった。多分、これを殺気と呼ぶのだろう。足がすくむ。喉が詰まったようになる。
「駄目だ。死ね」
男の顔がいつの間にか目の前だった。巨躯が低く沈んで、その身につけたマントが翻り、そして曲刀の刃が――――刃が。
(くそっ!)
今まさに体に食い込もうとするそれが、妙にゆっくりと見えた。
このままでは死ぬ。
(誰か……何か)
何かないか。あるだろう、何かほんの少しでも戦うための力が。どこかにあるはずだ。どこかに!
「ああああああああッ!」
意志の奔流が口からあふれ出す。戦の雄叫び。あるいは断末魔の悲鳴だったかもしれないが。
だが、それでも力は翔を裏切らなかった。
甲高い音とともに曲刀が必殺の軌道を外れた。
「……」
後退した紅牙が興味深いものを見る目で翔を見た。というよりも、翔の手に握られた輝きを。
その長剣は、荒く息をつく翔の手に、しっくりと馴染んだ。
構える。なぜだろうとは思わなかった。その力の使い方は知っている。
「……名前は?」
紅牙がにやりと笑う。
「翔だ! 覚えとけ!」
気合とともに、翔は勢いよく踏み込んだ。
足場は悪い。だが踏むべき道は分かる。理解する。一ミリ一ミクロンの誤差もない。不気味なくらいだった。まるで誰かが頭に囁いているように全てが分かる。
鋭い呼気とともに剣を振り下ろすと、しかし敵は難なくそれをかわした。反撃に一太刀浴びせてくる気配を見せるが、気づいたらしく飛びのく。その残影を長剣が両断した。
分かる。この剣の扱い方が。どう握りどう振るえばどう敵の魂をえぐりだせるか。振り下ろすたび斬り返すたび、敵に行動の選択肢がなくなっていくのが手に取るようだった。
「……終わりだ」
体勢をわずかに崩した相手の頭を、剣が水平に両断した。
「がッ!?」
ひざまずく相手を冷ややかに見下ろす。血を流し命をこぼしていく様を眺めた。
紅牙はぐらりと傾き……頭をおさえる。
「……?」
死んでいない。確かに命を奪ったはずなのに生きている。
なぜ。
と、翔は自分の視界が傾いていることに気づいた。不思議に思って足を踏ん張ろうとするも力が入らない。痛い。
(痛い?)
見下ろすと、腹と肩にナイフの柄らしきものが見えた。深く刺さっている。なるほど、これでは必殺の一撃は放てない……
「さようなら」
男の声を聞きながら、翔は崩れ落ちた。