第11話 潜入
デオドラド。
昼夜を問わず常に賑わいの音と光の絶えない大きな街である。
その賑わいの中心を担っているのは数多くの商人達。
毎日多くの取引が行われるこの街は、別名交易の街とも呼ばれる。
人の良い商人達が並ぶマーケットでは、薬品や武具、新鮮な食料や日用品まで、揃わない物はないとばかりに、豊富な物資がこの街に毎日集められている。
そして、取引には、奴隷などの人身販売も含まれる。
奴隷制度と聞いてあまり快くない気持ちを抱く人も少なくないと思う。
それはどうしようもないことだ。
この世界では、奴隷制度は一般に認知されているもので、それを咎める人は誰もいない。
奴隷というのは、基本的には重い罪を背負った人が最後に訪れる死刑とは別のもうひとつの未来だ。
重い罪を背負った人は、その罪をきちんと償えないと、最終的には奴隷として身柄を売り飛ばされ、誰かに買われるのを待つほかない。
奴隷の中では特に、若い女が貴族には好まれる。
理由は言わずもがな、慰安婦としてだろう。
他には小さな子供も好まれる。
貴重な労働源として、それも若いうちから数十年も使えるので、人気が高い。
…小さな子供が、奴隷になることでしか償えないほどの重い罪を背負うことがあるのか。
それは、市場に実際の商品が流されても、誰もそんなことを考えはしない。
そんな現実を見せつけられ、酷く吐き気がした。
それが自分の生み出した世界だというなら尚更だ。
前の世界とは違うのだということを、改めて強く突きつけられる。
…でも、今はそんなことにまで考えを巡らせるほどの余裕はない。
街の入り口に到着すると、馬車の中で村長が最後の通達をする。
「じゃあ、手分けして奴隷市場を探そう。おそらく街の中心部や人気の多い場所からは離れているはずだ。必ず2〜3人の団体で周囲を警戒しながら行動してくれ。相手は山賊だ。そもそも人の多い場所には入れないだろう。見つけたら…最悪の可能性も考えておいてほしい。」
最悪の可能性とは、おそらく殺してしまうということだろう。
相手は犯罪者なんだ。
何をしてきてもおかしくはない。
「みんな、準備はいいね?」
大人達は頷いたり声を出して応えたりと、各々の反応を見せる。それらを確認してから村長は僕の方を向く。
「マオ君はここで待機だ。君以外にも数人待機してもらうけど、街の入り口の見張りをお願いしたい。怪しい人を見つけたらすぐに近くの大人に教えてあげてくれ。山賊の姿を見ているのは、この中では君だけなんだ。」
やはり連れて行ってはくれないようだ。
大体予想通りではあるが。
「…わかった。」
「いい子だ。それじゃ、よろしく頼むよ。」
村長はそう言うと救助隊を引き連れて馬車を下りる。
馬車の位置は街の入口付近で、数人のチームに分けて街に入っていく。
そして全員が見えなくなってからしばらく。
……さて、そろそろ動くか。
「…ごめんなさい、おじさん。僕、トイレ行きたくなっちゃったんだけど…」
僕と同じく馬車で待機を命じられたおじさんに話し掛ける。
おじさんは険しい顔で辺りを睨みつけていたが、僕の声に気づくと、真剣な顔で僕の頭を撫でた。
「…気をつけて行ってこいよ。小便ならそこらへんで済ませろ。」
「うん…わかった。」
おじさんはそれだけ言ってまた辺りを警戒し始めた。
僕は馬車を下りると、背中に剣を背負ったまま馬車の後ろに回る。
ここならおじさん達には見えないかな。
さぁ、悪あがきの成果がここで発揮されるぞ。
僕は服の中、主にお腹の中に隠し持っていた大きな荷物…両親の遺した財産の一つ、魔導書を取り出した。
家に戻ってから出発までの1時間。
僕は必死に魔法の勉強をしていた。
この世界における魔法は、使用するにおいて仰々しい作業などはいらない。
もちろん詠唱をきちんと唱えたり、魔導書に記されているページを利用するなどをすれば、より効果的に魔法を発動することはできる。
しかし、最も大切なのは「想像力」だ。
魔法とは、魔力を消費することで人為的に超常現象を引き起こすこと、その方法だ。
扱うには、まずどういった超常現象引き起こすかを頭の中でイメージする必要がある。
その想像力が強ければ強いほど、より魔法の効果は強くなり、さらに消費する魔力量も減らすことができる。
つまり大雑把に魔法を唱えるよりも、精神を集中させ、より強く念じればどんどん威力も効果も増していき、燃費も良くなるということだ。
まぁ、実戦でそんな悠長に精神を集中させる余裕なんてなかなかないから、実質素の魔力量がそのまま実力の差になっているっていうのはあると思う。
今回はのんびり…とはいかないけど、しっかりじっくり集中させてもらおう。
今から使う魔法は、「身体に風を纏い、動きに強い浮遊力や加速力を与える」という魔法だ。
名を、『ウィンドブースター』という。
僕は魔導書を開いて、解読した『ウィンドブースター』の魔法が書かれているページを開く。
子供の身体故に魔力量の少ないであろう僕には魔導書による補助も必要になる。
「風の衣よ、我を阻むモノ踏み超える翼を与えん…『ウィンドブースター』!!」
身体に纏う風をイメージする。
その風は僕の意のままに。
どんな険しい道程も乗り越えられる浮遊の力を。
魔法効果を高める為に必要な詠唱も唱えておく。
もちろん、誰かに聞こえないように。
恥ずかしいからね!
