Episode-V:虚実の崩壊
未破壊エリア、民間人の半分の避難を確認。
残留小型『正体不明』、戦艦クラスより増殖。
数、二〇〇。エドワード・ヘンデルト、未だ発見できず。
「…どいつもこいつも!!」
ギリ、と爪を噛むブリジット。
報告はどれもこれも、彼女を苛立たせた。
避難は遅い、アンノーンは減らない、目標は発見出来ない。
いや、最後が一番マズかった。
ブリジットは鬼の様な形相で手元のモニターを睨みつけている。
「α-PEACE全域を草の根をかき分けてでも捜索しなさい!」
「ブリジットちゃん…それ、死語だよ…」
オペレーター、マドカ・ハーゲンシュタイナーはボソッと呟いた。
虎をも居抜き殺しかねない勢いで睨まれた。
マドカは顔を伏せ、モニターに視線を戻す。
どうでもいい事だが、『草の根をかき分ける』が死語の理由――それは、衛星都市に住む者は、根どころか草を見たことない者が多いからだ。
よって、その言葉は死語となっている。関係ないが。
「下らない事を言ってる暇があったら探しなさい!」
一喝。ブリッジは凍り付いた様に静まり返り、オペレーター達はモニターと睨めっこする。勿論、ブリジットも探していない訳じゃない。本当に、どこにもいないのだ。(ここまで街を検索しても見つからないとなると…どこかの建物に逃げ込んだ?)充分にあり得る話だ。いくらアンノーンといえども壁をすり抜ける事は出来ない。街を無闇に逃げるより効率的だ。その可能性を中心に捜索するのも一つの手かも知れない。
「捜索班に追加連絡、街はもういい。それより、建築物の中を徹底的に探せ」
通信機に向かって告げるブリジット。
「エド……」
人知れず、マドカは呟いた。
「って、アンタ。いつまでここにいるつもりだ?」
「いつまでここにいるつもりだ、と問われれば救助が来るまでですと答えます」
やはり無表情のまま、少女。
エドワードは食料品を火事場泥棒しながらため息を吐いた。
「加えて言うならば、戦闘中の飲食はなるべく控えた方が良いと私は忠告します。胃に溜まれば動きが鈍くなる上、腹部への攻撃による死亡率は高くなります」
「知ってるよ、そんな事。保健の授業でしょっちゅう言われた」
「そうですか。それなら安心です」
何故か知らないが、エドワードは無表情な少女が気に入らない。
生理的に嫌いとまでは言わないが、何故だろう、反りが合わない。
彼女の話によると、製造者はハロルド博士らしい。
ハロルド博士は、彼女とどうやって接していたのだろうか。
「あ、そうだ。聞きたい事があった」
「何でしょうか」
「ハロルド博士ってどんな人だったんだ?」
「……」
少女は語らない。
ただ、エドワードを不思議そうに見ている、……気がする。無表情なので分かりづらい。
「ハァ……アンタ、まだ俺をハロルド博士だと思ってんのか?」
「思っている、という表現は適切ではありません。貴方は間違いなくマスター・ハロルドです。塩基配列には〇・〇〇一%の狂いもありません」
「何だそりゃ?ンな事ある訳ないだろ、全く同じ人間じゃねェか。一卵生の双子だって〇・〇六%は違うのに。俺がクローンだとでも言いたいのか?」
「ハイ。間違いなく、貴方はマスター・ハロルドです」
またか……。
エドワードはウンザリした。
この、こみ上げる怒りは何だろう。
自分を見てもらえない悲しみ。
自分を見ようとしない憎しみ。
自分が認めてもらえない苦しみ。それらが相混じった感情は、紛れもない怒り。
「アンタ……さっきから、いい加減にしろよ」
何がでしょうか……、と少女が答える前にエドワードが怒鳴り散らす。
「ハロルド、ハロルド、ハロルド。俺はハロルドじゃない、エドワードだ!!何でアンタみたいな名前も知らない戦闘人形にそんなクソったれな事言われなくちゃいけねェ!?いいか、俺はエドワードだ。エドワード・ヘンデルトだ。衛星都市《α-PEACE》で生まれた宇宙人だ。地球生まれの天才工学者サマと一緒にするな!」
