Episode-IV:首輪のついた猫
「重力空間よりゲートアウト。座標宙域Δ(デルタ).X-000875.Y-0800029.Z-.009299到着。通常航行に移行」
「α-PEACE…ようやく着いたわね」
脱出ポットが無数に宇宙空間を漂っているのは民間人だろう。
ヴィーゴは当たらない様に、慎重にα-PEACEに近付いた。
「α-PEACEより通信を確認。通信、繋ぎます」
ブン、とブリジットの目の前にホログラフィーのモニターが浮かび上がる。
モニターには、痩せぎすな眼鏡男が映されている。
聞いた事ぐらいはあると思うがホログラフィーとは、三次元映像の事だ。
だが、ここでいうホログラフィーとは、一般で知られている『中空を様々な角度から光で照らし』て浮かび上がらせる訳ではない。
光粒子を空中で可視状態にする方法は、未だに開発されていないのだ。
所詮、宇宙に出てまだ間もない科学技術力なのだ。
現在の主流技術は、電磁波によって光の屈折率を変える、というチャチな物だ。
だから、マンガやアニメにあるような、大きなモニターにする事が出来ない。
あんな物を造ったら、確実にバッテリーが上がってしまう。
閑話休題。
『こちら、α-PEACE官制室。
指揮をとっている、ツヴァルです。現在、アンノーンと交戦中、援護を求めます』
「こちらは母艦。私は艦長のブリジット・D・ブラッドだ。これより、援護に当たる。よって貴星に上陸許可を求めたい」
『艦長…子供が?』
「何か?」
ブリジットが目を尖らせて睨むと、ツヴァルは頬の汗を拭いながら慌てて答えた。
『い、いえ…申し訳ありませんでした!上陸を許可します!』ビッ、と敬礼するツヴァル。それを冷ややかな目で数秒見つめ、
「感謝する」
だけ言って通信を切った。
「α-PEACE、15番港のゲート開きます」
「分かった。総員、第一戦闘配備!これより我が艦はα-PEACEに上陸後、アンノーンと交戦する!戦闘兵、護衛兵、衛生兵、各員武器を持って格納庫に移動!」
ブリジットが声高々に艦内アナウンスで告げる。
「エドワード・ヘンデルトの安全を最優先、以上!」
――声高々に、艦内にブリジットの声が響いた。
(マスター・ハロルドの位置を確認。
現在A-32-Mから撤退中。
どうやらアンノーンと接触した模様。
救急の必要有)タン、タン、と。
少女は高層ビルからビルへとどんどん跳躍していく。
見た目からは想像もつかない脚力だ。
といっても、まだ不可視状態の為に、姿は見えないのだが。
(…!?)と、急に少女が動きを止めた。
(3時の方角に532.2ヤード。
マスター・ハロルドと思わしき人物、及びアンノーンを捕捉。
マスターに攻撃の意志なし)緊急事態のハズなのに、少女は冷静に分析する。
(火器制御システム(FCS)、遠隔モード。
多彩センサー、凝縮。
現実化モジュール作動、対物狙撃銃(アンチマテリアル スナイパー ライフル)を形成)心の中で少女が呟き、対物狙撃銃が少女の腕から現れた。
高次物質形成システム(ハイ イメージ マテリアル システム:HIMS)。
仮想現実理論の応用によって完成された人類の奇跡。
データとそれに見合う質量の物質があれば、物質の分子配列を書き換え、データに近しい物質に組み替えるというこのシステムは、重力航行と同じくらいの人類の進歩だ。
(距離532.2ヤード。
目標捕捉)片膝を立て、しゃがみ込んだまま対物狙撃銃を構える少女。
少女の身長より少し小さい144cmの巨大な対物狙撃銃は、似つかわしくないハズなのに少女の細い身体に妙に馴染んでいる。
無表情のまま、少女は引き金を引いた。
ビル壁を軽く貫く50口径撤甲弾が、間髪入れないセミオートで12発、速射された。
880m/s。
音速の二倍以上という驚異的な速度で飛ぶ弾は、約500ヤード離れたアンノーンを貫くまで一秒かからなかった。
「…」