すると、魔導書のページが光る。
風の象徴である強い緑色の光がページから溢れる。
さらに足元を同じく緑色の魔法陣が光り輝き、それらが無事に魔法が発動していることを示している。
どうやら無事成功してくれたみたいだ。
それから身体を動かしたり、軽い跳躍を試してみると、確かに身体が軽くなっている感覚。
これはかなりの効果を期待できそうだ。
さて。
ごめんなさい村長さん。
一人で突っ込ませてもらいます。
でもね?
僕は「気をつける」としか言ってないよ?
そう頭の中で言い訳すると魔導書を再び服の中に仕舞い、移動する。
街を囲む外壁沿いに進み、村長達が街へと入っていった入口とは別で侵入路を探す。
「高い所から見下ろせば、ある程度場所を絞れるかな?」
そう呟き視線が捉えたのは、外壁。
風の力による身体能力の補助…ということなら。
誰かに見られていないか軽く辺りを見回し、外壁に身体を寄せる。
軽く深呼吸。
そして。
「とうっ!」
軽い掛け声と共に真上へと大きく跳躍する。
するとさっき唱えた魔法が、風の力が助けてくれる。
ぐんぐんと地面から離れていくのが分かる。
気分はさながらスーパーマンだ。
あっという間にあの大きな壁を飛び越さんばかりの勢いで外壁のさらに真上にまで上がった。
そして外壁の上に設けられた広い通路へと着地する。
高い所から落ちても風の力が僕の身体をゆっくりと地面へと下ろしてくれた。
街の外壁は十数メートルの厚みがあり、いざという時の防壁と、さらにその外壁の上は定期的に警備兵が通る為の道として機能している。
ちなみにその肝心の警備兵は門の下で門番と楽しそうにお話していた。
それでいいのか。
「スゥ……………はぁぁぁぁぁぁぁぁ〜…」
深く深く息を吐いた。
ああ怖かった!!
めちゃくちゃ怖かった!!
覚悟はしてたけどあの勢いでの跳躍は怖い!!
着地にも風の補助が入るから怪我することはないの分かってたけど、やっぱり胃がキュッてなったね!!
興奮と恐怖の入り混じった心を落ち着かせるように数回深呼吸を繰り返す。
……よし。
早く奴隷市場を探さなきゃ。
震えかけた自分の膝を手のひらで叩くと、僕は外壁の上を走り出した。
見落とす場所が無いように外壁の上から街を見下ろし、ややゆっくりめに走る。
中心部は人が多そうだから、隅っこから探そうと考えての行動である。
しかし、なかなかそれらしき場所は見つからない。
街の隅も、中心部程ではないが人が多く、怪しい場所は見えて来ない。
「ん…もうちょい中心部付近の方を探した方がいいのかな…?」
でも人の行き交う中心部付近は余計見つからなさそうだ。
それに今の方法で中心部を探すとなると建物の屋根を伝って移動するということになる。
敵に見つからないようにしたいのもあるし、単純に僕が目立ちたくないという点でも、そんな某アサシンゲームみたいな動きはしたくないなぁ。
あれ、ゲームの中の一般人の目が悪すぎるだけで普通にやったら目立ちまくりだからね。
「…まぁ、グダグダ言っててもしょーがないかぁ。」
立ち止まってても埒があかないので、外壁から近くに建っている高い建物に飛び降りる。
そのままいくつもの建物を登っては下り、伝うように徐々に中心部へと向かう。
見つからないようできるかぎり飛び跳ねたりはせず、腰を低めにして進み、足音を殺し、かつ素早く足を運ぶ。
…これじゃ本当にアサシンか何かが生業みたいになっちゃうじゃないか。
そんな必殺仕事人状態で進んでいく。
そして外壁と中心部のちょうど中間距離の地点。
