Prologue-2- 佐世川澪
日付を跨いで翌日。
――西暦2021年5月1日(土曜日)
天気は良好、春の太陽はぽかぽかの日差しで世界を照らし、適度な白雲が大空を羊の様に群れている。
駅前の人通りが多い噴水広場の前で僕は、電車でやってくる親友の澪を今か今かと待っていた。
「むぅ……久々に澪と会うのに、この格好で大丈夫かなぁ」
汚れ一つない白いYシャツは、パッドを入れた勝負ブラが透けるように見せて、チェック柄の赤いミニスカートは黒ニーソに合わせて絶対領域を美しく魅せている。
髪型もボブカットのカール部分は増して魅力をたっぷり注ぎ込み、中学生らしい薄めの化粧もして、キツすぎない程度に桜の香りがする香水もつけている。
まさに、万全の状態だ。だが、澪は気に入ってくれるかどうかわからない。
そもそも、僕が『女装』すること自体を嫌がるかもしれない。
「いい加減にしろよ、ホモビッチ」なんて罵られちゃうかも……澪に言われるなら本望か。それでも澪は僕の手を握って歩いてくれて、「お前は方向音痴だからな、手を繋いで無いと迷子になるだろ」とか言って、照れ隠ししながら先を歩いてくれるの。それでゲーセンまで行って、超絶テクで音ゲーとか格ゲーとか神業プレイして、僕のこと痺れさせてくれて、僕が後ろから抱きしめると顔を赤らめながら「人前でいちゃいちゃするのは恥ずかしいから辞めろ」とか言い出すんだろうなぁ。「いやいや、従弟同士だし、男の子同士だし、何の問題も無いでしょ」って僕が平然に言うと「お前は可愛い女の子にしか見えねぇよ」とか、きゃあああああああああ。
こほん。
いかん、取り乱すな、雛桜夢幻。ここでもし澪が来たら、変な奴だと思われる。思われてゴキブリでも見る目で見られちゃう、それもイイかもしれないが。
「ねぇねぇ、君、さっきからここで暇そうにしてるけど、もしかして暇ぁ?」
だが、出来る限り可愛い少女と思われたい。親しい時の変態性はもう知られてるけれど、普段はそうじゃないんだって、街中じゃ清楚な女の子やってるんだって思われたい。
「暇ならさぁ、俺達と一緒に遊ばない?」
ぽんっと肩に手を回されて、僕は我に返った。
「……ふぇっ?」
いつの間にか僕の目の前に見るからにちゃらそうな三人の青年が立っていた。三人共、格好だけは良くて顔はそこそこと言った所だろうか。年齢は僕より数個上、高校生っぽいが、学校に行って無さそうな雰囲気が少しある。
あぁ、ナンパか。僕は冷静になって状況を省みて、閃く。
時刻は十二時半を回った所か、ならイけるかな。
「……うーん、私、彼氏いるしぃ」
肩に置かれた手を払って、僕は女々しく振舞う。
「でも、今暇っしょ? ちょっと、軽く遊ぶだけだからさぁ、ねぇ?」
「えぇ……誘ってくれるのは嬉しいけど、困っちゃうなぁ」
僕は一歩後退して胸の前で困ったように両手を握る。あざとい上目遣いで、相手を喜ばせるように気を遣う。
すると、思惑通り、退路を塞ぐように脇にいた二人が僕の両脇に動いて、僕を囲むような配置になった。
「誘われて嬉しいなら、遊ぼうぜ」
「大丈夫だって、えっちなこととかはあんまりしないからさ」
そんな僕の格好を舐めるように見つめておいて、えっちなことしないとか有り得ないでしょうが。
「いや、でもぉ……」
煮え切らない態度で相手を焦らす。
「別にいいじゃん」
そう言って僕の手首を強く掴んだ、その瞬間。
「おい、あんたら俺の彼女に何してんの?」
そこに割って入ってきたのは、僕と同じくらいの年頃の少年で、格好は灰色のパーカーに、カーキ色のカーゴパンツというラフな服装を纏っていた。
顔つきは、童顔っぽく、目の下のクマは酷いが、何処かかっこよさを滲み出させる雰囲気の佐世川澪がそこには存在した。
「澪ぃ、遅いから変な人達に絡まれちゃったじゃん」
僕は青年達の囲いから抜け出して、澪の腕を合法的に絡める。ついでに、青年達に『こんなカッコイイ彼氏がいるんだぜ』という見下しの目線をくれてやる。
「ちっ、彼氏を待ってたのかよ……」
「もう行こうぜ」
悔しそうに青年達は僕と澪から離れていく、ナンパする相手を考えましょう。
「おい、夢幻……いや、ホモビッチ」
唐突に澪が僕の名前を言い直しながら、問う。
「なぁに、僕の彼氏さん?」
僕がにやにやとしていることで全てを察したのか、僕の腕を振りほどいて、溜息を吐く。
「やっぱり、わざと絡まれてたか……放っておけばよかった」
「いやぁ、澪のカッコイイ台詞を聞けて大満足ですわぁ」
振りほどかれた腕は諦めて、僕は澪の手を握る。
澪は露骨に嫌な顔をするが、諦めたように僕の手を握り返した。
「……本当にお前って俺のことが好きだよな」
「そりゃあ、大好きだよ。僕が女の子だったらよかったのにって何度思ったことか」