アンノーンの触手がエドワードの頬に触れた瞬間、マズルフラッシュに似た光が見えたと同時にアンノーンが吹き飛んだ。
凍り付いたように動けないエドワードに純水が雨の様に降り注ぐ。
12回。アンノーンのあらゆる部位が弾け飛び、一拍遅れて稲妻の様な轟音が鳴り響いた。
「な、何だ…!?」
我に返った様に耳を押さえるエドワード。
ほんの数秒で光と音が止み、キーンとした耳鳴りがエドワードを襲う。
光のせいで目の前がチカチカするし、音のせいで鼓膜が破れそうだ。
三半規管がやられたのか、平衡感覚が何か変だ。
目の前にいたハズのアンノーンはもういない。
そこだけ豪雨に打たれた様に、道路が濡れている。
「な、んなんだよ…一体…?」
エドワードは訳が分からない。
急に光と轟音が鳴ったかと思えば、目の前にいたハズのアンノーンは倒れ、広い道路には自分独りで。
あまりに理解不能な状況に困惑していると、背後から、ズドン!という音が聞こえた。ビクッと肩を震わせて振り返る。
「誰も…いない?」
道路が大きく凹んでいる。
にも関わらず、そこには何もない。
あの穴がさっきからあって、今聞いた音が幻聴だというのなら分かる。
が、さっきのが幻聴なハズがなかった。
沈黙が緊張を生む。
エドワードは、全身の毛が逆立つのを感じた。
軽機関銃を握り締める。
虚空を睨みつける少年の姿は、何とも滑稽に思えた。
パチッという、静電気の様な音がエドワードの真正面から響き、何もないところから、少女が現れた。
「ッ、な!?電磁迷彩!?」
「…」
少女は何も言わず、エドワードを見つめる。
年の頃は15くらいだろう。
膝まである長い髪は翡翠色だが、メッシュの様に相反する琥珀色が混じっていて翡翠の髪によく映えている。
黒いタイツを着ていて、程良くバランスの取れたスタイルが際立つ。
顔は分からない。というのも、少女は暗視ゴーグルの様な物を着けているからだ。
「…声紋確認。網膜確認。マスター・ハロルドと認証します。お久しぶりです、マスター・ハロルド」
言って、謎の少女は頭を下げた。エドワードは本格的に訳が分からない。
「…あ、アンタ、何言ってんだ?俺が、マスター?ハロルドって、あのハロルド博士か?俺が?」
意味が分からない、支離滅裂な事を言うエドワード。
しかし少女は、無表情のまま答える。
「肯定です」
無碍にもなく告げる。
同じ事を繰り返して本当に申し訳ないのだが、エドワードは訳が分からない。
「何言ってんだよ…俺はハロルド博士じゃなくて、エドワードだよ。エドワード・ヘンデルト」
「…再度、声紋確認ならびに網膜確認。データと照合…一致。貴方はマスター・ハロルドです」
「だから違うって言って…!!」
エドワードが叫ぼうとすると、少女は獲物を見つけた猫の様に首を動かした。
「…アンノーンの接近を感知。数、30。都市の中央部の戦艦クラスアンノーンも行動を開始。約20秒後に接触予定」
「…マジ?」
「マジかと問われれば、マジですと答えます」
振り向きもせずに答える少女。ゴーグルは一点を集中して見つめていた。
「ちょ、冗談じゃねェ!何だかよく分からねェけど、逃げるぞ!」
「私は如何致しましょう?」
「知るか!俺に聞くな!自分で考えろ!!」
「『自分で考えろ』とは『私の判断に任せる』という事でしょうか。命令が抽象的すぎます。詳細を求めます」
「知るか、俺は逃げる!」
「…、予想演算。終了。演算の結果、私がここに残り、アンノーンを迎撃するのが理想と判断。迎撃します。マスターは一刻も早く撤退する事をお勧めします」
無感情に告げる。エドワードは驚愕した。
「な、何言ってんだよ、出来る訳ないだろそんな事!」
「出来る訳ないだろそんな事、と問われれば私の勝率は47%です、故に不可能ではありませんと答えます」
「…な、何だかよく知らねェけど、お前も逃げれよ!」
「それはご命令でしょうか?」
「…」
エドワードは考えた。
