第2話 記憶喪失
さて、方針が決まった。
まずは外の探索をしよう。
さっきまで寝室から出るのすらビクビクしながらだったけど、ふっ切れると随分楽になった。
窓から外を見ると、どうやらここは小さな村のようだ。
何人かの大人達が子供と一緒に農作業をしたり、動物の世話をしたり。
のどかなその風景に、僕はますます外に興味を持った。
外の空気くらい誰だって吸いたくなるよね?
別に、監禁されてたり捕らえられたりした状況ではないみたいだし、外出くらいは自由だ。
と、玄関らしき場所から…おっと、靴はこの隅っこの小さいやつかな?
サンダルみたいな、でも足首を固定されてて動きやすそうな形。
ちょっと、いや随分汚れてるけど壊れたりしてないよね?
そのサンダルもどきを履いて外に出ようとしたところ。
ちょうど同じタイミングで扉が開け放たれた。
その先には、女の人がいた。
20歳前半あたりかな?若くて美人さん。
背は165くらい。成人女性なら普通なくらい。
ふわふわとした栗色の髪を伸ばし、ゆるやかな風に乗って揺れている。
スタイルもスラッとしていて、誰がどう見ても美人さん。
手には水の入った桶と、手ぬぐいらしきものが縁に引っかけられている。
その女性が、僕を見て目を見開いている。
ぱっちりとした目は青色。すごいなー綺麗な人だなーとか考えながら、その女性を見上げていると、突然その人は桶を手放したかと思うとしゃがんで僕と目線を合わせる。
そしてそのまま肩をガッと両手で掴んでって急に何ですか!?
女性はしばらくそのまま。
ガッシリと掴まれた両手は結構力が入っていて、子供の力しかない僕は抵抗できない。
と、女性は段々と目尻に涙を溜め始めた。
ええ!?なんで泣きはじめてるの!?僕何かしたの!?
突然のホールドからの泣き崩れに、僕は戸惑うしかない。
すると、女性が呟いた。
「よかった…目が覚めたのね…」
目が覚めた?
僕がただ眠りから覚めただけでどうしてこんなに泣いてるの?
分からないけど、目の前で急に泣かれた僕も段々と悲しくなってきて、指で女性の涙を拭っていた。
なんとなく、泣いてほしくなかったから。
女性はその後僕を抱きしめて、しばらく静かに涙を流していた。
僕はそれにただただ無言で解放されるのを待った。
数分後。
うわぁ…よく考えるとすごいことされてなかった?
抱きしめられたことなんてなかったからすごい緊張した…!
よくぞもってくれた僕の精神。ありがとう。
「…ごめんなさい。痛かったかしら?」
女性は泣き止むと、僕を解放し、心配してくれた。
その表情は目尻こそ涙の跡があるものの、最初のイメージ通りの明るい笑顔だ。
「う…ううん、大丈夫。お姉さんこそ…大丈夫?」
僕はなるべく自然を装って女性にそう答えていた。
なのに口がうまく動いてくれない。
なんというコミュ症。
女性は「大丈夫よ。」と返す。
普通に会話が成立している。お姉さんと呼んで普通に対応してくる辺り、親とか姉弟ではないみたいだ。
じゃあ逆になんでこの人はあんなに抱きしめて泣いたんだろう。
なんで僕はこの家で眠っていたのだろう。
「そうだ。僕、お名前、教えてもらえる?」
「え?な、名前……」
唐突にハグされ、泣かれ、その次は自己紹介ですか…?
なんかいろいろとおかしな部分もあるけど、とりあえずここをやり過ごさないと…!
「えと…ま…マオ!マオです!」
若干上擦った声で名乗る。
間違ってはいない。
実名だ。何の問題もない。
だから同様するな僕!!
