Episode-I:『アンノーン』の襲撃
宙域コードΔ(デルタ).X-000239.Y-085952.Z-009963.そこには、一隻の戦艦がいた。
艦体名称はWRET-083《コーカサス》。
戦艦としては大きすぎるが、規定により限りなく母艦サイズな戦艦と言えよう。
「ちゅ、宙域Δ(デルタ).X-000875.Y-0800029.Z-.009299にあるα-PEACEまで重力航行(GCW)!」
艦長の焦った叫び声がブリッジに木霊する。
「重力航行、チャージまで後160秒!!」
「160秒か…頼む、保ってくれよ…!!」
両手を合わせて祈る艦長の姿を、オペレーター達は神妙な表情で見つめた。
いつでも気丈で厳格な艦長が、ここまで追い込まれている。
それを思うだけで、オペレーターは不安になる。
「重力航行まで、後100秒!」
女のオペレーターが悲鳴に近い報告をしたと同時、コーカサスに鋭い衝撃が走った。
「うわァッ!!」
「キャアァ!!」
必死に端末にしがみつくオペレーター達を見つめながら、艦長は叫ぶ。
「被害報告を!」
「敵艦の攻撃がグラディウスシールドを貫通、左翼部に被弾!艦体損傷率15%!格納庫及び機関部に火災発生!!主要重力機関損傷、航行不能!予備機関起動!乗員は直ちに消火に当たって下さい!」
「我が艦のグラディウスシールドを貫通した…!?クソッ、化け物め!」
「超遠隔ミリ波レーダー、敵艦を確認!スクリーン、出ます!!」
ブン、という低い音と共にスクリーンに敵艦の映像が映し出される。
それは艦長が口にした通り、『化け物』だった。
無重力空間を漂う水の様に見えるそれは、決して『艦』ではない。
丸いゲル状の『何か』。
その『何か』は人類に敵対している、という事しか分かっていない。
現在の科学力を以てしても何なのか、未だ解明されていない。
解明されていない、いや、解明出来ない理由は二つ。
一つ目に、長年に渡る研究の末分かった事と言えば、どうやら『何か』は生物であるらしく、ダメージを与えれば死に絶える。
その死骸から採取したデータを照合した結果、限りなく純水に近い存在であると言う事。
死骸からはこれ以上のデータは取れず、サンプルにする為に生け捕りにしようと試みたがその戦闘力は凄まじく、手加減すれば返り討ちに遭うという事で断念している。
二つ目に、限りなく純水に近い存在である『何か』の唯一の不純物は、どうやら菌だと言う事。
だが、どれだけ調べたところで地球上及び地球直属惑星にもデータの照合が合わない為に、調べようがない。
どんな特性を持っているのか、どういった種類の菌なのか。
全く分からず、やはり正体不明のまま研究を続けている。
生け捕りに出来ればいいのだが、先述した通りそれは限りなく不可能な話だった。
『何か』は非現実化と呼ばれる、仮想現実にも似た特性を持っている。
これが、人類の全勢力を以てしても一番の勝てない要因だった。
それは、非物理属化する事で一切の攻撃を受けないと同時に、『何か』からの攻撃は受けるというとてつもなく卑怯な特性。
こちらの意志では触れないというのに、向こうの意志では触れるという矛盾。
『何か』は人類に対して、凄まじい猛威を振るっていた。
そして、『何か』が人類の脅威として現れて幾星霜、ハロルド博士がついに開発したのが固着現実化装置(ハロルド ノイズ リアル リンク モード:HNRLM)と呼ばれる物であり、非現実化して物理攻撃の効かない『何か』を現実化する事によって効率的に物理攻撃を与える事が出来る様になった。
『何か』は幽霊の様に実体がなく、物理攻撃が効かないという事で『正体不明』と呼ばれている。
「重力航行まで後40秒!」
女のオペレーターが言う。
「39…38…37…36…」
カウントダウンが永遠にも思える一時、それを止めたのは、男のオペレーターの悲痛の悲鳴だった。
「敵艦『アンノーン』接近、距離800で停滞!あっ、中心部より熱源確認…、えっ、そんなまさか…!?」
「どうした?」
「ね、熱量…にッ、2000!?」
「2000…2000だと!?そんなバカな!!」
摂氏2000。
それは、一瞬で鉄を溶かす程の熱量だ。
太陽の表面温度が摂氏6000。
その中でも一番温度の低い黒点の中心でさえも、3000強はある。
それを考えてもらうと、いかに凄まじい熱量かが分かるだろう。
「『アンノーン』、レーザーの様な攻撃を発射!!ダメです、回避、間に合――」
オペレーターが虚しく叫ぶ。
「なっ、そんな高熱…あり得な――」
艦長が虚しく叫ぶ。
だが、未来は変わらず、コーカサスの乗員は悲鳴をあげる暇もなく、強大なレーザーに呑まれ撃沈した。
レーザーはそれだけでは飽きたらず、その延長線上にあった衛生クラスの隕石すら両断した。
後に残ったのは黒ずんだ丸い鉄の塊と粉々に砕けた隕石の欠片だけ。
たった今殺戮を行った『アンノーン』は、次の獲物を狩る狩人として、移動し始めた。
その先にある衛星都市に目標を定め、ワープしたかの様にその場から消え去った。
重力により圧縮された亜空間を、『アンノーン』が駆ける。