ここで『命令じゃない』と答えれば、少女は本当にここに残りそうだ。
だからと言って、少女に『命令だ』と言うのも変態臭い。
「…あ〜、じゃあ命令!逃げるぞ!」
「了解しました」
少女はそう言うと、エドワードの胸ぐらを掴み、コンビニ袋でも担ぐ様に持ち上げた。
「うわッ!?」
…本当に、同じ事を何度も繰り返して悪いのだが、エドワードは心底訳が分からない。
細腕のどこにそんな力があるのか。
少女はエドワードを…いわゆる『お姫様抱っこ』して駆けだした。
「しっかり掴まっていて下さい」
「な、ハァ!?」
…いや、本当(中略)、エドワードはもう、何が何だかさっぱり。
少女は、自動車に負けない程の速度で走り出したのだ。
「うわ、うわわ、うわ〜!!」
無人の街に、エドワードの悲鳴が木霊する。
思わず少女の首に腕を回し、力一杯しがみつく。
完全に立場が逆だ。
だが、エドワードにはそんな事を考える余裕はない。
何故なら、少女の、…その、何というか。
ムネのフクラミが脇に当たって、こんな状態にも関わらずドギマギしていた。
「逃げきる事は不可能と判断、近場の建物に身を隠します」
えっ、と少女の肩越しに後ろを見てみると、数十ものアンノーンが迫ってきている。
『お姫様抱っこ』モードが解除されて、心なしかエドワードはガッカリしている様に見える。
そこは、かなり大きなデパートだった。
エドワードと少女は無人のデパートを徘徊し、隠れるにピッタリな洋服店の奥に行く事にした。
「なぁ、ちょっと聞いてもいいか?」
歩きながら、エドワードが言う。
前を歩いてアンノーンを警戒していた、少女が振り向く。
「何なりと」
「アンタ…人型機械なのか?」
「肯定です」
やっぱり、とエドワードは顔を伏せた。
人型機械は珍しくない。
企業用、家庭用、戦闘用、至るところでその姿を見かける。
少女のあの機動性を見る限り、どうやら戦闘用なのだろう。
一人の天才が生み出した、革命的な機器。
天才は、一度の人生で、たった一人だけで科学水準を120年分も進めた。
重力機関。
電磁迷彩(エレクトロニカ コントロール システム:ECS)。
人型機械。
高次物質形成システム(ハイ イメージ マテリアル システム:HIMS)固着現実化(ハロルド ノイズ リアル リンク モード:HNRLM)。
その全てを。
天才の名は、ハロルド・ノクス。
しかも恐ろしい事に、彼はそれを生み出す為に研究を続けたのではなくて、ただその理論とメカニズムを解明する為だけに研究を続けたのだ。
アインシュタインの相対性理論による核爆弾の様なものだ。
「アンタ…何で俺をハロルドって呼ぶんだ?俺はハロルド博士じゃない、エドワード・ヘンデルトだ」
「…再三にわたる声紋確認、及び網膜確認。データと照合…一致。貴方はマスター・ハロルドです」
「だから、違う…俺はハロルド博士じゃない。大体、アンタは何なんだ…何で俺をハロルド博士と勘違いしている…?」
「私はRs-000型アンドロイド。今から16年前、マスター・ハロルドによって作られたモデルです。通称は『首輪のついた猫』です」
「16年前…?」
16年前といえば、エドワードが生まれた年だ。
そして、人類が初の衛星都市を造った年でもあり、ハロルド博士が謎の変死を遂げた年でもある。
歴史の授業ではこの年を『進化の暦』と習った。
テストでも毎回の様に出ている言葉だから、よく覚えている。
(俺が生まれた年。
初の衛星都市が造られた年。
ハロルド博士が変死を遂げた年。
そして…少女が造られた年)偶然か。必然か。エドワードには分からない。
「…造られたって、いつに?」
恐る恐るといった感じで、エドワードは訪ねた。
「西暦2025年の12月1日です」
「なっ…!?」
驚愕に目を剥くエドワード。
それはハロルド博士の命日であり、エドワードの誕生日であり、初の衛星都市が生まれた年であった。
偶然か。必然か。エドワードには分からない。