「そう…。私はリディア。よろしくね、マオ君。」
リディアというお姉さんはにっこりと笑顔を見せる。
さっきまで泣いていたのが嘘みたいだ。
でも改めて考えるとおかしいな。
お姉さんの様子から察するに僕がここで寝ていたことを知っていた。
なのに名前も知らないなんて…ってわぁ!?
気が付くとお姉さんが僕の手を取っている。
みるみるうちに自分の顔が赤くなっているのがわかる。
さっきまでの思考が全て吹っ飛んでしまった。
「村長に報告に行かなきゃ!マオ君、ちょっと付いてきてね。」
お姉さんはそれに気づく様子もなく、手を取ったまま外へ出る。
僕はそれに黙ってついていく。
というか緊張して抵抗する余裕、ない…。
初めての外の世界。
村の周りは草原や森。
一本だけ道が村の外まで続いていて、どうやらあれが街道へと続く唯一の道っぽい。
随分田舎の方にある村みたいだ。
僕が眠っていた家は村の中心にあるみたいで、今はお姉さんに連れられて高台の方へと向かっている。
高台には一際大きな家が建っている。
村長はあそこに住んでるのかな?
高台へ向かう道中で多くの村人がこっちを見ている。
皆お姉さんに見惚れているのかと思ったら、ほとんどが僕に向けての視線みたいだ。なんで?
しかもなんだかその視線が同情というか、なんかそんな感じの感情が含まれているような気がする。
村人の何人かが僕の方へ近付いて頭を撫でていく。
なんだろこれ。
もしかしてこれから何か恐ろしいことが始まるのだろうか。
だから村の皆さんは僕に哀れな視線を送り付けているのだろうか。
儀式か?儀式が始まっちゃうのか?
僕はその為のいけにえなのか?
僕をいけにえに高レベルのモンスターでも召喚してしまうのだろうか。
いけにえのイメージがおかしな方向に曲がってる気がするが、そんなことはどうでもいい。
もしも本当にいけにえとかだったら怖いなんてものじゃない。命の危機だ!!
僕がそんなおかしな方向にパニックになっている間に、高台の家に到着する。
お姉さんが軽くノックをして入っていく。
僕はそれにただただ従うのみ。
本当にいけにえとかだったらどうしよ……
そんな心配無用だった。
まぁ、当たり前なんだろうけどね。
僕が勝手に妄想に暴走を頭の中で愉快に繰り広げていただけだからね。
馴染み始めてるっていってもやっぱりまだハイになってるのかな。
お姉さんは報告しなきゃって言っていた。
でもさっきの笑顔とは打って変わって今は表情が明るくない。
なんでそんな悲しそうな顔をしているの?
そう聞きたくても、なんだか聞けなかった。
まぁいいか。
しばらくすれば自ずと分かる。
そうして中に入ってすぐ、奥の方から人が出て来る。流れ的に村長かな……ってまた随分お若いですね!?
「村長!この子、目を覚ましたんです!」
お姉さんが出て来た人に話し掛ける。あ、やっぱりこの人が村長なんだ…どう見ても20代爽やかイケメンにしか見えないんですが…
「そうか、良かった!もう大丈夫なんだね!」
またお兄さん期待を裏切らないね!
雰囲気がとても爽やか。
自分のことのように喜ぶ村長も誰がどう見てもイケメンそのものだ。眩しい。
誰が初対面で村長だと分かるのだろうか…って、ん?
目が覚めた?
先程も出て来たワードに再び疑問を持つ。
「お姉さん、どういうこと?」
手を繋がれたままのお姉さんの方を見上げる。
「あら、覚えてないの?君、村の外周近くで倒れてたのよ?」
お姉さんはそう教えてくれた。
倒れてた?なんでだろう?
