晩夏のそら
※本作品は、作者が学生時代に書いた作品です。ペンネーム『晩夏ノ空』の由来でもあります。
かなり粗削りですが、当時の空気感を大事にしたかったため、誤字脱字以外はほぼそのままで掲載しております。
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〇〇ダムの放水で子ども一人水死
昨日午後5時頃、××橋付近で、川で遊んでいた渡世己空君(10)がダムの放水で起きた濁流にのみ込まれ、死亡した。
己空君は川に捨てられていた子犬を保護しようとし、放水のサイレンが鳴っている最中に川に入り、逃げ遅れた模様。
事故当時、己空君と一緒に遊んでいた神崎葵ちゃん(10)は、無事に川岸で保護された。
当局は、放水時の警告、及び水門の操作について、ダム側に過失がなかったかを焦点に捜査を進めている。
──某日、地元紙より抜粋
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夕刻。
わずかに紅色に染まり始めた空の下、残暑の熱を孕みながらも秋の香りを乗せた風が、林を渡り、川面を滑り、家々の間を駆け抜けて行く。
雑木林からはセミの合唱が、途切れることなく流れてくる。昼のものとはまた違う、郷愁を誘う蝉時雨。
最近、都市圏のベッドタウンとして開発され始めたその町の、西端。上流に小規模なダムを持つ川の近くに、一軒の家があった。
少々古そうな、二階建ての一軒家。昔から人が住んでいたこの地域では木造家屋が一般的だが、その家は鉄筋コンクリート。温かくも古めかしい木造の家の間で、漆喰にも似た白い壁が、今は斜陽に赤く染まっている。
その家の、2階。南向きの大きな窓のある部屋で、何やら緩慢な動きを見せる影があった。
冷房器具の無いその部屋は、窓も扉も開いているとはいえかなり蒸し暑い。
夕方で、日差しもいくらか弱まってはいるものの、無遠慮に床を這う陽光とその照り返しで、サウナのような様相を呈している。
ベッドの上で、再び影が動いた。
「暑…」
呟きながらも、小柄な人影は起き上がろうとしない。だるそうに寝返りを打ち、少しでも日射しから遠い方へと移動する。
この家に住む一家の長女、葵。高校生ともなれば茶髪やら金髪もどきやらも多いが、葵は面倒臭いというただ一つの理由で、周囲に染まらずにいる。
意思が強いというか、マイペースというか、まあつまりそんな人間である。
──ふと、『怠惰』を体現している葵の耳に、外、正確には庭から、犬の吠え声が聞こえてきた。
「…」
葵は顔をしかめ、無視を決め込む。
声の主の正体は分かっていた。だからこそ、聞こえないふりをする。
声は何かを要求する吠え声から、次第に不安そうに声量を落とし、最後に半泣き同然の鳴き声に転じた。
葵は最初こそきっぱりと無視していたが、やがて子犬そっくりの鳴き声が聞こえてくるに至り、大きく一つ溜息をついて身を起こした。
「…分かったから。ちょっと黙っててよ、ソラ」
2階からの呼び掛けに、戸外の声はぴたりと止む。
ソラというのが、声の主、葵の家の飼い犬の名前だった。正確には、葵の飼い犬、だが。
ぐうっと伸びをして、葵は面倒臭そうに部屋を出た。外で尻尾を振り振り飼い主を待つ、妙に人間臭い犬を思い描いて。
前を行く犬の背中を眺めながら、葵は深々と嘆息した。
「…こら。人の前を歩くな、ソラ」
首輪につけたリードを引っ張ると、ソラは不満そうに葵を振り返り、それでも少しペースを落とした。
ちらちらとこちらを見てくる犬を、改めて観察する。
──体は威圧感を発するほど大きくはなく、かといって保護欲をかき立てるほど小さくもない。丁度、柴犬程度の大きさだ。耳がやや大きいことを除けば、まあごく普通の雑種である。白地に茶色が乗っかっているという毛並みも、特筆するほど珍しいものではない。
しかし葵にとって、その犬は特別な存在だった。
10歳の時、ダムの放水により増水した川で濁流に飲み込まれて死んだ幼馴染、己空。
彼が川に入るきっかけになったのが、当時まだ子犬だった、ソラの母犬だった。
己空が命と引き換えに助けた犬なのだからと、その犬は彼の両親に引き取られ、そして2年前、ソラが生まれた。それが葵の元へやって来たのは、まあ当然の成り行きといえる。
──と、物思いにふけっていた葵の耳に、サイレンが聞こえてきた。
2日間降り続いた雨の影響で、ダムの水位が規定値を超えたらしい。10分後に放水を開始するので速やかに流域から離れるように、と、少々聞き取りにくい男声の広報が告げていた。
葵はその音を聞くなり踵を返した。ソラの散歩コースは川沿いの安全な道だが、葵はダムの放水がある時はそこを歩きたくなかった。