「そうです。貴方は衛星都市《α-PEACE》で生まれた宇宙人です。正確には――」
やはり少女は表情を変えず、言葉を紡ぐ。
冷静に、冷酷に、冷淡と、冷艶に冷渋する事なく冷徹かつ冷然と冷笑しているかの様に冷箭と言葉を紡ぐ。
「――貴方はマスター・ハロルドによって造られた、複製人間です」
沈黙が流れた。重たい沈黙が。
「……ハァ?」
先に沈黙を破ったのはエドワードだった。
「もう、訳が分からねェよ。俺がクローン?何言ってんだ?俺には両親がいるし、妹だって――」
「符丁コード。B-K-0006396AH-Rs-DDT-000」
少女が呟く様に詠う。
「符丁、Rs-000-XXX-G2」
自然と、エドワードの口から言葉が出た。
「コード返信、承りました」
エドワードは驚愕に目を見開き、手で口を覆った。
――何か。
知ってはいけない何か。
気付いてはいけない、決定的な何かが。
頭の中で、パンドラが開けた箱の様に、災いが飛び出す様に。言葉が、自分の口から飛び出した。
「これは連邦の最高機密コードです。一般人は勿論、軍関係の殆どが知り得ません。極一部、最高幹部とマスターの研究に関わった者だけが知り得る符丁です」
「な……ん、だよ、ソレ……」
「貴方が造られてスグに、マスター・ハロルドはこの符丁と研究成果を貴方に強制学習しました。今の貴方はマスター・ハロルドと変わりません」
少女は、告げた。
残酷に。少女は、告げた。その言葉は、少年の世界を、まるで氷細工の様に叩き割るのには、充分だった。「なっ、ブリジ……艦長!」
マドカの叫び声がブリッジに木霊する。
苛ついた様子で、ブリジットが振り返る。
「A-32-Nエリアに異常が……」
「どうしたのよ?」
「それが……、アンノーンの集団が建造物に向けて進行しています」
「? だから何だって言うのよ?」
「その……エド……ワード・ヘンデルトに関係するかどうか分かりませんが……一応報告を」
「なるほど。……今は小さな可能性でも潰していった方がいいわね」
呟き、その旨を通信機越しに告げ、ブリジットは背もたれに体重をかけてうなだれた。
エドワード・ヘンデルト。
この少年にどれ程の価値があるのか、ブリジットは知らないが、命令だから実行しているだけだ。
「……即席で指揮者を努める行動力、自ら危険に身を晒す精神力、全力で捜しても見つけられない隠蔽術……何者なのかしら、彼は……」
最初二つはともかく最後のはエドワードの技量は全く関係ないのだが、普通じゃないのは確かだ。
「……なかなか、厄介な仕事かもね」
目を閉じ、ブリジットは誰に言うでもなく呟いた。
「アンノーンの接近を確認。デパートの周りに数、一二〇。囲まれました」
急に呟く少女はやはり無表情で、こんな状況にも関わらず、(やっぱり、この娘は造り物なんだな)と思う。
或いは、それは逃避なのかも知れない。
今まで普通だと信じていた自分は実はクローンだったという事実から逃げたかったのかも知れない。
(いや、違う。
そんなハズはない。俺はクローンなんかじゃない、普通の人間だ)
思う、いや、思いたかった。
何かに縋りたかった。でないと、自分は壊れてしまうと思ったから。
だが先刻、とっさに出た符丁。
あれは紛れもなく、自分でも知らない記憶だった。
唐突に壊れた日常。
心を許した友人の死。
何故か自分をハロルドと呼ぶ少女。
知るはずのない符丁。突きつけられた事実。
ほんの数時間の間に、エドワードの世界は崩されてしまった。
自分はクローンなのか。
では、今まで家族だと思っていた両親や妹は何なのか。
何もかも分からない。理解したくない。
「アンノーン、デパート内に侵入。マスター・ハロルド、如何致しましょう」
抑揚のない声が、エドワードに降り懸かる。
だが、エドワードには言葉は届いていない。
急に発覚した事実を受け止められる程、少年の心は強くなかった。
脆く。
儚く。
虚弱な心。
世界の崩壊。それは現実であり、日常こそが幻想だったという話。
ただ、それだけの話。