まぁとにかくそれで、倒れてた所をこのお姉さんが介抱したみたいなので、ちゃんとお礼を言っておく。
お姉さんは気にしないでと優しく返してくれた。
「それで、村長…この子の親は…」
お姉さんが随分言いにくそうに話を切り替える。
内容からすると、僕の両親の話のようだ。
「うん……一応隣町まで探してみたけど…」
「……そう、ですか…」
お姉さんも村長も表情を濁らせている。
えーっと…流れ的に…
「僕のお父さんとお母さん、いないの?」
あまりにも呆気なく言ったからか、驚いたように二人は目を見開くけれど、すぐに悲しそうな表情で、お姉さんは僕の頭を優しく撫でてくる。
「ごめんね…こっちでも最善は尽くしたんだけど…」
村長は苦々しそうな顔でそう言った。
うん、悲しい。
…顔も見たことないけど。
とはいったものの、状況が全くわからない。
村長達が僕を介抱し、両親を村長が捜索、お姉さんは僕が回復するまで世話をしてくれて、村長も頑張ったけどやはり情報が少なすぎたのもあったのか、見つけることはできなかった、と。
もしかしたら捨てられたのかもしれないし、両親はもう既にこの世にはいないのかもしれない。
でも、そんな体験初めてだから自分が今どういう感情なのかも分からない。
なにより、何も知らないままこんな状況に放り出されて、どうリアクションを取ればいいのかもわからない。
薄情なんじゃなくて、そもそもの現状に頭が付いてきていないのだ。
「ああ、そうそう。君の持ってた荷物を渡さないとね。」
村長が重くなってきた空気を打破するかのように話題を変えると、家の奥の方に引っ込んでいった。しばしの待機時間。
そういえばスルーしていたけど…
「ねぇ、お姉さん。僕はこの村の住民じゃないの?」
するとお姉さんはまた驚いたような表情。台詞をつけるとしたら「えっ?」だ。
「もしかしてマオ君……何も覚えていないの?」
お姉さんが心配した表情で僕を見つめてくる。
……まぁ、ある意味間違ってないかな。
覚えてないというより、知らないの間違いだけど。
ほんの些細な違いだ。
僕がコクリと頷いてみせると、お姉さんはまた抱きしめてきた。
なんだろう。このお姉さん、感情が高ぶると抱き着く癖でもあるのだろうか。
正直心臓に悪い。
ほらまた顔が赤くなっていってる。
さっきは戸惑ってて気付かなかったけど、お姉さんすごくいい匂いがする。
それがまたドキドキして頭がポーッとしてくる。
確かに見た目は小さな子供だけど、中身は思春期真っ盛りの18歳なんだけどなぁ…まぁお姉さんが知る由もないんだけど。
と、小さな声で「可哀相に…」と呟いていたのが耳に入る。
…あぁ、そっか。
周りの人からすれば、今僕は両親をつい最近失ったばかりか、記憶すらも無くしている哀れな子供に見えているのか。
そりゃ同情もするよな。
僕だって同じ立場なら同情する。
今は当事者だけど。
………うん。
いい感じに自分の中で設定が組み上がってきた。
だんだんと顔の熱も引いていく。
今僕は村の外からやってきた記憶喪失の小さな子供。
前住んでいた村があったのならともかく、今僕の事をよく知っている人はおそらくいない。
少なくともこの村付近にはいないだろう。
この設定を貫いていけば、まさか異世界から精神が紛れ込んできましたーと分かる人はいない。
完璧だ。
ここの村の人達には悪いけど、この世界にいる間はこのままでいさせてもらおう。
罪悪感で胸がチクリとするが、抑える。
だいたい、もともと僕だってここに来たのは自分の意思じゃないんだ。
不可抗力だよ。不可抗力。
そう言い聞かせる。
…あ、でも騙してる気がしてやっぱり辛い。
我慢だ我慢。
村長が僕の持っていたという荷物を持って来るのを待つ間、僕はずっとお姉さんに抱きしめられたままだった。
せっかく熱が引いてきたのに、意識したらまた熱くなってくる。
さっきから顔の温度が上がったり下がったりですごいことになってる。
なんだか意識がぐわんぐわんしてきた。
……村長さん、早く帰ってきて下さい。