己空が死んだ時のことを、思い出してしまうのだ。
しかしその事故現場である橋に差し掛かった時、突然ソラが立ち止まり、何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回し始めた。
「ソラ?」
眉をひそめリードを引くが、今度はソラは従わず、逆にぐいぐいと川に下りて行こうとする。
「ちょっと、ソラっ」
葵が顔色を変えると、ソラは何やってるんだとでも言いたげに振り返り、一声吠えて川面に視線を戻した。葵もつられてそちらを見て、そしてソラの行動の理由を知った。
…川の中州に、段ボール箱に入れられて、1匹の子猫が捨てられていた。ソラは子猫の鳴き声かその匂いを嗅ぎつけて、気になったのだろう。
「大丈夫だよ。あれなら流されることも──」
サイレンの音。
放水5分前。葵の表情が凍りつく。
今は中洲に打ち上げられているが、ダムの放水が始まれば、まず間違いなく子猫は段ボールごと流されてしまうだろう。それ以前に、濁流に飲み込まれて子猫が無事に済むとは思えない。
「…私に、助けろって?」
ソラを見遣ると、それは期待していないとでも言うように、犬はざぶざぶと川に入って行った。しかし葵はまだリードを握っている。つられて2、3歩川に入り、葵はそこで凍りついた。
──助けてあげようよ、と言ったのは、私。
子犬を抱きかかえ、土手を駆け上がる。
上流からは轟音。すぐそこまで濁流が来ているのを、肌で感じる。
背後で、息をつく気配。振り返ると、そこには見慣れた幼馴染の顔。
それが大質量の水に飲み込まれるのを、呆然と見詰める。
咄嗟に伸ばした手は、虚空を掴んで。
「──!」
ソラの吠え声に、葵は我に返った。
見ると、ソラはじっとこちらを見詰め、何やら焦っている。
葵はリードを持ったままだった。手を放そうとして、脳裏に己空の顔が浮かび、思いとどまる。
ソラを、己空の二の舞にさせるわけにはいかなかった。
「ソラ。…私がやるよ」
子どもの頃に刻み付けられた、水への恐怖。それを振り切り、一歩一歩、前へ出る。
恐怖はあっても、水との付き合い方は身体が憶えていた。己空と共に、ここでよく遊んでいたのだ。あの時までは。
中州に辿り着くと、ソラが駆け寄って来た。見上げる犬の頭を軽く撫で、子猫を抱き上げる。
その時、3度目のサイレンが鳴り響いた。
放水1分前の知らせ。今度のサイレンは1分間鳴り続け、音が止んだその時に、放水が開始される。
「急いで、ソラ」
今度はリードを放し、ソラを急かす。ソラは指示に従って途中まで走ったものの、すぐに葵を振り返った。
「大丈夫だから、早く行って」
腕にかじりつく子猫を見下ろし、しっかりと抱え直して、葵はソラに笑い掛けた。それで納得したのかしないのか、ソラは再び前を向き、川面を蹴立てて一気に岸に辿り着く。
ソラが無事に渡り切ったのを確認し、葵は足を踏み出した。
岩の上を避け、砂利の上を選んで歩く。滑る心配はないが、ずぶずぶと足が沈むため歩みは遅くなる。
それでも、子猫が濡れる危険はできるだけ避けたかった。
…サイレンが消えた。
ソラが、焦ったように吠え始める。葵も内心穏やかではいられなかったが、逸る気持ちを抑え、慎重に足を進めた。
放水は始まったが、ここに水が来るまでには、まだ間がある。それに、己空の事故以降、ダムの管理者は一気に水門を開けないようになった。あの時のような濁流は、すぐにはやって来ないはずだった。
「ソラっ。待ってなさい」
戻って来ようとする犬を、言葉一つで押し留める。
つくづく人間臭い犬だ、と、葵は口元だけで微笑した。ソラは、ダムの放水のことも、その危険のことも、全て知っているような素振りだった。
岸まであと数歩、というところで、第一波が来た。
ふくらはぎ程度だった水位が、膝下まで上昇する。腰を落として流れをやり過ごし、足を掬われるのを防ぐ。
過去の記憶がよみがえり、葵の背中を冷たいものが滑り落ちた。
その緊張を感じ取ったのか、子猫が不安げな声を上げる。葵ははっと我に返り、再び足を踏み出した。
もう岸に手が届くというところまで来る頃には、水位は膝上にまで達していた。
葵はソラが待つ土手に子猫を下ろし、自分はもっと上がりやすいところから避難しようと、下流へ足を向けた。ソラは心得たもので、子猫を軽く口にくわえ、素早く川から離れ始める。
その時、第二波が来た。
特有の音が背後から接近して来るのを、葵ははっきりと感じ取っていた。
わずかながら、足を速める。しかし──
がくん、と下半身に衝撃が来た。同時に足が滑り、一瞬で視界が入れ替わる。咄嗟に手が伸びて、岸に生えている葦を掴んだ。
気管に入ってきた泥臭い水に、思わずむせ返る。