僕は一度、澪に告白して振られている。理由は僕が男だから。そういう趣味は無いらしい。
僕だって正直なところは『女の子』の方が好きだが、澪だけは例外で……と言うのも、僕を絶望から救ってくれたヒーローだったからってのが大きい。
あとは、いじめで性別を偽って援助交際をしていたからか、性的な意味で男性慣れしてしまったというのもあるだろう。
――いつか澪以外の人を好きになる日が来るんだろう。でも、今は澪に依存していたい。
「まぁ、いいや。これがお前を救った責任なんだろうからな」
「ごめんね、いつかちゃんと澪から離れるから、今だけはさ……許してよ」
僕がしおらしい態度を取ると、澪は僕の手を強く握った。
「今だけ、特別だぞ」
そう言って澪は、手を繋いだままゲームセンターに向かって歩きだした。
----
二人は建設中のビルの横の通りを歩いていた。今は足場を組んでいる最中のようで、クレーンが鉄骨を持ち上げているのが見て取れる。
「……そういえば、夢幻、学校の方はどうなんだ?」
唐突に澪が学校について聞いてきた。どういう風の吹き回しだろう。
昨日の龍馬のことがあったが、なんて説明したらいいか、わからない。
そもそも説明したところで、澪に言ってもどうしようもないことか。
ここは当たり障りの無いことを話そう。
「上手くいってるよ。小学校の時みたいな、僕の容姿でいじめてくる人はいないし、皆、セーラー服を着ることを認めてくれてるし……ホント、幸せだよ」
本当に、前の地獄に比べたら幸せだ。ただ、龍馬のことだけが気がかりだが。
「そっか、幸せか……夢幻からそんな台詞が出るなんて、あの時を知ってる奴が聞いたら絶対に信じないだろうな」
確かに澪の言う通りだ。
あの時の僕は一生このままだと思っていた。父親が殺人犯で、女装してる気持ち悪い奴で、一生いじめられるか、無視されて生きるんだろうなぁ、とあの時は思っていた。
人って変われるんだ。澪が、龍馬が、クラスの皆が、居てくれたから僕は変わることができた。
そう言おうとして、
「ひ、雛、桜……?」
工事現場の入口に差し掛かったところで、中年で中太りの警備員が僕の名前を呼んだ。
僕はその声に聞き覚えがあった。嫌がる僕を裸に剥いて、罵倒と暴力で屈服させた、あの時の担任教師。
「……篠津悟先生?」
僕が篠津悟の名前を呼ぶと、澪も気付いたようで眉がぴくりと動く。
「夢幻、関わるな」
そう言って澪は僕の手を引いて先に行こうとするが、僕は動かなかった。
動かず、作り笑顔で微笑んで、
「先生……僕は今、幸せです。中学校に入って友達もいっぱい出来て、楽しい思い出もいっぱい出来ました」
ただの報告をした。しかし、それは僕の精一杯の皮肉だった。
「……それは、その……良かったな。今のお前は本当に幸せそうだ」
その皮肉にやや戸惑いを見せつつも、篠津悟は大人として振舞う。
その大人な振る舞いを見て、「やっぱり」と僕は思った。
もしも僕がこの人の前にいじめられた生徒として現れなかったとしたら、この人は何も問題を起こすことなく教師を続けていたのだろう。
――常々、思っていたことだ。僕さえいなければ、あの時のいじめ関係者は全員普通の生活を送っていたんじゃないか、と。
僕が傍に居ることで周りが不幸になる。なんて、澪の前で言ったら怒られそうだが。
「ありがとうございます。……それじゃあ、これで失礼します」
「あぁ……それじゃあな」
僕はお辞儀をして踵を返す。その瞬間、
「……してやる」
ぼそっと篠津悟が何かを言ったような気がしたが、工事現場の騒音で何を言っているのか聞き取れなかった。
「行こう、澪」
「あぁ」
もうここには近寄らないようにしよう。
そう心に決めて、僕らは歩きだした。
刹那、僕らの目前で、
――ガゴンッ、と空から降ってきた鉄骨がアスファルトに叩きつけられた。
「は?」「えっ?」
突如、落ちてきた鉄骨に驚き、僕らはぽかんと口を開ける。
僕が上を見上げると、クレーンのワイヤーが不自然に曲がっていて、他に乗っていた鉄骨も傾き、下に向かって滑り始めていた。
そして、その鉄骨が落下する先は――真下にいる僕らだった。
「夢幻、危ないっ!!」
その光景を見て呆然としていた僕は、動くことが出来なかったが、冷静沈着な澪は咄嗟に身体が動いていた。
澪にどんっと身体を押されて、数メートル吹き飛ばされる。
「うあっ」
ゆっくりと倒れこむ視界に、無数の鉄骨が澪に向かって降り注いでいく光景が映った。
手を伸ばそうにも彼には届かず、僕は叫んだ。
「澪ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
僕が倒れた瞬間、耳を劈くような大轟音が、地面を揺らす大きな衝撃が、響き渡った。
----