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二.召喚されはしましたが

 その違和感は長かったようでもあり短かったようでもあり。


「――っつ!」


 奇妙な意識の断絶の後、翔は尻餅の衝撃で我に返った。

 呆気にとられて見回す。そこは少なくとも自分の部屋ではなかった。


 見たところ円形の広場のようだ。低い石壁が周囲を取り囲み、天井はなく夜空が代わりに蓋をしている。

 夜なのに周囲の様子がわかるのは光があるからだ。背後からの明かりに照らされて、敷き詰められた石の影が妖しく揺れていた。振り返ると、そこから階段状に高くなっていて、光源である松明と祭壇らしきものと何者かの人影があった。


「うねりさざめく糸紡ぎ、揺らめき駆ける駿馬の脚、求める口に賜物あれ、清めよ久遠の濁流に千々なる塵の――」


 何やら聞こえてくるが、意味は不明だ。


(……なんなんだ?)


 覚えているのは誰かの声に応答したことだけ。そういえばこの怪しげな呪文の声に似ていなくもないが……


「なーにしてんの?」

「うわ!?」


 背後からの声に体が跳ねた。慌てて振り返って体がねじれる。結果としてバランスを崩し、背中を打ってうめくことになった。


「あれ。大丈夫?」


 頭を振って声の方を見上げると、女の顔がそこにあった。いや女というほど歳がいっているようには見えない。翔より少し上、十七、八といったところだから少女といった方がまだしっくりくる。


 その彼女はこちらを覗き込んで首を傾げた。灰のような色をした髪がさらりと揺れた。


「なんだろ。体ねじれ病かな。うつったらやだな」

「は?」

「それとも単にねじれることに喜びを見出す人? やめといた方がいいと思うなー。どう考えてもちぎれる未来しか見えないよそれ」


 困惑して固まっていると、少女は目をにやりと細め、手を差し出してきた。


「ごめんごめん、冗談。さ、起きよ。地面大好き君なら別だけどね」


 手を借りて起き上がり、改めて相手を見る。背が高い。翔と目の高さがほとんど同じだ。手足もすらりと長い。バレエやフィギュアスケートでもやればとても映えそうだが、実際身につけているのもふわりとした薄布や金糸の刺繍で飾られた、趣のある礼装だった。


「ここは……」


 差し出された手を取って立ち上がりながら呟く。


「ここはどこだ?」

「お?」

「それに君は?」


 違和感があった。人種が違うようなのに言葉がスムーズに通じているという引っ掛かり。


「わたし? マレトゥナだよ。あんたは?」

「城谷……翔」


 妙な名前にも訝しく思いながらも答える。

 彼女は頷いてからさらに言葉を続けた。


「じゃあカケル。ちょっと訊きたいんだけど、あんたいつからここにいたの?」

「……ついさっきくらい?」

「ここへはどうやって?」

「え? いや、分からないけど……なんていうか、呼ばれて? みたいな……」

「ふうむ」


 一声唸った後、マレトゥナは急に視線の方向を翔の背後に移した。


「だそうだけど、どう思う、ミシャ」


 翔ははっとして振り返った。いつの間にかあの呪文の声は止んでいた。


 さきほど。マレトゥナの衣服を礼装だと思ったのは、その意匠から魅せる意図ではなく、もっと実務的な用途を感じたためだ。高潔で清廉。それはまるで――


「何が言いたいのマレトゥナ」


 神に近しい者が身に纏う衣……のような。


 階段の上からこちらを見下ろす少女の目には、確かにそれを思わせる不思議な威厳があった。立ち姿は凛として美しく、マレトゥナよりもよほどその白い衣が似合っている。松明の明かりを背後から受けて、緩やかに波打つ金の髪が輝いた。