水中にいたのは一瞬で、すぐに顔が水面に出た。息をつき、しかし掴んでいる葦が今にも地から抜けそうなのを見て、ぞっとする。
川底に足をつこうとするが、水流が予想以上に強く、流れに逆らうことができない。
己空の最期の顔が脳裏に浮かび、死の予感が、胸の奥にぽつりと浮かび上がった。
「…いやだ」
思いが口を衝いて出た。
…決めたのだ。己空の遺体が見付かった、あの日。
自分は、生きるのだと。誰だか分からなくなるくらい歳を取って、自分の人生そんなに悪くなかったと、胸を張って、己空に会いに行くのだと。
それまでは、絶対に死んだりしない、と。
水面から手を伸ばす。ぎりぎりまで伸ばした指先に、水流でたわんだススキの葉が触れた。必死にそれを掴もうとするが、葉先は弱々しく流れに揺られ、あと数センチというところで届かない。
「…死なないって決めたんだ…っ」
それは、偶然だったのだろうが。
何かに強く背中を押されたような気がした次の瞬間、葵はススキの葉を掴んでいた。
その理由を考える間もなく、葵は夢中で葉を引き寄せ、束にして、水の抵抗を振り切ってススキの株に辿り着いた。
腕に力を籠め、ススキの生えている土手に身体を引き上げる。
服が水を吸い、体力は限界に達していたが、葵は何とか岸に這い上がった。そのまま川から離れ、川沿いの道に辿り着いた瞬間、その場にへたり込む。
ソラが、子猫をくわえたまま駆け寄って来た。
葵の前に子猫をそっと下ろし、じっと顔を見詰めてくる。その真摯な表情が何故か己空の顔に重なって、葵はソラを抱き締めた。
「よかった…ソラもこの子も死ななくて…」
己空があの時自分を先に行かせた理由が、分かったような気がした。
大切な者。小さな命。どうしても、失いたくなかった。
──全く。心配させるなよ…。
「…?」
己空の声が聞こえたような気がして、葵はふと顔を上げた。
太陽は山の向こうに沈み、西の空を鮮やかな紅に染め上げていた。
子どもの頃、散々遊んだ帰り道、己空と見たあの空と同じように。
「…」
葵はふっと微笑んだ。
どんなに自分が変わっても、変わらないものはいつでも心の中にあった。
「帰ろう、ソラ。この子、うちで飼えると良いね」
夏休みももうすぐ終わる。
鮮やかに晴れ渡った空の下、葵は水泳バッグを肩に掛け、勢い良く家の扉を閉めた。
「ちょっと葵。水泳教室も良いけど、帰りに猫の餌、買ってきなさいよ?」
「分かってまーす」
ベランダから降って来た母親の声に笑顔で応え、その顔のまま、空を見上げる。
眩しそうに目を細め、葵は「今日も晴れそうだな」と呟いた。
横手の庭から、鎖を引きずってソラが姿を現す。
面倒臭そうな動作のわりに、尻尾は激しく振られていた。犬は嘘をつけない。
葵はソラの頭を軽く撫で、視線を合わせた。かつて己空とやったように。
「じゃ、行ってくるね、ソラ」
ソラの返事は、吠え声を一つ。
満足して、葵はにっこりと笑みを浮かべた。身を翻し、吹っ切れたように走り出す。
風と共に、いつも変わらない、空を見上げて。
葵の姿が見えなくなると、ソラは伏せの姿勢を取り、妙に人間臭い動作で前足の上に顎を乗せた。
ふうっと、笑みを含んだ溜息をつく。
──生まれ変わっても、やってることは前と同じか…。
小さな小さな呟きは、蒼空を渡る晩夏の風に溶けた。
葦はすぐすっぽ抜けるよ!とか、ススキ掴んだら手のひら傷だらけじゃん!とか言ってはイケマセン…。
コホン。
拙作には珍しく、ローファンタジー…と言っていいのか微妙な現代もの、いかがでしたでしょうか。
こちら、実は学生時代に小説好き仲間と一緒に自主制作していたオリジナル同人誌(非売品)に収録されていた作品です。
これを久しぶりに見た感想↓
…私、20年以上前から転生もの書いてたんだなぁ…(歳がバレる)
どうやら完全に筋金入りだったようです。ハイ。
ともあれ、眠らせておくのももったいないので掲載してみました。
お楽しみいただけますと幸いです。
【追伸】
只今、なろうに掲載中の拙作は全て完結済みとなっております(新作長編準備中)。
連休のお供にいかがでしょうか?
特にごく最近完結しました『セラフィナ・アッカルドは魔鉱細工師である。~複業転生者が自分の幸せを掴むまで~』が現在、作者的なイチオシです。
女性主人公の転生もの。ものづくりにデスクワークに魔法にと盛りだくさんな無自覚ブラック転生者の奮闘記です。
160話と結構なボリュームですが、40話ごとに区切りがあるので読みやすいかと。
URLはこちら↓
https://ncode.syosetu.com/n7466lo/
(後書きにはリンクを付けられないので、コピー&ペーストで使ってください…!)
連休中の読書に、是非どうぞ!