そこは様々な露店が建ち並び、中心部や街の入口とはまた違った賑わいを見せていた。
料理の露店をメインに並んでいて、おいしそうな匂いに思わず足を止めそうになる。
…こんな非常事態だというのに僕は知らない内に初めての街で心躍らせていた。
マリナを連れてこの道を歩いてみたいと、そう考えていた。
…なら、早く助けないと。
改めて建物の上から注意深く人混みの中を観察しようと場所を移動していたその時。
人混みの中から少し離れた場所を進む男に目が行った。
金髪のツンツン頭で、鎧と服を掛け合わせたような真っ黒のコートを着ている。それだけでは見覚えがなく、誰かは分からない。
しかし、その背中に背負う巨大な鉄板のような形をした無骨な大剣を僕はハッキリと覚えている。
「アイツだ…!」
朝、村を襲い、僕を軽々と吹っ飛ばしたあの男。
それを理解した瞬間、僕は飛び出していた。
建物の屋根から飛び降り、男の背後から数メートルに着地する。
ダンッ!!と大きな衝撃と、その後からくる両足の痺れに思わず顔をしかめる。
風の補助が無い。
どうやらいつの間にか『ウインドブースター』の効果時間を過ぎていたようだ。
いや、むしろ初めて使った付け焼き刃の魔法がよくここまで保ってくれたと驚くべきか。
だけど、今はそんなことはどうでもいい。
背後に騒がしく響く人混みの雑多な声もどこか遠く感じる。
僕の視界には、もはや目の前の男しか写っていなかった。
歩いていた男の背中が立ち止まる。
「……子供が、何か用か。」
小さな、しかしハッキリと届く、低く冷たい声。
その声に少し萎縮しそうになる。
それくらい、男の声は人を突き放そうとする圧力を含んでいた。
しかし、その声に臆することなく、僕は未だ背中を向けている男を睨みつける。
剣の柄にに手を伸ばしながら。
すると殺気でも感じたか、男がこちらを振り向いた。
鋭い目。
冷たくこちらを見下ろす無愛想な表情に少しだけたじろぎそうになるが、それを気合いと怒りだけで押し殺す。
それでも余りある敵意で男を睨み続ける。
男は僕の事に気付いたのか、少しだけ反応を示した。
「…お前か。俺はもう、お前達に用は無いんだが。」
「お前に無くとも、僕にはあるんだ!!」
伸ばしていた右手で柄を掴み、同時に鞘を左手で掴んで両者を引っ張るようにして剣を抜く。
全長130cm程度はあるこの剣は、今の僕には大きすぎる代物だ。
それを無理矢理引き抜いて、切っ先を目の前の男に向ける。
しかし男はそれに対して特に反応を見せることなく、やや呆れを含んだ声で言ってきた。
「…やめとけ。まともに握れもしない剣で俺を倒せると思うのか?」
「そんなこと知ったことじゃない!僕はマリナを助けるんだ!その為にも、お前には皆の居場所を吐いてもらう!」
「力付くで、か?」
「……ッ今度は、そう簡単にはやられはしない!!」
男の挑発的な言葉に、今朝のあの痛み、完全な敗北の光景が蘇る。
その恐怖に押し潰されまいと、声を荒げて吹き飛ばすように吠える。
「マリナを助けるまで、何度だって立ち上がってやる‼︎絶対に諦めてやるもんか‼︎」
そう叫び、剣を振りかぶり走り始める。
対して男は、僕の言葉に少し、驚いているように見えた。
そして。
「…残念ながら、今はもうあの連中とは無関係だ。…今朝のことについては、詫びる。悪かった。」
唐突過ぎるその言葉に意表を突かれる。
走り始めの勢いを殺しきれずたたらを踏み、握った剣は思わず落っことしそうになった。
男は、さっきの冷たく挑発的な態度とは打って変わって、バツの悪そうに目を伏せている。
は…?
