十三.許可されてはいないだけ
夜。蝋燭を持って水路を進む。
通路には風が強めに吹いていて、油断すると火が消されそうになる。そのため守るように、心持ち背を丸めて歩いていた。
「この先には湖があるはずよ」
先を行くミシャが振り返って言った。
「舟が手に入れば街を抜け出すこともできると思う」
手に入れた地図は水路の概略図だったようだ。隅に書いてあった三日月のマークはおそらくは夜に行動しろという指示だろう。
もちろんそれに従うのは危険も伴うのだが、どちらにしろ湖を抜けるには夜の方が都合がいい。なので結局行動は夜の開始となった。
「けど、そう簡単に行くかな」
「舟は漁をする人がいるからまず間違いなく手に入る。あとは警戒網を抜けられるかどうかね……」
行く手が仄明るく浮かび上がった。出口をくぐって外に出た。
明るかったのは月明かりのせいらしい。ぼんやりと照らされる暗い水面は、思ったよりもずっと広かった。対岸がギリギリ見えるかどうか。舟は少し離れたところに数隻が並んでいる。
「……議会兵はいないわね」
さっと周りを確かめてから、ミシャが静かに走り出す。翔もその後に続く。
「ここを抜けた後はどうするんだ?」
「とりあえずは近くの街に行くことになるわ。召喚と送還ができる遺跡を探す必要があるからできるだけ情報が集まりやすいところがいい」
影から影へと移動するようにして、翔たちは舟の場所の手前までたどり着いた。
ミシャが視線を険しくする。その理由は何となくわかる。舟をこぎ出して広い湖の真ん中に出れば、身を隠すものは何もない。一番危険な段階だ。逆言えば、そこを乗り切れば逃げられる。
「……行くわよ」
ミシャが舟に向かって駆け出した。そしてその縁に手をかけようとした瞬間――
「な!?」
手首をつかまれてミシャは硬直した。つかんだ手は舟の中から伸びていた。
舟の中から人影が立ち上がる。軍服の男。議会兵だ。
(やっぱり罠……っ)
胸中で舌打ちしながらも、翔はミシャを助けるために突進した。しかし周りの舟の中からも数人の議会兵が立ち上がる。読まれていた。勝ち目がない。焦りが胸に満ちた。
周り全部が敵よ。ふと彼女がそう言ったことを思い出した。
あまりにできすぎてないか? 翔はなにか象徴めいたものを感じずにはいられなかった。
だが。
ミシャの手をつかんでいた議会兵が突如悲鳴を上げた。空いている手で眉間を押さえている。さらに何かがぶつかる、びしびしと激しい音が続いた。たまらずミシャから手が離れた。他の議会兵が戸惑う気配がした。
翔には見えた。すさまじい勢いで飛んできた石のつぶてが、議会兵の眉間や手の指を正確に打ったのだ。
翔はミシャの手を取り後ろへ飛びのいた。逃げる構えを見て取って議会兵たちが我に返ったように動き出す。
翔たちの逃げる先を遮るように議会兵の一人が立ちふさがった。なんとかその手を避けるも、仲間の動きをカバーするように動いたもう一人に道を遮られた。
舌打ちしてがむしゃらに拳を放つが当然のごとく受け止められて関節を取られる。
やはりまともにやっても勝ち目はない。
(くっ……!)
このままではここで終わってしまう。そう思った時だった。
風切り音がした。そう錯覚するくらいにその投げにはキレがあった。翔の腕を極めていた議会兵の腕があっけなく外れ、投げ飛ばされて湖へと落ちていく。水音。
ぽかんとそれを見送った。何が何だか分からない。だがその間に状況はさらに動いていた。
闇夜を引き裂いて飛び出してきた影は、さらに議会兵に跳びかかり次々に彼らを昏倒させていった。
速すぎて見えないほどの手際。鋭い打撃、よくわからない投げ。
「誰……?」
ミシャがつぶやくが、その人影は黒いローブにフードを目深にかぶっていて、人相はおろか性別すらも分からなかった。
乱闘の隙間を縫って、人影は先に行くように手で促してきた。
「北へ行け!」
議会兵はとうに呼び子を鳴らしており、まばらながらも増援が駆けつけていた。はっとして、同じく横で呆けていたミシャの手を引き走り出す。
やはり暗闇。足元もおぼつかないほどだが、それでも心は不思議と軽やかだった。
「なあミシャ!」
「何!?」
「なんか幸先いい感じだな!」
ミシャは眉をひそめてこちらを見上げてきたが、翔は笑いがこぼれるのを止められなかった。
「周りは全部敵だって!? ほんとにそうか? いるじゃないか、俺も、マレトゥナも、あとさっきの人だって! 他にもまだいるかも!」
埠頭に駆け込みさらに走り続ける。
そちらに舟はない。後ろからは議会兵。逃げられない。
普通ならば。
「行けるさ、どこにだって。行こう!」
埠頭の先端に到達し、とうとう逃げ場がなくなるが、それでも足は止めない。木のへりを踏み、蹴り離す。
引きずられて空中に投げ出されたミシャが悲鳴を上げた。
それと同時、体全体に回っていたほのかな熱が業火となって翔の背中から噴き上がった。まばゆく翻り、空気を力強く叩いて火の粉を飛ばす。
体が心地よく宙に浮く。そしてぐっ、と力を溜めた後、二人は勢いよく夜の空へと飛びだしていった。
◆◆◆
夜空にだいぶ遠ざかったその翼は、それでも月の横辺りに光って見えた。老女ティマーリカは、それをつまらなそうに見送ってから周りに倒れ伏す議会兵を見回した。
「最高練度兵と言えどもまあこんなものですか。この国の未来が不安ですね」
フードを下ろして軽く息をつく。作業の完了を示すだけの吐息を。
「わーすごー。相変わらずの腕前っすねえ」
軽薄な声に振り向くことなくティマーリカは言葉を返した。
「あなたがミスをしなければこんな手間をかけずに済んだのですよ、マレトゥナ」
「えーいいじゃないですかー。守り長殿もたまには全力出さないとなまっちゃいますよって」
こちらが振り向かなかった分を取り返すように、というわけでもないだろうが、マレトゥナはこちらの前に回り込んできた。足元の議会兵にかがみこみ、頬をムニムニとつついている。
本当に、彼女がしくじって情報を盗まれなければもっとスムーズに彼女らを逃がせたはずなのだ。余計な手間は嫌いだった。
だがまあそれでも出発したには違いない。いまさら愚痴るのもそれはそれで無駄なことだ。
「帰りましょう。明日の仕事もありますから」
「ちょっとそんなあ。今日頑張ったし休みましょうよ。少しくらい怠けてもバチは当たりませんって」
無視して歩き出す。
だがもう一言だけ後ろから声がした。無意味な言葉ならば無視していたが、そうではなかった。
「結局、なんで逃げるのを助けちゃったんですか? 教えてもらってませんよね。わたし、知りたいです」
無視はしなかったが足を止めるほどではなかった。
一言だけの返答で済んだからだ。
「危ないから許可されないだけで、禁じられてはいない。それだけですよ」
夜風が涼しく、心地よかった。




