月には兎が住むという話
月には兎が住むという話は、日本人なら誰しも知っている話。
だが近年――正確には、2012年10月29日。その月の影の模様を調査したところ。産業技術総合研究所が月周回衛星「かぐや」の収集データを分析したことによって、月の兎の形は39億年以上前に巨大隕石の衝突によりプロセラルム盆地ができ、こんにち地球から見える月の兎が巨大隕石の衝突によってできたものと証明された。
信じられるか。『月の兎』は、隕石で出来た“クレーター”のへこんだ影なんだぜ?
小学校の理科の教科書を開いて、これを知った時、地味にへこんだのは内緒だ。
大人って夢がない。謎は解明してしまうとひどくツマラナイモノになってしまうのだと、その時に知った。大人って夢がない。されど、私はいまだに月には兎が住んでいると心のどこかで思っている。
中国神話における“月兎”の話はいったい、どれだけの人が知っているだろうか。
中国の神話に出てくる兎は、“桃仙娘々”と云い、仙界一の薬師なのだそうだ。つまり、お薬を作る人。薬剤師。医者ではない。医者の仙人は他にいる。
“神農”等がソレに当たる。彼は中国伝説上の帝。農業、薬学医学を伝える。また、市をたて物々交換を教えたため医薬、商売の神として祭られている。火徳を有するので炎帝とも呼ばれるそうだ。
我が書庫に『神農本草経』なる東洋医学の教本の写しがある。
興味があるなら知恵を貸そう。調べてみるが良い。365種の薬物を上品・中品・下品の三品に分類して記述している興味深い書物だ。
閑話休題。
今回は神農についてはどうでもいい。大事なのは『月の兎』である。
サテ。
兎に見えることから、「月には兎がいる」というのは昔から語られている伝承だが、これにまつわる話として、以下の伝説が語られている。
猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。
3匹は老人を助けようと考えた。
猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。
しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。
「わたくしだけ何も採ってこられませんでした。己の非力さが恨めしいっ。とても恨めしく思います。なんとか、ナントカならないものでしょうか。わたくしもあの老人をお助けしたいのです。せめて、せめて、なにかありませんか。何か、ないのでしょうか…………?」
自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句――。
「お猿さん、狐さん、火を焚いてください」
「どうするのだ? 兎」
「火を焚いて、どうされる? 兎」
「わたくしをあの御方に捧げ申し上げます」
猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。
「おじいさん、わたくしは何もご用意で居ませんでした。ですから、せめて、わたくしをお上がりください。では、皆様方、さようなら。今まで有難うございました」
「よ、止せ! やめろォォォ!!」
その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。
「おじいさん、いえ、帝釈天さま、どうして……?」
「すまん。すまんかった。わしがおまえたちの心を試そうとしたばかりに……こんな、こんな……」
「泣かないでください。謝らないでください。わたくしはあなた様に喜んで貰いたかっただけなのです。元気になってほしかったのです。どうか、笑ってください」
「だが、だがっ!?」
「兎はなぜ、帝釈天さまがお謝りになるのかわかりません。帝釈天様、お猿さんは木の実を、お狐さんは魚を捕って参りました。兎だけ、わたくしだけ何もしないわけには参りません。ですから、わが身をお肉としてあなた様に捧げようと一計を案じましたのに……お気に、召しませんでしたか?」
「いいか? もう二度とそのようなことを致すな。命は大事にせよ」
「はい、帝釈天様。帝釈天様?」
「なんだ?」
「泣くのではなく、謝るのではなく、笑ってください。お月様も笑っているのです」
「阿呆め。月が笑うなどということがあるものか」
「いいえ、モクモクとお月様も笑っているのです」
月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。
この伝説は、仏教説話『ジャータカ』を発端とし、『今昔物語集』などを始めとして多く語られている。
――後述だが、兎たちの会話はまったくの我が創作である。他の作者が書いた似たような会話文があるかもしれない。されど我が調べに利用させて貰い給いた古文書には、このような会話文は記載非ず。我が想像の産物であるとここに述べておこう。
また、月には本来ヒキガエルが棲むとされ(嫦娥伝説参照)、その「ヒキガエル」が転じて「兎」になったのではないか、という説もある。其は、ヒキガエルを意味する「顧菟」の「菟」字が「兎」と誤認識されてそのまま定着したというものである。
ヒキガエルと兎では色々と違いがある。有り過ぎる。
両生類と哺乳類。つるつる皮の女子受けが悪いモノともふもふ可愛らしい毛皮の動物。よく鳴くものと鳴かないもの。生体だって違う。
わたしは月で薬をついているのが、兎ではなくヒキガエルの女だとするとゾッとするのだが――。
これは極々、個人的な見解で、ヒキガエルの方が良かったとする人もいるかもしれない。されど私は、月にいるのはモフモフ可愛らしい真っ白い兎の方だと信じたいのだ。
許せ、ヒキガエル好きの者たちよ。
兎の横に見える影は臼で、中国では不老不死の薬の材料を手杵で打って粉にしているとされ、日本では餅をついている姿とされている。
我が『月の兎』は、この二つの話を混ぜ、“薬膳としての餅”を考案してしまう兎の話だ。それに帝釈天に我が身をささげるという、『因幡の素兎』の如き話を混ぜ合わせ、創作したものである。
楽しんでいただけただろうか。楽しんでいただけるだろうか。
わたしは兎が好きである。
猫の次に兎が大好きである。狐も好きだが、猿はあまり好まない。何故なら本物のサルは木の実など分け与えず、わたしの木の実を奪ってくるような者だからだ。
さて、これにて我が今回の語りは仕舞いとしよう。
また、どこかでお会いできる日を楽しみにしている。
それでは皆様。《おさらばえ。また、逢いましょう》
【出典『月の兎』あとがき 作家、紫白】
(次回?)
とある山道で、桜花は前を行く素早い背中に声をかけた。
「おさー。どこに向かっているのですか?」
「“富山の薬売り”って、知ってる?」
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出典は、ウィキと、人生で読んだ書物たちと、小3の頃の理科の記憶。他です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。(ぺこり)