門番とセクハラ配信者(ピタゴラスイッチ)
世界には『壁』がある。
城壁や家の壁のことではない。我々固定NPCに課せられた、移動制限領域の境界線だ。
西門の前で、私は右手を伸ばした。
指先が空中で何かに触れる。硬く、冷たく、そして透明な壁。
そこから先へは一歩も進めない。システムが私の存在をそこで断絶させているからだ。
「……やれやれ」
私は壁に手をついたまま、二メートル先を見る。
そこには、道具屋『冒険者の友』の看板娘、ミナがいた。
栗色の髪を揺らし、店先で竹箒を動かしている。
だが、動きがおかしい。
ザッ、ザッ、ザッ。
同じ場所を、同じリズムで掃き続けている。箒の穂先が地面のポリゴンに引っかかり、移動判定がスタックしているのだ。放っておくと座標計算エラーで彼女自身が弾け飛ぶ。
私は足元の小石を拾うと、指先で軽く弾いた。
石は放物線を描き、ミナの箒の柄にカツンと当たる。
「あ、いけない。考え事をしていました!」
物理干渉でスタックが解消され、ミナのAIが再起動した。
彼女は私に気づき、花が咲くような笑顔で手を振ってくる。
「アルフレッドさん、こんにちは!」
「ああ。精が出るな」
私は短く返す。
これ以上の会話はできない。私は『門番』であり、彼女は『道具屋』。設定された会話ツリーが繋がっていないため、これ以上近づくことも、世間話をすることも許されないのだ。
近くて遠い、二メートルの距離。
それが私たちの関係だった。
その平穏が破られたのは、昼下がりのことだ。
一人の冒険者が店に入っていった。
頭上に『Camera_Man』というプレイヤーネーム。
装備は軽装だが、動きが異様だった。常に中腰で、地面すれすれを這うように移動している。
視線の先にあるのは、高い棚のホコリではない。
脚立に登って整理をしている、ミナのスカートの中だ。
(チッ……あのタイプか)
私は舌打ちしたい衝動をこらえ、門番としての直立不動を維持する。
いわゆる『迷惑系配信者』。
過激な映像を撮って、動画サイトの視聴数を稼ぐ手合いだ。
店内から、異様な気配が漂ってくる。
男がミナの足元にカメラ(視点)を潜り込ませようとし、ミナがそれを避けようとして、不自然な回転を始めた。
「いらっしゃいませ! いら、いらっしゃ、いら……ッ!」
ミナの声がレコードの針飛びのようにループし始める。
まずい。
過度な干渉と高速移動により、彼女のAI処理が限界を迎えている。
店内の空間がジジジ、とノイズを上げ、テクスチャが明滅し始めた。
処理落ちだ。
このままでは店がクラッシュする。最悪、このエリア一帯を巻き込んでサーバーダウンだ。
「ミナ!」
私は叫び、駆け出した。
だが。
ガンッ!!
鈍い音がして、視界が歪む。
鼻先に激痛。見えない壁が、私の突進を冷酷に弾き返したのだ。
顔面を透明な板に押し付けられ、頬がムギュッと潰れる。
目の前、わずか数メートルの場所で、ミナが白目を剥きかけているのに。
(くそ、届かない……!)
システム警告音が耳鳴りのように響く。これ以上は進めない。
私は門番だ。ここから動く権限がない。
だが、このままではミナが『バグ汚染』で削除対象になりかねない。
どうする。
剣は届かない。魔法も使えない。
私の手元にあるのは、無限に湧く足元の『小石』だけ。
(……小石?)
私は潰れた顔を壁から引き剥がし、足元の石を拾い上げた。
重さは数グラム。投擲スキルなし。
だが、この世界の物理演算(Havok神)の気まぐれな挙動なら、私は誰よりも知っている。
脳内で、赤い予測線が走る。
風向きよし。摩擦係数、想定範囲内。
私は呼吸を止め、指先の石に全神経を集中させた。狙うのはミナでも、男でもない。
店の軒先にある、古びた看板の留め具だ。
ヒュッ。
指先から弾かれた石は、吸い込まれるように留め具の錆びた一点に直撃した。
ガキンッ!
金属音が響き、看板の片側が外れる。
ブラリと下がった看板が、その下に置いてあった『火薬入りの樽』の留め木を、絶妙な角度で叩いた。
ゴロン。
留め木が外れ、樽が転がり出す。
緩やかな坂道を転がった樽は、入り口の段差でポーンと跳ね上がり――美しい放物線を描いて、店内へ飛び込んだ。
まさにその瞬間。
ローアングル撮影に夢中だった男が、尻を突き出して屈んだところだった。
ドォォォォン!!
物理演算の神が微笑んだ。
樽と男の当たり判定が重なり、運動エネルギーが爆発的に増幅される。
男の体はラグドール(人形)のように手足を投げ出し、店の中から凄まじい速度で射出された。
キラーン、と星になって空の彼方へ消えていく。
「…………」
静寂が戻った。
処理落ちが解消され、テクスチャの明滅が収まる。
ミナがパチクリと瞬きをした。
「あれ? いらっしゃいませ! ……お客様?」
彼女はキョトンとして、誰もいない店内を見回している。自分の身に何が起きたのか、理解していないようだ。
それでいい。
私は何食わぬ顔で、門の前に立ち直した。
背筋を伸ばし、一点を見つめる。
ただのNPC。ただの背景。
だが、私の網膜の裏側では、世界中のプレイヤーが見ている配信画面のログが、滝のように流れていた。
***
【動画配信:Camera_Manのチャンネル】
コメント
:えっ
:は?
:今の何?
:ピタゴラスイッチwwwwww
:看板→樽→爆発のコンボ決まったwww
:これ偶然か? タイミング完璧すぎだろ
:門番が動かずにやったぞ
:あの門番、視線すら動かしてなかった
:ゴルゴ13かよ
:運営の物理演算遊びすぎwww
:【速報】初期村の門番、遠距離スナイパー説




