三題噺「桜色」「鷹」「最強の魔法」
「君に魔法をかけてあげよう。ボクの知る限り最強の魔法をね」
そう言って魔女はふふりと笑った。
されど少年はその言葉には反応を示さず、鋭い目つきで本をめくり続ける。
「完全スルーはさすがのボクも傷つくよ?」
ねえねえ、と外見相応の無邪気な笑顔を浮かべながら、少年の顔を覗き込む。
視界の隅でじたばたと暴れられては少年も無視できなかったようで、ため息をついて本を閉じ、鋭い声で魔女をたしなめる。
「邪魔をしないでいただきたい」
「うわあ端的。前から思っていたけど君には人間味というものが足りていないようだね」
「だからこうして学んでいるのです」
閉じた本の表紙を見れば、なるほど人間心理に関しての学術書であるようだった。
もっとも、本の出処は魔女であるからして、そんなことは百も承知であったのだが。
「ふふん。人間の心というものを本だけで学べるとでも思っているのかい?」
重ねて言うが、その本を少年に渡したのは魔女自身である。
純粋に暇になったから言いくるめて相手をしてもらおう、という魂胆だろう。
されど、魔女の言葉に少年も思うところがあったようで素直に疑問を口にする。
「ならどうすればいいのです」
「だから言っているじゃないか。ボクが魔法をかけてあげるよ」
「魔法で人の心を知ることができるのですか」
「イエス。この魔法はね、かかった人に特定の感情を想起させるのさ」
だからいいだろ? と魔女は笑いながら問いかける。
少年は少々悩む素振りを見せたものの、こくりと頷いた。
そも、少年に魔女の願いを断る選択肢なんて最初から無かったのだけれども。
「それじゃあ、本は置いて椅子に座って」
「はい」
「いい子だ。次は目を閉じて。いいって言うまで開けちゃダメだよ?」
「はい」
「よ、よし。いくよ……?」
「はい」
少年は目をつむりながら、魔女の魔法について思いを巡らせる。
魔女の使う魔法は様々だ。
呪文を紡ぐこともあれば、調合した魔法薬を使うこともある。
魔法陣を描いて生贄を捧げることもあったな、と考えるが、今回はどれも違うようだ。
呪文も聞こえてこないし魔法薬の香りもしない。魔法陣を描いていた様子もないし生贄も用意していなかった。
ほかに何かあっただろうかと少年が首を傾げようとしたところで、そっと首のあたりに魔女の両手が添えられる。
なるほどと思い、口を開く。
「生贄は私でしたか」
「ち、違うよ! いいから少し口を閉じていたまえ」
「はい」
違ったようだ。
魔女の魔法は難解だと思いながら、特に少年がするべき事は無いようなのでじっと待つ。
うーあーと呻く声だけ聞こえてくるが、動くことも喋ることも見ることも禁じられては待つしかない。
「……よし、いくよ!」
「……」
口を開くなと言われては返事もできない。
返答だけはしたほうが良いのかと少年が迷っていると、そっと唇に柔らかい感触を得た。
一度目はおずおずと。二度目はほんの少し強く。
まるで小鳥が餌をねだっているようなついばみだ、と少年は感じた。
「もう、いいよ」
「はい」
少年が目を開くと、すぐ近くに魔女の顔があった。
頬を桜色に染めて、あらぬ方向を見ながら唇に手をそえている。
ああ、と少年は思う。やはり先程の柔らかい感触は、魔女の唇だったのだろう、と。
「よく分かりました」
「ほ、本当かい」
「はい」
少年は己の胸を押さえ、確かに浮かんだ感情を思い返す。
「そんなにお腹が空いていたのですね」
「は?」
今となってはおぼろげとなってしまっているが、昔の記憶を思い出す。
鷹であった時分、小鳥にねだられて餌を狩りに行ったことがあったはずだ。
あまりに集中して本を読んでいたのだろう、太陽を見れば確かに空腹を感じる時間であった。
ならば、と少年は思う。死にかけた自分を助け、人間の姿をくれた魔女に恩義を返す機会である。
「それでは狩りに行ってまいります」
「え、あ、うん……? 行ってらっしゃい……?」
ぱたん、と軽い音を立てて扉が閉まる。
残された魔女は少年が座っていた椅子の背もたれに抱きつくように腰掛けると、ぽつりと呟いた。
「なんだよこれ……鳥頭め」