 彼女はゆっくりと段を降りてきた。威圧するつもりはないのだろうが、自然と気圧される。無意識に足が後ずさる。

 視線が同じ高さでぶつかり――それから下にずれた。


「あれ?」

「何よ」


 彼女は平然と言うが、気づいていないわけもないだろう。階段の一番下、翔の目の前に降り立った彼女は、思ったよりずっと小柄だった。

 肩透かしを食らった気分で見下ろす。


「何歳?」

「何? 質問の意図次第では痛い目見るわよ?」


 犬歯をのぞかせて少女が言う。だが横から顔を出したマレトゥナがあっさりと答えた。


「ミシャはね、十七だよ。わたしもだけど」

「ちょっとマレトゥナ!?」

「あ、じゃあ一つ上なんだ」

「年下!?」


 急にミシャ?がよろめく。


「年下……」

「え、何?」

「同年代には負けることは許せても、後続に抜かれるのはやっぱりそう簡単に受け入れられることじゃないよね」

「よくわからないけど」

「年下なのに……っ」

「そこまで取り乱すのも意味分からん……」


 何やら拍子抜けの感を味わいながら。翔は見失いかけた話の行方をなんとか引き戻した。


「それで、ここは一体どこなんだ?」

「北の儀式砦だよ。っても今は廃墟だけど」


 いまだ現実に帰ってこないミシャに代わってマレトゥナが答えてくれるが、余計分からなくなってしまう。そんな場所は聞いたことがない。

 ただ……閃くことはあった。気づいたら見知らぬ場所、見知らぬ人々、なぜか通じる言葉。異世界に飛ばされるとかいうアレだろうか。

 よくあるとは言うが、まさか本当にあるとは思わなかった。

 考え込む翔を見て、マレトゥナはすすすとミシャに近寄った。


「わたし思うんだけどー――」


 耳打ちされたミシャが顔をしかめる。


「……そんなのあり得ないわよ」

「えー、でもさあ」


 そのまま何やら内緒話を始める。ノリが完全に女子高生のそれだ。自分のことが話題なのもあって、正直あまり気持ちのいいものではない。

 しばらく待っていても話が終わらなかったので、翔は気になっていたことを訊いてみることにした。


「あのさ。ちょっといい?」


 ミシャに強烈に睨まれたが、なんとか意志を強く保つ。


「もしかしてなんだけど、俺、君に呼ばれた?」


 途端、ミシャの目が見開かれた。

 固まった彼女の頬を、マレトゥナがムニムニとつつく。


「ほら、やっぱ言った通りでしょ?」

「そんな……だ、だって……」


 なんだか妙な雲行きに、多少気持ちが逃げるのを感じながらも翔は言葉を続けた。


「いや……聞こえていたら答えてって。お願いって。君の声で。もしかしてだけど、これって異世界に召喚されたとかそういう」


 パン! 急に響いたその音はマレトゥナが両手を打ちあわせた音だ。


「はい決定! 間違いなーし!」

「馬鹿言わないで! 違うわ! わたしは英雄を呼ぼうとしたのであって……失敗なんてそんなわけ……」


 はしゃぐマレトゥナと反対に、ミシャは弱弱しく頭を振る。


「え、いや、なに? なんなの?」


 嫌な予感がした。というか失敗とか聞こえた。ミシャが、蒼白な顔をふらふらとこちらに持ち上げる。


「こんな奴なんて知らない……あなた、誰よ」

「え……」


 あんまりな言葉に絶句したその時だった。


「ミシャナマール様!」


 よく通る声が響いた。振り向くと、広場の入り口とおぼしき場所に老女が一人立っている。老女と言っても背筋は少しも曲がっておらず、その身から漂う気配はなにやら尋常ではなかった。


 老女はあたりを見回した後、ゆっくりと一歩を踏み出した。同時にその背後から何人もの男たちが一斉に走り出て翔たちを取り囲む。彼らは全員が腰に剣を帯びていた。


「ミシャナマール様。私は申し上げたはずですが。召喚は許可されていないと」


 ミシャ――正しくはミシャナマールという名だったらしい彼女は、何も言い返せない様子だった。


「それでも強行した挙句がこの召喚失敗ですか? 救えませんね」


 言葉に打たれ、ミシャナマールの肩が震えた。泣きそうな顔でうつむく。その小さな体が、力を失ってもう一回り縮んでしまったように見えた。最初の威厳を失って、その姿はもう普通の少女となにも変わらなかった。


 弱くて、脆い。


「なんか、よくわからないですけど」


 ぽつりと。翔が口を開くと全ての視線が集中するのがわかった。うつむいて表情の見えないミシャナマール以外は全て。

 その彼女の横顔を見ていると、言葉が勝手に口から滑り出てくる。


「そこまで言うことはないんじゃないですかね。その子、すごく必死に呼んでたんです。本当に、すごく必死に」


 翔を呼ぶその声の響きは切実で、どこまでも切実で、泣きたいくらい澄んでいたのだ。


 老女はしばし無言で翔を見つめ、それからつかつかと近寄ってきた。目の前にずいと立たれ、押し除けられるように一歩を退く。氷の視線に見下ろされ、身がすくんだ。


「あなた誰です?」

「え? いやその、俺は」


 しかし名乗る前に言葉は遮られた。


「いえ、誰であろうが関係はありませんね。ただ一つ確かなのは、あなたに何か言う権利はないということです」


 ぽかんと棒立ちになった翔に、老女は眉一つ動かさないまま宣言した。


「これよりあなたを保護します。おとなしく従ってくれますね?」


 確かに何かを言わせる気はないようだった。

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