さっきとは打って変わった態度に、あまりにもあっけないその謝罪の言葉に、僕は驚きを隠せない。
だけどそれよりも強く、後から僕の心の内に押し寄せてきた感情は、怒りだった。
「…だったら…っ!どうして村を襲った!!どうして皆をさらった‼︎今更になって、そんな善人ぶった台詞を吐くな!!」
感情を剥き出しにして喉が枯れてしまいそうになるほど叫ぶ。
口調も崩れ、しかしそんなことにも気づけないほど、今の僕は激昂している。
「言い訳がましいが、俺も最初は詳しいことを知らなかったんだ。相手も最初は一般人を装っていた…。仕事の詳細を聞かされた時は、妙な引っ掛かりを覚えたが、金をもらった手前、そんなことを言及することもできなくてな…。それが、蓋を開けてみればこれだ。俺は、奴らの犯した大罪に一緒になって片足突っ込んでいたんだ。」
「…仕方なく、山賊の味方をしてたってことか?」
「ああ…正直、さっさと終わらせて忘れてしまいたかった。こんな仕事は、もう御免だとばかりにな。」
男はつらつらと自分の心中を呟いた。
僕は、早くも怒りの矛先を失い、どうしようもなくその話をただただ聞くことしかできなかった。
「奴らは村から出てすぐに俺を下ろし、街へ逃げるように馬車を走らせていった。俺は、走ってでも追いかけられたはずのそれを、始めは見て見ぬ振りをしたんだ…!」
男はそれから無視をするのはやはり気分が悪いと、後になって街へと走ったという。
全て話し終わる頃に男が強く拳を握ったのが分かる。
僕は男に向けていた剣を下ろした。
…この人も、この人なりにどうにかしようとしたのか。
それを信じて良いかは分からない。
でもその男の目は確かに、人間の目をしていた。
自分のやってしまったことに対する後悔と、自己嫌悪に心を苛まれた、僕の知ってる人間の目をしていた。
「…悪かった。改めて謝らせてくれ。」
この人は悪くなんてなかった。
だから謝る必要なんてない。
でもなんとなく分かる。
全て自分のせいだと考える。
誰か他人に責任があるとはこれっぽっちも考えないタイプの人だ。
前の世界でも同じような人を目の当たりにしたことがある。
この人は、冷たい印象な癖して、実はとんでもないお人好しだったんだ。
そしてこの手のタイプは、自分が納得するまで過剰なまでに罪を償おうとするのだ。
「…じゃあ、一つ頼みを聞いてよ。」
なら、ちょうど罪を償うチャンスじゃないか。
ちょっと偉そうな感じがするけど、そんなこと気にしてられない。
それよりも今はもっと重要なことがある。
「今、さらわれた皆を助けようと村の大人達が奴隷市場を探して回ってる。地の利があまり無いから手こずっててさ。協力して欲しいんだ。」
男がまた驚いたような表情をしている。
「…そんな簡単に敵を信じていいのか?」
「本当に悪い人ならそんなこと聞かないでしょ?それに…」
男の目の前まで歩み寄る。
身長の事情で見上げる形になるけど、ちゃんとまっすぐ目を見て。
「今は僕が依頼人だよ?」
その言葉に男は一層目を見開くが、すぐに柔らかさ、穏やかさを含んだ優しい目になる。
なんだ、そんな顔もできるんじゃないか。
いい年して未だコミュ障なんだろうか。
まぁ、僕が言えた義理じゃないけどさ。
「…分かった。その依頼、引き受けよう。」
「ありがとう。しっかり働いてよね。」
冗談めかして笑いながら互いの拳を軽く打ち合う。
…さて、いつまでもこんな所で時間食ってる場合じゃないよね。
「早速だけど、さらわれた皆は何処に連れていかれたか分かる?」
「いや…そこまでは分からないな…すまない。」
「ううん…いいよ。これから一緒に探そう。」
「お前と二人でか?助けに来た村人達も一緒に呼んだ方がいいんじゃないか?」
「大丈夫だよ。いざっていう時の道具ならあるから。」
男は少し考え込むが、すぐに了承してくれた。
「分かった。言う通りにしよう。」
「よろしくお願いするよ。えっと…そうだ、名前はなんていうの?」
「レインだ。お前は?」
「マオ。よろしくね、レイン。」
「ああ。こちらこそ、マオ。」
そう言って僕と傭兵の男ーーレインは、隣り合って走り出した。
人混みを掻き分け、屋台が建ち並ぶ間を突っ切り、人口の迷路を駆け抜ける。
その道中、唐突にレインが話し掛けてきた。
「なぁ、お前はなぜそこまで、そのマリナっていう娘に執着するんだ?」
「え?なんでって…」
彼の横を並走しながら改めて考えてみる。
確かにそうだ。
なんで僕はこんなにもマリナのことばっかり考えてるんだろう。
初めての友達だから?
彼女を不幸と哀れんで?
いや、そんな理由じゃない。
もっとこう、本能的な何か…
そこまで考え、ある一つの結論に至りかけたところで、頭をブンブンと振る。
まるで、自分の気持ちをごまかすように。
「…い、今はそんなことより大事なことがあるだろ?早く行こう!」
「…まぁ、そうだな。」
少しだけど、あの無愛想な表情に変化が見えた気がする。
「…何ニヤけてるのさ。」
「いや、まだ小さいのに立派な信念を持ってるんだなって。」
絶対今の表情とその台詞合ってないよね?
…なんか釈然としないけど、今は目の前の問題を解決しなきゃ。
そう思い、背中の剣の柄を強く握り締めた。
なんだか上手くいかないです……